今日はお休み。
久しぶりに穏やかな気持ちで朝を迎えて、かなり長めに妻とお話も出来た。
泣くこともなく、ずっとほわっとした力の抜けた状態でお喋りをした。
2人で休日を過ごしていた時のように。
僕の父は54歳で亡くなった。もう17年前だ。
当時は悲しくて悲しくて、しばらくの間、かなり辛い想いをした。
今は泣いたりすることは、ほぼ無い。
時間が経って慣れたということではなく、存在の大きさが変わった気がする。
自分の父親であることには変わりはないのだが、それ以上に神様・仏様的な感覚にもなっている。
いつからそう感じるようになったのかは分からないけど、どこでどう過ごしていても、当たり前のように、ここかしこに存在している感覚。
というか、そう意識せずとも無意識下でそれを感じている、とでも言おうか。
まさに、神様である。
常にあるので意識するまでもない。
信仰心が強い人は常に意識しているのだろうけど。
まあ、感謝や愛、優しさを感じている時が神様を意識しているとも言えるから、ほとんどの人は知らず知らずのうちに意識しているのだろう。
妻に対してもそういう感覚になることがあり、まるで観音菩薩様のように思えて、自分の世界全てを包み込むような存在に思える。
その時は本当に穏やかな気持ちになり、感謝と愛でいっぱいになる。
さらにそれらが溶けてしまうと思考や感情も消えるので泣いたりすることもない。
時間も空間も超えて、消えて、ただただ共にあるという感覚になる。
恐らくそれが本来の僕らの関係なんだろう。
僕の心象風景は、妻と一緒に、青空、又は満点の星空の下で、温かい砂浜で寝転がっている。
何も話さずに、ただただ、静かに2人でいるのだ。波の音に包まれながら。
たまに顔を見合わせてニコッと笑う。
それが最上の幸福だ。
これからも、何度も泣いて、落ち込んで、虚しくなって、生きるのも嫌になったりするのかもしれないが、その度に、周りの愛や優しさに気がついて、感謝して、自分やその周りの存在の大きさを知る、というか、思い出していくのだろう。
そして、妻を想い続けるのだろう。