「何となく」、はダメですね
私、やはり思慮深さに欠けてます(笑)
何となく物を見て、何となく物を作る、陶芸でなくても「何となく」、それは失敗のもと。何となく返事をしたり、何となく誘いに乗ったり・・・。「何となく」良くないですね。
あまり決め事や、答えが決まっている事をするのが得意ではないけれど、陶芸はしっかり観察したり考えたり、自由さとは別のところの決まり事をしっかり見極めて作らないと、中には使い物にならなくなるものが出来てしまうようです・・・
お盆は夏休みで人出も多いかと思い、お墓参り以外は家で過ごしました。
思うように作れると味のある作品に仕上がる手ろくろ(写真の青緑色のやつで、手でグルっと回わして作品を作ったり、削りやすくする道具です)。自分が欲しかった背の高いビアグラスと、頼まれていた楊枝入れを作ります。その他にも先に練った粘土と時間が許す限り、練習がてら思いつくままに手ろくろを回してみます。
大阪の家は陶芸の道具が最低限しかありません。ただし、上手な方はご自分の手だけ、ましてやこんな道具があれば素晴らしい作品を作られます。
そうではない私はどうしても道具頼みに。そしてここでの作陶のバリエ-ションを増やそうと、お盆前に石膏型(粘土を型にかぶせて形を作るもの)を買いましたが、直前になって使うのをやめました。苦手な手ろくろを避け、回す機会が今より減ってしまうとうまくなれる機会もその分減ってしまいます。
山登りで疲れて辛くなってくると毎回思うのです。自分への励ましなんですが、「この一歩は間違いなく頂上に近づいている」と。因みに私が登る山は低~いのばかり。少し大げさですね!?
陶芸も手ろくろをひと回しする毎に上達するんだと信じて回し続けなくてはダメですね!
全ての道具を食卓に
テ-ブルに養生テープを張り、手ろくろや板を置いて粘土を練ったり削ったり。特に削りでは、どうしても粘土がごく僅か、椅子やテーブル下のラグにまで落ちてしまいます。そこは大目に見てもらってはいますが、それだけに家内から頼まれた小さな楊枝入れはしっかり作っておかないと・・・
高さ18センチに成形したビアグラス
焼きあがれば15センチ程度に
今の私の腕前では、背の高いものはどうしても難しいです。成型し、削った直後にグラスを手ろくろに乗せて回してみてみると、グラスが微妙~~に揺らいで見えます。意図してそう作ったならそれはそれで良いのですが、なんかビールを飲んだあとの酔いみたい。飲まずに酔えるビアグラス。私、天才?
自分の為のグラスなので少しぐらい歪んでいても、焼き締めで仕上げ、ビールのきめ細かい泡立ちを楽しみます。
頼まれ物の小さな爪楊枝入れ
小さいと作るのも楽ちん(笑)
民芸調じゃなく、女性が好みそう(?)な形に。可愛らしく出来たと思ったのも束の間。成形を終えたものを見ていると、なにか嫌~な予感・・・
嫌な予感ていうのは結構当たるもので、半乾きの楊枝入れに爪楊枝を入れてみると「やっぱり・・・」
爪楊枝が器の中で、気持ちよさそうに寝そべってしまいます。
これでは楊枝が簡単に取れないし、取るときの所作も、衛生的にも汚らしく感じさせてしまいます。寝そべるのは器の口の広さに対して底が広すぎたのが原因。作り直す事も考えましたが、何となく良くなったように見えるように安易な修繕を試みます・・・。
器の内底の真ん中に、小さな仕切りをピンセットでつまんで接着しました。
ピンセットを使って接着せざるを得なかった分、仕切りがデコボコになりましましたが、爪楊枝を入れてしまえば誰も底を覗いたりはしません。
そんな安易な「何となく」、それに「まっ、いいか」の積み重ねが上達の妨げになっていそうなことは薄々気づいてきました(笑)
仕切りを設けたあとは・・・
これなら実用するのに支障なさそうです(笑)。が・・・
最初から計算して出来ていれば言う事もなかったのですが、今となっては失敗を重ねないように仕上げたいと思います。
少し前のことを振り返ってみると、「ピカピカで光沢ある抹茶碗は好きじゃない」と前置きされて作った碗があります。家庭の電気窯でサヤ鉢(作品と一緒に炭などを入れて薪窯風に焼く)もなく、経験不足の私が渋い碗を作るのは結構大変。成型し直し、釉薬を少し変えながら「お抹茶の色に合う渋い器」を思い、作り直すこと数度。
その甲斐あって、今の自分の中では納得の碗が出来ました。
また別の方からは写真を見せられ、こんな形の花瓶がいいと・・・
見たことない形
ある程度背が高く、こんな形など作ったことも自信も無いので、「同じ形の花瓶を」とまでは約束しなかったけれどそれを目指して作りました。こうして、相手が望んでいるものを追い求めて作っていると、自分の中での妥協「まっ、いいか」が消えてしまってます。
技術的なことはそう簡単に向上するものではないですが、自分の上達の一助になることは間違いなさそうです。
初めて植木鉢を作りましたが、ここ最近、鉢に触れる機会もなかったし、鉢を見ても何となくしか見ていないので、鉢の裏がどうなっているのか改めてよく観察してから削り始めました。
水やりの後、水が鉢の外に逃げやすいように高台に切り込みが入ってるんですね。そういえば「何となく」そうだったような気がしてきます。
植えようとしているものが根腐れに弱そうなので、本当は素焼きが良いのでしょうが、色の好みまで聞いていたので、鉢底の穴の数を多目にしました。
そうして事前に鉢底を確認していたので「まっ、いいか」は無くて済みましたね(笑)
息子に頼まれたものでしたが、観葉植物の鉢、きちんと仕上がりました。
そう思うと、自分も含めた誰にでも「その人が良いと思える物、使い勝手の良い物を作るんだ」という当たり前の気持ちを忘れてはいけないのでしょうね!?
楊枝入れのように「まぁいいか・・・」と妥協することは上達の妨げ以外の何物でもありません。
趣味として楽しんで作っている器。
私の陶芸の楽しみはどこから生まれてくるのか?
何となくではなく、ハッキリ「これからも楽しんで作り続ける為には・・・」を考え意識しておかなくては、趣味として楽しくなくなる時代が来るのかもしれません。
そんなことを思う今日この頃です(笑)