あの時の気持ち1️⃣



パパがALSに罹患して


病気の事以外に沢山考えなくてはいけなかった


病院の紹介状、障がい者手帳、介護認定、包括センターや保健所、

指定難病の医療費助成、介護用品のレンタル、家の改修などなど初めてのことばかり

右も左もわからない

最初は相談できる人もいない


先に親の介護を経験していたらもっと慌てなかったろうが、私は51歳


パパは病気が確定診断された時は話していたし歩いていたし

ゴルフもできた

その6ヶ月後には介護認定3で、手も上がらなくなり

車椅子になり、話すことも難しくなった


大変だったのは

とにかく進行が早かったからかもしれない


手続きも進行に合わせて畳み掛けるようなスピードでついていかなくてはならない


1番大変に感じたのは手続きに何度も必要になる

病院の診断書を

受診して手続きし、再度取りに行かなくてはならないこと

病院まで往復3時間以上もかかる

(今はもっと楽になっているかもしれない 病院によっては郵送してくれるところもあるが、パパの病院はダメだった)


市役所の手続きもスムーズにいけばいいが

人によって知識や対応に差がある💦

一度、まだ新米の人だったのか

向こうのミスで再度出直さないといけないときもあった

(上司が謝ってくれたが)


悲しかったのは難病医療費助成で軽症を理由で非該当

になって

再度申請し直さなくてはならなかった時


また1から書類を集めなくてはならない事と

その間の医療費は出ない事、費やした時間がショック

で思わず涙が出てしまった


それから3ヶ月後に医療券が送られてきた時は

嬉しくてまた涙した😭


しかし介護認定がされて、包括センターやケアマネがついてからはなんとか大変でも気持ちは楽になった


今思うと、誰にも聞けず1人で手探りしていた

時期がとても辛かったんだ


(今は、SNSが発達してもっと情報が知れるだろう、

良くも悪くもなんだけど)


この間、市役所に行った

市民課で待つ間、なんとなく

障がい者福祉課や介護保健課に行ってみた


座っている人をみていろいろ考えてしまう

本人かな、ご家族かな

大変じゃないといいな、、、なんて余計なお世話ですね💦😅


(パパのあと、介護認定で義母の手続きでまた座ることになったが、その時は全然気持ちが違っていた😅

流れがわかっていたし、申し訳ないが義母だったからか)


あの頃を思い出すと

1番辛いのは本人なんだけど

私はとても不安で小さく弱々しかった

いっぱいいっぱいだった

誰かに相談したかった


うちは私がやったけど、病気やその人の状況によっては本人が手続きする人もいるだろうな


今はどんどん便利になってきてるんだから

負担が少ないような

手がかからないようなしくみになるといいなと

思う



あの頃の気持ち

思いついた時にまた🍀