昭和20年7月19日、新神足村(現長岡京市神足地区)では空襲を受け、尊い一名の犠牲者を出しました。長岡京市ではこのような悲劇を繰り返さず、平和への尊さを後世に伝えるため、7月19日を「平和の日」と定めています。(長岡京市HPより)


私が子ども時代を過ごした昭和30年代は、まだ敗戦から10年ほどしか経っていないのに、もはや終戦後を感じることはなかったように思う。むしろ、躍動感があり、豊かでさえあると感じていたように思う
父から防空壕に避難した戦争中の話を聞かされ、怖くて泣き出してしまったことを覚えている。叔母からは出征する兵士さんに送るお守りの千人針の話も聞いた。母から芋のツルは食べられることを聞いて驚き、すいとんを作ってもらっては珍しがって喜んだ。お米が配給であったことを聞いてかわいそうで泣いた。その頃の母の実家にはまだ米穀通帳が残されていました。


いのち輝く長岡京市平和都市宣言http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001592.html
敗戦国となった日本はがれきだらけの廃墟となり、日本経済は戦前の水準にもどるまで100年はかかると言うほどの打撃を受けたはずだときいています。しかし、日本はわずか10年で世界強国の仲間入りを果たしました。


そこにはやはり、ひとつ、人材の力や技術力も大きな要因ではなかったでしょうか?
戦争をしない平和な国として世界に認知され、悲しみの中にも秩序を失うことなく復興に邁進できたこと。

平和を感じる瞬間はいつですか?

日本の文化は地域から生まれ育っていくもの、知恵と力を合わせて平和の文化を創造していく

このことを誓い、確認し合えた日になりました。