考察に限らず、彼らのことを書くのに気にするのは、ソースと時系列と世論なんだけど、これが大事というよりは、それらで誤解させてしまうのが簡単だから、気をつけて書かなければというARMYとしての自覚と戒めかな。
最近とてもナンセンスと感じているのが、彼らの発言から感じ取ったかのように、言葉巧みに書き手の感情に引き込みがちになる文面。読んだARMYが同調するなら、なお注意が必要。読んだ人が色んな感情を巡れるように書かないと、書き手の物語になってしまって「嘘」になるから、架空であると伝えなければ、真実がなにか解らなくなるよね。
いつだったか、グテの事を書いた言葉でシパさんがお怒りになったことがあったんですが、頂いたコメントの中に、「彼らは◯年から同棲してるのに知らないんですか?何も知らないくせに…」とこんなような文字を見かけました。怒りをぶつけられたことより、同棲が事実と決めつけてる事が驚きました。どこからこんな間違いが生まれるんだろうと。
これは分かりやすい例としてあげてるけど、今どきのブロガーさんは本当に文才があるので、真実のように吸い込まれてしまう。メールを頂いてある方のブログを読んだのだけど、限られた情報からのメンバーのストレスについて考察、とても話が上手なのでほんとに引き込こまれました。まるで彼の性格を知り尽くしたようで、そういう人なんだ~と思ってしまうほど。
私達にはストーキングでもしない限り、与えられた情報量しかないので、同じ意見を生みやすいですよね。ファンの妄想が重ると、そこから新しいモンスターは生まれるんだろうなと、DMやコメントで考えるキッカケを頂き、自分への戒めになりました。
書くARMYが彼らの情報を共有したいのか、それとも・・ひとりのブロガーがARMYという名の信者を作りたいのか?書き手の意識だけでも、読んだ人の印象は大きく変わる。私は文章は下手だけど、気持ちは常に前者で居たいと考えているひとり。
以前、モンスター化したブロガーさんからメールを頂いた時に、「読者」という言葉をたくさん使われていたのが気になったことがありました。
私のBlogを読んでくださる方を、私は読者だとも信者だとも思ったことはなかったからです。和訳を共有してくれたりするのと同じで、「ARMY達と彼らの共有」こんな風に思っていたから。
もし読み専の方を「読者」というなら、私の読者ではなく「BTSの読者」だと考えているので。
彼らのこと知りたいから、見て読んで楽しむ。彼らに関する想像も「可能性のある妄想」が多く、個人の意見や感想を100人のARMYが「その通り」と言っても、彼らが「はい」と言わない限りは、世論は事実にはならない。
彼らに恥じないARMYでいる努力とメンテナンスも時には必要です。これが冒頭に書いたARMYとしての自覚と戒めですかね。
戯言が長くなりました。
I Purple u💜
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