高野山町石道ハイキング

 

 

 

            

弘法大師空海の足跡を辿り、「高野町石道」を歩いて来ました。

 

 

朝早く南海電鉄高野線の九度山駅に降り立ち、空海を訪ねて出てこられたお母さまが暮らしたと云われる慈尊院へ。九度山の地名は空海が慈尊院に暮らす母を月に9回訪ねて来た所に由来するのだとか。

 

往復40Kmの道のりを月に9回・・・、想像してしまうと、気持ちとは裏腹に「私には出来かねます」という答え(笑)

 

 

あと、この地は関ケ原の戦いで敗れた真田幸村が大阪冬の陣に出陣するまで蟄居した所でもあります。三途の川の渡し賃の六文銭を旗印にし、知略に富み、かつ勇猛果敢な幸村は戦国武将の中で人気が高いですよね。

 

 

それはさて置き、5月9日、午後からの雨予報を知らずハイキングに。

 

 

  

                                           (慈尊院)

 

 

「高野町石道」って高野町の石道(いしみち)だと思い込んでいました・・・、実際は高野に通じる町石道(ちょうせきみち)なんですね。知らないというのは怖いもの無し・・・。

 

 

町石道は名の通り、1町(109m)毎に石柱が建てられています。そして慈尊院の町石「百八十町」から高野山根本大塔の「一町」を目指します。180町×109m・・・、標高94mの駅舎から900mの霊場へ・・・。スタート前から頭で考えると足が遠のきそうに(笑)

 

 

歩き始めると柿の木畑が続きます。時折、富有柿でしょうか?紀の川を眼下に木の剪定をされている方を見かけます。

 

 

「柿の葉寿司、特にサバのが食べたいよなぁ・・・」なんて考えながら息を弾ませます。どんなところでも歩き始めってしんどくて辛い! じゃないですか?

 

 

 

 

空海の逸話や足跡が残る町石道。

険しく杉林を抜ける辛いイメージでしたが、体力に自信のない私ですが、整備された歩きやすい道と広葉樹の新緑の眩さに救われます。

 

 

 

 

 

せせらぎの横にはクリンソウが咲いてます。

  

(クリンソウ)

 

この花、仏塔屋根の「九輪」に花の付き方が似ているところからこの名前が付けられたとあります。やはり霊場高野山に続く道なのでしょうかね!?

 

 

肌寒さと足の疲れを感じつつ坂道を登りきると大門が「ようこそ」と迎えてくれました。「ほっ」

 

 

大門を抜け、街道沿いを少し歩いて根本大塔へ。ありましたよ「一町」と刻まれた石塔が(笑)

 

 

最後まで歩けた達成感、ちょっとオーバ-な表現?

「角濱ごまとうふ総本舗」さんの温かい接客と、抹茶ラテで心も体もほっこりして帰路に着きました。

 

バスやケーブル、やっぱり楽ちん(笑)