戦国ロマン求め
大河ドラマ「どうする家康」でも登場する、
伊賀越えの道のほんの一部、京都府京田辺市を歩いてみました。
本能寺の変直後、 光秀の手から逃れるために、大坂から三河の国まで逃げ帰った家康。
無事に逃げのびたわけですが、「あの時もしも逃げ切れていなかったら」、 日本の首都は大阪?それとも? もしもが起きてたら現代はどのような世の中になっていたのでしょうね!?
歴史にもしもはないけれど、そんなことを考えると想像が膨らみます。
オ-バ-ツ-リズムの京都市内とは全く違った環境に、ゆったり巡れそうです
そんな事を思いながら・・・、
9月23日、京都府との府境にある大阪府枚方市の尊延寺から歩き始めます。
(私のブログに新鮮さは無いですね)
(節分会の後片付け)
前日、尊延寺の節分会が行われたようで、その後の片付け中でしたがお参りをさせてもらいました。重要文化財の軍茶利明王を含めて五大明王が祭られています。
家康が歩いた道、諸説あるようですがここを通ったのではないかという道を、ちっちゃなガイドブックを頼りに歩き始めます。この辺り、当時から田畑が広がっていたでしょうか?
尊延寺を出発すると、こんなのどかな風景が広がる農道を進みます。
一行は藪を抜けて道なき道を進んだのかもしれません。馬での移動も制約があったのかもしれないですね!?
道があったとしてもきっと今より狭く、6月ならもう草が生い茂り、ぬかるみがあったり、物陰からの敵襲に用心をしながら草履で足早に駆け抜けて行くのはそりゃ大変だったでしょう。
(お米が実っています)
小さな標識でもあれば分かりやすかったんですが、舗装された農道から見下ろしてもこれは小径に見えなかった。しばらくは行ったり来たりの迷子状態(笑)
ほぼ自然のままの道に涼し気な花が咲いてました。なんとも可憐な花です。あちこちに咲いているのかと思いましたが、道中、後にも先にもこの一株しか見かけません。
暑い夏を越して色んな花が。
手持ちのB5サイズ程度の地図。
この地図を頼りに①の尊延寺から③の一休寺、更にその先の木津川を目指します。
が、紙面の都合でしょうが、余りにも簡略された地図なので逆に戸惑うことも。ここに来るまでも、何度か道を見失って行ったり来たりしています⤵
今から②の甘南備山(かんなびやま)を登って反対側に抜けます。勿論、この地図の通りだとは思っていませんでしたが、簡単には考えていました。
山の立て看板の道を見ると、実際にはとんでもない数の山道
ここから先が思いやられます。
慌ててアプリのYAMAP起動しましたが、
えっ?、標高221mの低い山なので表示されないの?
(結局、私の検索ミスで、山を抜けてから再度試すと、ちゃんと表示されました)
(なんか迷路みたい)
とりあえず展望台を目指して登って行きますが、案の定、途中この道で合っているのか自信が揺らぎます 案内表示が少ないので途中で見落としたかと心配になるんです。
家康さん一行、地元民に褒美を取らせて案内してもらったのでしょうか!?
当時、山中に標識なんてあるわけが無いですもんね。それどころか、けもの道程度の道しか無かったかもしれません。
頂上付近に甘南備神社があったので、少しはましな道があったのかな?
曲がりくねった林の中を進むと、どっちに進んでいるのか分からなくなりますね。 なので、こんな低い山でも生活圏を見下ろすことが出来る場所に出ると安心して一息つけます。
たぶん目指すはあっち
(展望台からの景色)
そのあっちを目指しますが勿論すんなりとは行きません。下りの分かれ道は暫くどちらに進むか迷います(笑) 迷ったところで正解を導くことは出来ないんですが。
今回迷った道は、結局どちらに進んでも良かったみたいですが、それは後から分かったこと。その時は間違って下ったら登り直さなくてはならないので余計に悩みます
下り道に正解の確信を持てた頃、ようやくウォーキングの人達にポツポツと出会うことが出来ました。こちら側から登る方は多いんだ。欲を言えば、もう少し早く出会いたかった(笑)
私逹が下山した側の麓にあった案内板。
「磁石やアプリなしで山に入るのは危険です」的な案内が書かれていました。
「ん!?」
疑問に思って再度アプリで検索してみたら、 甘南備山のル-トがちゃんと表示されるではないですか
何とも情けない。今頃自分の検索ミスに気づいてYAMAPが宝の持ち腐れだったことを知りました いっそのこと、ずっ~と気づかない方が良かった(笑)
昨晩友達夫婦と飲み過ぎたアルコ-ルと迷子が効いてきてのwパンチ。
そんなこんなでようやく観光スポットに辿り着きました
ここは薪神社、能楽発祥の場所だそうです。
すぐ近くには有名な酬恩庵一休寺があります。
「屏風の虎退治」のトンチで有名なあの一休さん(一休宗純)が晩年過ごしたお寺。
「うん!? 境内こんなに広かった?」 随分前のこととは言え、お寺の全景図を見て、こうもきれいに忘れてしまうもんですか?と自分で感心するばかり(笑) 忘れているのは私だけで無かったようで少しは安心しました
唯一覚えているのは小っちゃな橋の際に立つ「このはしわたるべからず」
たったこれだけ⤵ そんな具合なので、改めて拝観させてもらいに来ましょう。
先を急ぐのできょうはこの門前近くだけで失礼します。
きょう目指す最終目的地は木津川沿いにある「草内の渡し」跡。
そこを目指して一休寺を後にして歩き出しはしたのですが、何となく気持ちが折れてしまったので、近鉄電車の新田辺駅に方向転換し帰路につきます。
予定が大きく狂い、この続きは別の日の楽しみとしました・・・(笑)