いいですよ
まもなくの風景
花見にでも出掛けようかなって何となく考えている方。特に、ウォ-キング好きの方で琵琶湖疏水を訪れたことが無い方にお勧めのコ-スです。
お勧めの行程は琵琶湖の取水口付近から、
水の流れと共に京都インクラインを経て鴨川に流れ込むまでのコ-ス。一部峠も越えるけど、途中離脱は山登りに比べたら容易にできます。
(2019年4月三井寺駅近く)
寺社仏閣の京都もいいですが、琵琶湖疏水からは京都の近代化の歴史と発展が見え隠れします。流れる水や桜をのんびり楽しみながら別の京都を知る機会になるかもしれないですよ(笑)
滋賀県から京都まで実際に歩いてみると、頭で思い描くより距離を感じません。
フラットな疎水沿いだけをのんびり歩くなら、琵琶湖からじゃなく滋賀県県境手前の京阪京津線『四宮駅』で下車し、踏切を渡って「一燈園」という施設を目がけて歩くと疎水はすぐそこなのでこれもお勧め。
私は今回はその駅で下車してぶらり散歩です(笑)
疏水ではしっかりした量の水が京都の街に向かって流れています。これだけを見ても琵琶湖の豊かな水量と大きさを感じます。むかし、初めて琵琶湖を見た人は海だと信じて疑わなかった人が大勢いたことでしょうね。
実際は琵琶湖の水の大半が大きな瀬田川に流れ出しています。「急がばまわれ」の語源となった瀬田の唐橋が架かる所。
この疎水の水も、瀬田川の水も宇治川などでまた一緒になり、最後は淀川となって大阪湾に流れ込みます。
3月中旬、のどかな疎水沿いを歩いていると目を引きました。
桜の種類が違うのか、単にこの木の気が早いだけなのか、既に5分咲き(笑)
近くに植わる全ての桜のつぼみはまだ赤い色が見えないです。この分だと見頃は月末の週頃からでしょうか? 今の天気予報では28日は、降水確率0(笑)
(3月13日に歩いた時の写真)
菜の花が咲きだして、今はこんな感じですが・・・
花開く頃にはここがこんな感じ
↓
春爛漫
ここは山科駅と毘沙門堂の間にある疎水の橋の上。これぞthe春。
もちろんこんな時期は最高なのでしょうが、私が今までで一番感動したのは桜が舞い散る時期です。舞う風景もきれいなのですが、疎水の中央を花びらが流れていきます。花いかだって言うのでしょうね。
それも琵琶湖の取水口付近からず~っと途切れることなく帯状に続いていました。今年もこの時期を狙ってもう一度歩いてみようかな?
疎水沿いの大木に札がかかっていました。
強くも丁寧で上品な文面、書かれた方の思いが伝わります。
私の自宅近くの遊歩道の街路樹も昨年から何本も伐採されてしまいました。枯れ木や傷んでしまった老木の伐採は安全上から致し方ないこと。
ただ、若木も切られてしまっています。?。伐採基準に首をかしげざるを得ません。
樹木1本で良くも悪くも景観が変わってしまいます。
以前、この疎水を初めて歩いた時に知りました。眼下に見える駅、東海道線のJR山科駅の前に迫るこの高台に琵琶湖の水が流れていることを。
琵琶湖が京都の流れ着く場所より海抜でどれほど高い位置にあるのか、どのル-トを通せば良いのか、高度な測量技術があったんですね。
行程の終盤のインクライン、南禅寺近くには琵琶湖疏水記念館があります。当時の写真を交え、そんな詳細が紹介されていた気がします。(記憶が薄れてます) 今につながる京都の一面を知ることができるので立ち寄ってみては如何でしょうか。
天智天皇山科陵。そこをよけるように疎水の水が蛇行します。左のご陵さんと疎水の間を歩いていきますが、改めて天皇陵の大きさを知ります。
琵琶湖疎水船、桜咲くトップシ-ズンはもう乗船の予約がいっぱい。一度乗ってみたいと思っていたのですが残念。さくら済んだ頃でもいいので乗船してみようか?トンネルを抜けてみたい!
きっと試運転ですね!? お客さんを乗せていない2隻とすれ違いました。
きょうは山歩きじゃないのでまず危険はありません。それを理由にコンビニで3分の1ボトルをお供にし、昼食と景色を楽しみます(笑)
あっ、コップ・・・
ミツマタや馬酔木、レンギョウなどが疎水の傍らに咲いてます。水の流れや暖かな風に揺れる草木をみているとほんとのどかでリラックスします。
よく見かけるこのスミレの名前は知らないけれど、広々した所を好まないのでしょう。必ずと言ってよいほど土があるかないか分からな隙間に生えています。ここも石垣と舗装した歩道との境から元気に顔を出してます。
すみれは好きな花の一つ。
疏水が抜けるトンネルの出入り口の上には偉人の扁額が掲げられています。扁額と言えば汽車が通る長いトンネルに掲げられてた昔のものが何処かの記念館に飾られていました。
扁額にはその施設の名称が書かれていたり、創設者の思いが記されているのだそうです。疎水にかかる扁額はその後者ですね。
ここは最後から1つ手前のトンネルで京都(下流出口)側です。三角おにぎりみたい。
扁額の作者や意味合いが簡単に紹介されていますが、毎回読んでも覚えられない⤵
西郷従道とありますが、西郷どんの弟なんですね。
下流、京都側の扁額の文字はこうして凸で表されているのに対し、上流の琵琶湖側は凹で表されているのだそうです。
その他、伊藤博文や山県有朋、当時の京都府知事らの扁額も。
江戸末期から明治時代の京都や日本の歴史を知る方には、下の案内にあるように扁額がもっと興味深いものにさせてくれるかもしれません。
私はこの時代に強くないので「へぇ~」って思ってはすぐに忘れるのですが。色々な人が関わって疎水が完成したことは記憶に留まります。
最後のトンネルの手前に石碑が建ちます。
この国最初の鉄筋コンクリ-ト橋を記念したものです。
歩いてたった十数歩、何故か来るたびに渡ってしまいます(笑)
水はトンネルを抜けて観光名所にもなってるインクライン方面に出て行きます。また南禅寺を通る有名な水路閣を流れる水も琵琶湖からの水です。
明治の時代、何のために琵琶湖から水を引いたのか、興味が湧いてきませんか(笑)
この水路と共にインクラインまで歩ければよいのですが、残念ながら三条通に出てからそこに向かうしか道がありません。
今回の私の散歩はここで終え、最寄りの御陵(みささぎ)駅から電車で京都の街中に向かいます。
御陵駅は歩くのをスタートした四宮駅からたった二駅だけ京都寄りの駅。ぶらり散歩にはもってこいの距離です。
かつてはこの三条通りを車と一緒に琵琶湖に向かう電車が走っていました。今は道路の下を走りますが、当時の名残でしょうか、今も車輛の幅がとてもスリムなんです。
(三条通り)
電車での移動中どこで降りようか迷いましたが、三条の駅で下車します。
駅を出て三条大橋を渡ると橋のたもと近くで「東海道中・・」の弥次さん喜多さんが出迎えてくれます。ここは東海道の西の起点で都の入り口。
感慨深く「これが都の賑わいかぁ」って声が聞こえて来そうな表情です(笑)
その咲くのは河津桜でしょうか?
いま渡って来た三条大橋の欄干が真新しい木材で新調されています。木の香り・・・
久しぶりなので、この三条通りから先斗町を抜けて四条通りに出ることにしました。
観光客相手のお店が多いようですが、時間が時間だけにまだ開いてないお店が多く、通りを行く人もまばら。そんな中、開いているお店を覗いてみると鴨川沿いの席が空いる所があったのでプラっと入って休憩。
この日は暖かいので鴨川沿いを行きかう人は皆ゆっくり、家族連れや外国の観光客ら、友人同士と思われる人たちみんなが笑顔。平和な時間が流れています。
この緩やかに流れる水にも疎水の水が流れ込んでいます。
日が暮れる頃には、カップルが正確に一定の距離をとって鴨川の土手に腰を下ろします。ここ四条通り近く、鴨川の風物詩ですね。四条の橋の上から見ると、ほんと測ったかのような間隔に見えますよ(笑)
店内が混みあって来たので外に出てみると、看板が灯りはじめています。
さて・・・