39歳、学習障害&不登校の小2息子と二人暮らし、
シングルマザー、たえちです。
過去の私は、自己肯定感が低く、
仕事も子育ても楽しめない自分が嫌いでしたが、
母親との関係に向き合うことで、毒親の呪いが解けて、
育児にイライラがなくなり、
子供の好きを育てられる母親になれました
私は、毒母と向き合うことで、
日々の生きづらさ・不安から解放されて、
毎日楽しく生きています。
今日は、
生まれてからずっと母に認められない
だけど、認められたい、
母から愛されない、
だけど、愛されたい、
と、もがき続けた私が、
母と向き合う方法を模索して、
実践した結果、
日々の不安感が和らぎ、
子どもにもイライラしなくなったことを
書いていこうと思います。
私は、
母に愛されていない自分は
存在してはいけない、と思い込んでいて、
自己肯定感が低く、
毎日疲れ切って、
子どもにイライラする日々でしたが、
母と向き合うことで、
本当は母に愛されている事が分かり、
ありのままの自分でOKを出すことが出来て、
いちいち重く考えすぎなくなって、
子どもにイライラもなくなり、
笑顔で接することができるようになりました。
今は、子育ても楽しめる私になりましたが、
物心ついてから大人になるまで、
まさに真っ暗闇の中をさまよっていたんです。
母は専業主婦でしたが、
いつも家事や育児に忙しく、
めったに笑わず、不機嫌で、
私は、母の顔色をうかがっていました。
少しでも母に喜んでほしいと、
妹のお世話を手伝ったり、
勉強を頑張ったり、いろいろしましたが、
母はずっと不機嫌でした。
それどころか、ちゃんとお手伝い出来ないので、
「余計なことするな!」と
怒鳴られてばかりでした。
小学校で学級委員になった時は、
「なんであんたがやるのよ。
他の子がやればいいのに」
と、褒めてもらえず、
大学に進学したいと相談したときは
「女が四大なんか行ってどうするの」
と、学費は出してもらえず、
結婚が決まったときは
「結婚式には出たくない」
と、拒否されるも、
(なんとか説得して、出席してもらいましたが)
孫が出来たときも
「私は孫の世話はしたくない」
と、言われ、
あげくの果てに、
孫が病気で入院したとき
「お前のせいで、
孫が病気になったんだ!」
と、ののしられて、
私の自己肯定感は
ほぼ無い状態でした。
母でさえ、私を愛してくれないんだから、
自分には価値がない
生きていくのが本当に辛い
と思っていました。
しかし、母とのトラブルをきっかけに、
関係性を見直そうと、
カウンセリングを受けたり、
毒親や心理などの書籍を読んだり、
ネット記事やYoutubeを見まくりました。
そして、母と向き合う方法をいくつか知り、
とりあえず試してみました。
私の体感で、効果的だなと感じたものを
3つ書きたいと思います。
1,とりあえず感情を書き出す
とりあえず思ったことを
ノートにペンで手書きで
書き出してみる方法です。
書く内容は、何でもよくて、
私の場合は、
母への不満、
息子への不安、
自分の自己肯定感の低さ、
もしこうだったらいいなという望み、などなど。
手書きだと、スマホやパソコンのように、
早く書けません。
その遅さの分だけ、頭の中で、
気持ちを一つ一つ整理することが出来て、
悩みを解消してくれる効果があるそうです。
何回か書いていくと、
なんとなくすっきりしてきます。
書いた後はどうするのか?ですが、
読み返したければ、読み返してもいいですし、
そのまま捨ててもOKです。
大事なのは、感情を書きなぐること!
私は、たまに読み返して、
「先週はこんなこと考えてたんだ」
と、冷静に自分を見つめられる機会を作っていました。
2,母の人生を回想してみる
子どもを一番愛しているのは母だと思います。
しかし、私の母は、
私をありのまま愛してくれませんでした。
でも、母は、私を愛したくなかったわけではないんじゃないか。
私を愛したくても、愛せないほど、
大変な人生だったのではないかと、
そう仮定して、母の人生を回想して、
母の人生を理解する方法です。
ここからは、母の話や実体験をベースに、
私が想像も混ぜながら、
母について理解する為に、
母の人生を回想したものです。
~~~母の人生の回想~~~
母は28歳で、赤ちゃん(私)を妊娠して、
父とできちゃった結婚しました。
その後、2歳おきに、
妹が2人産まれ、三姉妹、
5人家族になります。
父は、仕事柄、転勤が多く、
三姉妹が生まれてから、
長野 → 沖縄 → 福岡
と、数年ごとに、転勤を繰り返しました。
母の実家は、神奈川で、
近くに頼れる親せきもいなくて、
見知らぬ土地で、
3人の子育てをするのも大変だったことでしょう。
そして、私の父は
育児を全て母に任せっきりだったし、
母親は子供に優しくしたくても、
優しく接する余裕もなかったのかもしれません。
・・・・続く
~~~母の人生の回想~~~
私が勝手に想像したことも含まれていますが、
母は父の転勤について行って、
知り合いがいなくて、
人の助けも得られず、
孤独に家事や育児を頑張っていたから、
子どもに優しくする余裕もなかったんだろうと、思いました。
これが正しいか、どうかは、
一旦、横に置いていただき、
もしそうだったら、母は母なりに、
精一杯、私を育ててくれたし、
私は愛されてないと思っていたけど、
母なりには愛してくれていたのかもしれない、と。
私が自己肯定感が低くて、
自分を好きになれない性格に育ってしまったのは、
母のせいでも、父のせいでも、
誰のせいでもないかなって、
そんな風に、理解できた気がします。
3,母の全ては愛情だったと考えてみる
まず、親に対して思っている負の感情を
いくつか思い出します。
(書き出してもOK)
それをに対して、
全ては愛情で、
子どものために良かれと思ってしてくれた、
と考えてみる方法です。
親に愛されていなかったではなく、
親に愛されていたという視点で、
物事を捉えなおす方法です。
(リフレーミングというそうです)
例えば、
私が、学級委員になった時に、
褒めてくれなかったことがありましたが、
私はなんで褒めてくれないの!と
悲しい気持ちになりましたが、
実は、この時、母は、
「この子が、学級委員になって
何か失敗した時に、クラスメイトに責められて、
傷ついたらかわいそう」
という愛情の気持ちから、
私を思って言ってくれたのかもしれない。
(言い方は別として)
他には、
私が長女だから
厳しくしつけられていて、
「お姉ちゃんなんだから」と常に言われていて、
私は妹をうらやましく、妬ましく思っていましたが、
実は、この時、母は、
「長女の私なら、しっかり者だし、
ちゃんとできる子になれるはず!
そのためには厳しい言葉が必要だわ」
と、母は私に期待してくれていたからこそ、
厳しい対応になったのかもしれない。
そんな風に、色々な出来事について、
捉えなおしていくと、
母なりの愛情があったのかなと、
だんだん思えるようになっていきました。
ただ、これは、一人でやるのは結構難しいです。
機会があれば、お友達と話すときに、
「お母さんと向き合う方法があって、
ちょっと試したいんだけど、
付き合ってもらえないかな?」
と、誰かと話しながら、考えてみるのもおすすめです。
毒母と向き合うことで、
私は、日々の生きづらさ・不安から解放されましたが、
子どもの不登校問題はまだ解決していなくて、
引き続き取り組んでいきたいし、
もっと子どもの好きをみつけてあげたいし、
もっともっと笑顔でいられる時間を増やせるようにしたいです。
そして、私と同じように母との問題を抱えている人に、
私の記事が届いて、少しでも楽に生きられる助けになったらいいなと思います。
最後まで、読んでいただき、
ありがとうございました。