入場者特典が、思ったよりしっかりしていて、かっこいい。

一文字隼人、2号のキャラクター、いいねぇ👍


ということで(何が?)、


「シン・仮面ライダー」


2回目を昨日の夜に観に行った。


重低音強化上映だったので、ライダーキックの威力がえげつなく感じた。あれは、一撃必殺だわ。


もう、ブログ内でもセリフが漏れ出してしまっているし、観たい人は既に行ってるだろうから、ネタバレは気にせずに、また長々と感想を。


興味ない人は、そっ閉じで。


今回は、どんな映画か分かった上での鑑賞だったので、流石に初回のように震えながら泣くことは無かったが、やっぱり、ラストに向かうにつれ、泣いてしまった。



初見では、映画の序盤こそ、まさに初代仮面ライダー、そして昭和カルト映画の雰囲気を感じ、


「ああ、今回は趣味全開の感じのエンターテイメントで行くんだね」



と思っていたら、最初の蜘蛛オーグとの戦いの後に、


「辛いという字に横線を一本足せば幸せという字になる」


「幸せなんて辛さのすぐ近くにあるものよ」


「少なくとも、その辛さをあなたが背負うことで、誰かが幸せになっている」


なんていうセリフが出て来たので、ドキッとした。


「苦しみや辛いことがあるから、幸せがある」


と、僕も思うようになっていたからだ。


まさにシンクロだった。

ストーリーが進むにつれ、心拍数は上がっていき、最後は号泣だった初回。


2回目は静かに泣いた。



この作品を観て、一番思ったことは、僕は


「苦しみや辛さの避け方、変え方」


を欲していたのではなく、


「苦しみや辛さの受け取り方、そして、受け取る力」


を求めていたんだということ。


最近の風潮は、


何が何でも幸せになる。楽しむ。

どんな些細な苦しみや辛さも受け取らない。避ける。意識を向けない。

自分を満たしてポジティブに。


それが蔓延しているように思える。

(映画の中では、それを目指すのが「ショッカー」として描かれていたと思う。つまり、世界征服を企む悪者ではない)


それだけ、多くの人が疲弊しているとも言える。だから、頭では理解できる。いいことだと思う。

僕もそれを目指していたこともある。


でも、今の僕はそれらに対して、心が、魂が、どうしても受け付けない。



「シン・仮面ライダー」


は、それら最近の雰囲気に対するカウンターのように感じられて、僕が今思っていること、言いたいこと、叫びたいことがたくさん詰まっていて、魂が震えたのだ。


特に、仮面ライダー1号こと本郷猛がラストバトルで、息も絶え絶えの中、


「人生の全てに、無駄なんてことはない!!」


と、力の限り叫んだ時は、涙が冗談抜きでブワッと溢れたのだ。

僕が今、一番強く思っていることで、ブログでも


「人生に無駄なことはない」


と書いたばかりだったからだ。

本当に驚いた。

映画と現実の境界が消えたように思えた。

自分が叫んでいるように思えた。

どうしたらいいのか分からないくらい、アワアワしてしまった。


僕は、今の絶望すら受け止めたい、受け入れたいと思っている。

全てを肯定したい。

何故ならその裏には、必ず「妻との幸せ」があるからだ。

もし、絶望を削ぎ落とすことが出来たとしても、それと一緒に幸せも消えてしまうからだ。


どちらか一方だけが存在することは出来ない。


絶望に苦しむということは、同時に、自分がどれだけ幸せな存在なんだというのを感じているから、知っているからこそ起きる現象なのだ。


だから僕は、全部丸々と抱きしめる力が欲しかったのだ。


その力をこの作品から、仮面ライダーからもらえたのだ。


絶望なんて重い言葉を使っているが、ちょっとしたネガティブなことだって、ポジティブと表裏一体だからこそ、どちらも存在しているということだ。


この世で生きている限り、どちらか一方だけとはいかないのだ。



ただ、こんなセリフもある。


「絶望には人それぞれ乗り越え方がある」


だから、自分へのカウンターになるが、何が何でも受け止めるのが正しいわけじゃない。

人それぞれの環境、状況がある。適したやり方がある。


あくまで、これは僕の乗り越え方なんだ、そんなことにも気づかされた。



こんな素敵な感想を見つけた。


「仲間と弱さを分かち合うのではく、立ち向かい、乗り越えた『強さ』を持ってして、仲間や大切な人たちに手を伸ばす」


ああ、そうか。僕もそうありたいと思った。

仮面ライダーのようになりたいと思った。


自分の人生を振り返ると、自分が意図する・しないに関わらず、人を笑顔にしたり、幸せにしたりしていることが結構あるなと最近気がついた。


僕の作った芝居キッカケで、お客さん同士で結婚した人がいたことを思い出したりもした。しばらくハガキでやりとりしたっけ。


職場に社会科見学に来た、養護学校の生徒さんたちに、僕としては普通に挨拶しただけなのに、後日、名指しで学校側からとても感謝されたこともあった。生徒さんたちが僕の笑顔で、とても安心したとのこと。

先輩に「スマイル王子」としばらくからかわれた。


だから、思いもよらないタイミングで、褒められたり、感謝されたりすることが多い。

本人としては自覚がないので「はぁ」という感じだが。


逆に、

「少しくらいありがたいと感じて欲しいなぁ」

と思う時ほど、何のリアクションが無いのが笑える。そんなもんだ。


僕は心の狭い男なので、誰かを恨んだり妬んだり憎んだりすることはよくある。


でも、一度も叶ったことはない。

そんな誰かを不幸に出来たことがない。


だから最近は、安心してネガティブになっている。

どうせそんなものは上っ面で、僕の魂は常に穏やかで、何よりも誰かの笑顔や幸せや平和を願っているんだ。


そこに妻は惚れてくれたんだと思うことにしている。

何せあれだけ警戒心の強い妻が心を開いてくれたんだから。


だから、これからも、苦しみ辛さはそのまま受け入れ、表面上ネガティブになっても気にせず、それを乗り越えた力を誰かに活かせればなぁと。


多分、手を伸ばさなくても、辛さを素直に受け入れるだけでも、どこかでその分、誰かが幸せになっているんだと思う。


だから、苦しみや、辛さを抱えている人たちは、どんな振る舞いをしていたって、生きているだけで尊いのだ。素晴らしいのだ。



プラーナやラストシーン、その他のことについてもまだまだ書きたいが、さらに長くなりそうなので、後で。



いやあ、それにしても、本当に心スッキリだ。


早く配信されないかなぁ。

円盤出ないかなぁ。もう、絶対買う。

セリフひとつひとつを噛み締めたい。