昨日の夜は、なかなか寝付けなかった。


瞑想しても、なかなか落ち着かず。


真っ暗な部屋で、天井をジーっと眺めながら、ポツリと呟く。


「会いたいなぁ・・・」


「話したいなぁ・・・」


自分の意志とは関係なく、口から漏れるように出た言葉。


すると目からは涙が溢れて。


ポロポロ。ポロポロ。


目尻から頬を伝って。


「まいったなぁ・・・」



僕は全然大丈夫じゃないんだなぁ。


分かってはいたけど、やっぱりそうなんだ。


会う人、会う人に


「大丈夫。大丈夫だよ」


と言ってはいたけど、まあ、それは


「大丈夫になりたい」


という願望、というか、訴えというか。



散々泣いて、いつの間にか寝た。



朝、母がいつもより早く仕事に出たので、仏壇の前で久しぶりに長々と語りかけた。


そこでも泣いた。


「この穴を埋めるにはどうしたもんかなぁ。うん、筋トレはやるけど、あれは埋める作業ではないからね」


「この苦しみを癒してくれる天使のような人でも派遣してくれんかな。君のご推薦なら、きっと楽しいだろうから」


それにしても・・・


「僕は何のために、まだ生きているんだろうね」



しばらくの沈黙。


そして。



「僕はまた君に会うために生きているのか」


ふと、降りて来た。



【亡くなった人に会うために、生きる】


矛盾しているかもしれない。


あとを追う方が分かりやすい。


でも、生きている、死んでいるとは、そういうことなのか?


僕は昔、こんなセリフを書いたことがある。


『じゃあ、亡くなった人ってのは、生きるのを諦めた人ってことなのか?』


もちろん、これはそうじゃないという思いから生まれたセリフ。



妻の肉体は使用期限が過ぎたのだろうけど、妻はずっと生きていて、僕もやがて何かしらの理由で肉体は止まるだろうけど、ずっと生きていく。


理屈は分からんけど、直感でそう思える。


だから、僕はずっと生きていなきゃ、ずっと生きている妻には会えないんだ。


僕らは、広大な大地のような幅のハイウェイの端と端にいて。

声が届きにくくても、姿が見えにくくても、それは同じ道だから。

いつかは、合流できる。


肉体の生と死は、そういう違いなんだ、きっと。

ずっと生きるということはそういうことだ。



そうか。わかった。



それでも、やっぱり寂しいよ。



でも、ありがとね。


僕のこと、分かっているのは君だけだ。

そりゃそうか。


腑に落ちたよ。伝わった。



・・・ああ、昨日の夜に呟いたから、伝えてくれたのかな。


そっちからは瞬間だけど、こっちからはタイムラグがあるから。

スペックが違う。


量子コンピュータと、ポケベルくらいの性能差があるのかもね。


肉体を持ちながら、スペックを上げられるかなぁ。



とりあえず筋トレだ。




【体力・氣力・努力】


『いだてん』金栗四三さんの言葉だ。


まずは身体からだ。