「fate」

*29*

「婚約」


両家の食事会のあと、自宅マンションに帰ることにした。
行き先を失ってしまった指輪は、デスクの引き出しの奥に、仕舞った。

翌日、久々に、仕事に向かう。しばらくの間は、実家の自家用車で、送り迎えをしてもらうことになっていた。
部屋に籠り、休みの間に、溜まってしまった書類や仕事を片付けていると、部屋のドアをノックする音が聞こえる。

「どうぞ」

ドアの方に、顔を向けずに返事をする。
コツコツというヒールの音に、顔を上げた。

「こんにちは」

キム・ヒジュが、笑顔を向けている。
両家の話し合いの結果、今週末、婚約式を行うことになっていた。

「近くで、雑誌の撮影をしていたんです。仕事が終わったんで、良かったら、今から、お昼ごはん、食べに行きませんか?この近くに、美味しいフレンチレストランがあるんです。あと、ペアリングを買わないといけないので、付き合ってくれませんか?」

「……わかった。少し、待ってくれるか?」

ヒジュが運転する車で、フレンチレストランで遅めのランチを食べ、そのあと、有名なブランド店の重厚なドアを開けた。
ショーウィンドに並べられているアクセサリー。

「どれに、しようかな?」

ヒジュが、楽しそうに、ショーウィンドを眺めている。オレは、近くの椅子に腰かけた。

「じゃあ、コレ。どうですか?」

ダイヤモンドが、真ん中に一個、埋められている指輪を嵌めて、オレに見せる。

「…いいんじゃないか」

支払いを済ませ、店の外に出る。

ヒジュに、また、会社まで送ってもらう。

「また、ゴハン、食べに行きましょうね。」

運転席の窓を開け、ヒジュが小さく手を振る。
車が走り去るのを見ながら、会社へと戻った。

そして、翌朝、母親の電話で起こされることになる。

「あなた、週刊誌に載ってるわよ」

「はい!?」

「ふたりで、指輪を買う姿、パパラッチされたみたいね。ヒジュさんは、有名なモデルなんだから、こうなっても、仕方ないわね。まぁ、いいじゃないの。」

母親は、終始、上機嫌だった。

そのあと、ヒジュからも電話があった。

「すみません。ご迷惑をかけてしまって…」

「仕方ないことだろ。お前は、有名人なんだから。で、事務所は、なんだって?」

「事務所には、縁談の話もしてありますから、大丈夫です。」

「悪いが、お前だけで、記者会見してもらってもいいか?事実だけを伝えてくれ」

「はい、大丈夫です。」


オレは、会社のテレビで、ヒジュの記者会見を観ていた。
自分のことなのに、他人事のように、思えてしまう。

大事な記憶を失い、本当の自分が見つからないまま、まるで、濁流に飲み込まれるように、運命に、流されていく。



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