いや、逃げるのが恥だとは思っていないのですが、
頭の中でずっと「恋ダンス」の曲が回っているのでお許しください。
皆さんはいかがお過ごしですか?
実は私、ここ数週間ずっとお仕事が出来ない状況でいました。
というのも、4月に幼稚園に入った息子が大暴れで「登園拒否」を
訴え続けていたからです。
やっと、慣れて来たと思った矢先の出来事で私自身焦りと
息子の心を思うと辛くてたまらない日々でした。
「なんで嫌なのに行かないと行けないの?」と何度も聞く息子。
私はこれに明確に答える事は出来ませんでした。
「だよね、嫌なら行かなくてもいいんじゃない?」と心の中では思いながら、
息子を説得する日々が続きました。
するとどうでしょう?
さらにママを殴る蹴るの暴行を加えるではありませんか
!
「今日は幼稚園だよ」
「絶対いやだ。なんで嫌って言ってるのにママは行くって言うの」という息子。
「でも、お友達待ってると思うよ。ほら〇〇ちゃんも来てるよ。」
「今日工作あるかもしれないよ。」
「バスが嫌だったらママが幼稚園まで送り迎えするよ」
こういう会話を繰り広げると、
見ているのが可哀そうなぐらい大声を上げて暴れるのです。
まだ小さな体と心で一生懸命葛藤している息子。
もう何かが一杯いっぱいなのが伝わってきました。
この時点で、私と息子の間に信頼関係は崩れていたと思います。
なんで、こんな事になるんだろう。
自分を情けなく思うと同時にどこがいけないのか考えはじめました。
そして、息子の怒りが爆発する瞬間、
私はある事をしていた事に気が付きました。
「でも、〇〇もあるよ。でも、きっと〇〇だよ。」
プラスの面を見せて、気分を変えさせようと思ったり、
嫌な事に囚われないで他の楽しい事に目を向けてごらんよ!
という意味で使っていた「でもさ。。。」という言葉。
息子からすれば、僕の気持ちを分かってよ。
なんで、分からないんだよ。
息子は気持ちを受け入れずに否定された言葉に聞こえていたようです。
そして、「息子に〇〇が嫌だ」と言われた時は、
説得をするのは止めて「そうなんだね。〇〇が嫌なんだね。」
という掛け声を徹底することにしました。
その先の事は息子自身が考える事。
ママの私は受け止め役。
こう自分に言い聞かせるように過ごしました。
自分でも気づかないうちに使っていた「でも。。。」という言葉。
“でも”という言葉は完全に相手を無視した強引な言葉なんだと
改めて考えさせられました。
まずはこの親子の信頼関係を取り戻さないと、
息子にとっての安全基地が無くなってしまいます。
「失敗しても大丈夫。」
「傷付いてもまた戻れば大丈夫。」
人はそんな安全基地があってこそ頑張れるものです![]()
大人も子供もエネルギーが下がっている時は休めばいいと思っています。
なぜなら、しっかり休めばエネルギーは自然と戻るものだからです。
という事で、
少し落ち着くまで幼稚園をお休みしていました![]()
今も毎朝「幼稚園行きたくない」と逃げていますが、
なんとか頑張って行ってくれるようになりました。
そして、楽しそうに帰って来ます![]()
昨日で私もママになり4年目。
まだまだ、分からない事や間違う事もたくさんです。
そのたびに、小さな先生から色々なことを学んでいます。
共に成長していけたらうれしいです。
生まれてきてくれてありがとう![]()

