39歳、学習障害&不登校の小2息子と二人暮らし、

シングルマザー、たえちです。

 

過去の私は、自己肯定感が低く、 

仕事も子育ても楽しめない自分が嫌いでしたが、 

母親との関係に向き合うことで、毒親の呪いが解けて、

育児にイライラがなくなり、

子供の好きを育てられる母親になれました乙女のトキメキ

 

自分ストーリー① の続きです。

(①はこちらから↓↓)


母から愛された実感がなく、
「ここにいていい」「生きてていい」
という感覚がないままでしたが、
大学あたりから、自分の道を模索し始めていました。

そして、新卒で、
一部上場企業のグループ会社に就職し、
年収もよい方で、400万ぐらい、
いい感じの会社員生活をスタートしました。

社会人になれば、親元を離れて、
自由な暮らしが手に入り、
私もやっと幸せになれる、と思っていました。

しかし、社会人になると、
これまでと環境ががらりと変わり、
仕事も人間関係も、これまで以上に
うまくいかなくなっていきました。




特に、直属の上司とは、

本当に相性が悪かったんです。

仕事を与えられて、理解できなくても、
上司が機嫌悪いので、聞きに行くタイミングが分からず、


結構時間が経ってから、

勇気を振り絞ってようやく、聞きに行くと、

「なんでもっと早く聞きに来ないんだよ!」

と、怒られました。

 

怒られるので、

さらに聞くことが出来なくなり・・・

負のスパイラルに陥っていきました。

 



ある日、その上司と他の同僚と、
3人で打ち合わせをしていて、
私が質問すると、上司の怒りに触れてしまい、

「なんでそんな事も分からないんだよ!」

デスクをたたいて、
上司、大爆発!!!


その音がフロアー中に響き渡り、
何十人という社員の視線が私に集まり、
私は頭が真っ白になりました。

その後、なんとか上司の怒りの鉄拳から逃げ、
トイレにこもってひたすら号泣して、
なんとか気持ちを取り戻して、席に戻りました。

すると、同じチームの社員が、
私がショックでどこか行っちゃったんじゃないかと
必死に捜索しているところで、
帰ってきた私の姿を見て、
全員ほっとしていた顔をしていたのを、
今でも鮮明に覚えています。

 

 

私、仕事も出来ないし、

皆に迷惑もかけるし、

本当消えたい、、、


毎朝、本当に起きるのが辛くて、
入社半年も経たないうちに、
辞めたいと思うようになりました。

今、思い返せば、
不機嫌な母を見て育ち、
褒められた記憶がほぼなく、
自己肯定感が異常に低かったので、
仕事が出来ない自分はここにいる価値がないと、
心を閉ざして、余計に人間関係を
こじらせていたように思います。

そして、3年ほど勤めて、
転職し、次の会社に行きました。



転職したら、仕事も人間関係も
うまくいくと思っていました。

しかし、現実はまた同じでした。


次の職場でも、
仕事も人間関係もまた上手くいかず、
この会社は、たった一年で辞めてしまいました。

また次の会社に入っても、
仕事もうまくいかず、、、、


30歳になり結婚への焦りもある中で、
合コンで結婚相手である夫と出会い、
すぐにできちゃった結婚をしました。


社会人になったら、、、
転職したら、、、
結婚したら、、、

 

幸せになれるんじゃないのかな??

 


私は、自分の自己肯定感が低いままで、
転職したら、

結婚したら、
幸せになれると思い込んで
いました。



それに、結婚をすれば、
さすがに、母は、私を認めてくれると思っていました。

母は、

”女は、大学なんていかずに、
 すぐ就職して、
 結婚するのがいい”

という考えで、

大学、大学院に進学して、
就職して、バリバリ仕事をする私は、
母から、結婚しないだろうと
思われていました。

その私が、結婚する!
赤ちゃんも出来たし!!
しかも、お相手は公務員で安定している!!!


これなら、母は、

喜んでくれるにちがいないと!!!!!




でも、母は喜びませんでした

何が気に入らないのか分かりませんでしたが、
私のすべてが気に入らなかったとしか、
言いようがありません。

結婚式にも、出たくないと言いました。

私の結婚式すら、喜んでもらえないんだなと、
私はますます自己肯定感を損なっていきました。

なんとか母を説得して、
結婚式には出席してもらいましたが、
心から喜べる式ではありませんでした。


その頃から、母は結婚生活や出産について、
ますます口うるさくなり、
それが苦痛になり過ぎて、
母との連絡を控え、
少しずつ距離を置くようになっていきました。

 

母から離れる決意を

少しずつしていくことになります。


自分ストーリー③に、続く。