日の目を見ました(笑)

 

 

この家に、ある程度の陶芸道具を揃えて約2年近くになります。今振り返っても、粘土を練ることも、土殺しもできないのによく思い切ったなと(笑) そのお陰で現在も気ままに楽しく趣味の陶芸を楽しめているのですが。

 

 

花弁の少ない菊練りもどき(笑)

 

陶芸教室や、自宅陶芸を始めた時もそうでしたが、粘土を練るのが嫌でした。練れば練るほど抜けるはずの空気が入ってしまう(笑) 成形もままならない腕前と、空気入りの粘土で電動轆轤の難易度は超maxあせる理屈がどうあれ、そりゃ練りたくない気持ちも膨らみます。

 

陶芸は土練り?年と言われる世界らしいですね。まだ2年足らず、当然今も下手くそですが、何とか空気は入らなくなりました(笑) ネット動画の先生達のおかげです。

 

 

先日、遠いスペインからご夫婦が遊びに来てくれて一緒に食事を楽しみました。勿論、通訳してくれる人がいるので会話が成立(笑)。おかげで笑いあふれる楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

当日は朝早くからから夕刻まで台所に立ち、よそ行きの料理と日本の家庭料理を作ったので、ハイキングに出かけた時より足が棒になりました(笑) そして前日に花屋さんで選んだ花を花瓶に入れておもてなしの準備OK。

 

 

 

 

京都の家、陶器類は全て自分が作ると決めていたので、買ったものと言えばすごく気に入った洗面ボールだけ。でも、相当の期間は何も無いものだから、紙皿などで辛抱し、とても味気ない食卓の景色が続きました。

 

あれから2年近く経過しましたが、作って気に入っている食器に混じり、難ありの食器もあり(本当は逆)、最近は収納するのにちょっと困り始めたころです。

 

 

山で拾ったサラシナショウマの葉で模様をつけた中くらいの大きさのお皿。

 

 

しっかりと土を締め、発砲スチロ-ル内でゆっくり乾かしました。が、焼いたら軽~くですが反り⤵が。縁が浅すぎた? 実用するのにはさほど支障がない程度です。ただ、そう言った技能的なこともそうですが、それ以上に・・・

 

和の器を作ろうとだけ考え、縁が浅く中途半端な平べったい形にしたのが良くなかった。そのせいで、自分の中で何の料理を乗せたら良いのか難いお皿になってしまいました⤵ 

 

お漬物、または白和えやホウレンソウのお浸しなど数種を少しずつ盛合せる。それもバランスよく盛り合わせれば良さそうですが、二人暮らしの普段使いには不向きな気がします。

 

単品で似合いそうな料理(?)を思い浮かべられるのは、軽くボイルした長いままのグリ-ンアスパラ(笑)に、アンチョビとニンニクを加えたマヨネ-ズソ-ス掛け。のみ

 

少し深いめの鉢にしていれば多岐に渡り役立ったのにと反省しきり。料理を想定しながら作らなかった失敗の1皿。いや、柄違いと合わせて2皿も。

 

「何となく」作るのがダメだと何度反省したら治るのやら・・・。確かそんなテ-マの日記まで書いてましたショボーン

 

 

やっぱり、先にざっくりでいいので、スケッチを描かないとダメかな?それもお皿なら焼き魚なのか煮魚なのか、花瓶ならチューリップなのか茶花なのかを具体的に。そうなれば形状や色までしっかりイメ-ジを浮かべて作れそうです。

 

きっと皆は当たり前に、そのようにして作ってるのでしょうね(笑)

 

 

 

食器にしても花瓶にしても、一般的には単独で活躍するものではありません。本来、主役はあくまでも料理であったり、そこに活けられる草花たちです。

 

 

なので、窯から出て来た器の色や形の出来を見た時に「う~ん・・・」となってしまっても、そこに主役が登場すれば脇役として馴染んでくれるものがあります。それが慰めと、私の意欲が衰えない要因です(笑) 先のお皿、相性の良い主役を探さねば。

 

 

食事にでかけたお店で、料理が美味しくてとても素敵なのに、何でこんな色や形が合わない器を使うんだろう?勿体ないと違和感を覚えることありませんか?

 

その逆、器が料理に極端に勝ってしまっている場合も同じくです。大事なのは主役と脇役のバランスのような気がしますね。やっぱり人と同じで相性が良くないとね(笑)

 

 

普段、2つの花瓶が部屋に無精して出しっぱなしで、花が入ってない時もあります。その2つも含め、私の作る花瓶全てが単体で飾れるほどの芸術性があるわけでもなく、残りの花瓶は単に邪魔にならないように棚にしまってます。

 

それが今回の来客で、新しく焼けた花瓶と共に日の目を見ることが出来ました(笑) 食器にしても同じこと。

 

            目 トイレから失礼  

 

気分を変えたり、入れたい花によって花瓶を変えたりすることはあります。かと言って、普通、家にたくさんの花入れは要らないですね。

 

でも、陶芸やってると時々作りたくなる(笑) 私が作るのものは花に生かしてもらう花瓶。ちょっとキレイに表現し過ぎです。はっきり言えば、「花がなければちょっと・・・」の世界(笑)

 

 

お客様が帰られても、しばらくの間だけは華やかな空間が続きそうです(笑)

 

 

花屋さん、色々な種類の花が並べられています。店員さんは選んだ花の名を確認のために口に出してから抜いてくれますが、カタカナの長い名前、残念ながら読んでも聞いても、私の頭の中にその名が留まることはありません。

 

 

薔薇も品種となると全く覚えられません。指をさして「これ」って買うので名前を覚える必要はありません。

 

それでも、もし自分が誰かの為に飾った花の名をその人に尋ねられたら・・・、「さぁ~?何でしょう?」ってのは、何だか失礼で格好悪い!

 

名前を覚えられなくても、メモか写真に収め、次からはそれを見て答えられるぐらいにはしておかないと。今回はリンドウとカスミソウしか分かりませんあせる

 

咲くかな?

 

陶芸の部屋に移動して来た小さな花入れと、ひょろひょろ主役とのコンビ。けれども存在感は大きいです。緑や花があるだけでなぜホッとするのでしょうね?

 

今回使わなかった花瓶がまだ5つありました。こんなにあるとは自分でもびっくり(笑) 次の機会があれば活躍してもらいましょう。

 

 

先にも触れましたが、趣味で作り続けると、コ-ヒ-カップや花瓶などが溜まって行く一方。

 

 

そのような折り、偶然にも家内がボランティアで知り合った方から「手作り品で寄付してもらえるものがあれば・・」と協力を求められたようなんです。

 

 

自治体が推進する子ども支援の活動をされている方のようで、寄付されたものを近隣の方の何かと交換したり販売して運営の足しにされるようです。

 

 

練習で作った全く未使用のコ-ヒ-カップやマグカップが十数個棚に眠っています。もし、このような物で役に立てるのなら、私は一石二鳥(笑)で嬉しいです。それには貰ってもらえるように、魅力あるちゃんとした物を作らないとダメですね。

 

 

花瓶もカップも、誰かが喜んでくれる所に貰われて行くようになれぱ、私も自己満足の世界から一歩踏み出せて、趣味の陶芸が更に楽しくなりそうです(笑) 

 

趣味の陶芸に一筋の光明が・・・