長岡京市成人式が長岡京記念文化会館で晴れやかに開催されました、おめでとうございます!746名の新成人の皆さまの輝かしい未来に幸多かれと祈ります!





 大人になるってどんなことでしょう?自分の思いを隠す?体裁を取り繕う?もちろん誰はばかることなくお酒を飲める、いろんな制約が解除されるわけですが・・・


私が今にして思うことは、大人になる。つまり生きていく上で『覚悟』みたいなものを認識することだと思います。もちろん、私自身は20歳のころはそんなことは全く考えていませんでしたが・・・





 本日、成人式に参列させていただいて20年前のことを思い出していました。

阪神淡路大震災・・・今まであまり震災当時のことを話したことはありませんでした。


毛布にくるまって道路に座っていた人たち、

家族が生き埋めになっている人が「助けて!」と叫んでいたこと、

非常ベルの音が鳴り響いていたこと、

高速道路が落ちていたこと、

家の電話が繋がらず、公衆電話に長蛇の列ができていたこと、

髪を燃やしたようなにおいが充満していたこと、

信号が倒れていたこと、

時々ゴ―ッという地響きが聞こえてきたこと、

瓦礫で道が通れなくなっていた、

171号線に枕・毛布など生活用品が飛び散っていたこと、

避難所の小学校の体育館が遺体安置所になっていたこと、

寒くて、暗くて怖かったこと、

ほんの数分でもひとりになるのが怖かったこと、

もっと大きな地震がくるのでは?と不安になり余震で揺れるたびに涙が出たこと、

水がなくて水洗トイレが大変なことになっていたこと、

リュックサックを担ぎマスクをしている人が多かったこと、

神戸の街が真っ暗だったこと、

警官が何人もたっていたこと、

暖かい食べ物が欲しかったこと、

シャンプーができないため髪を短くした人が多かったこと、

自衛隊のお風呂がまわってきたこと、

給水車があまり廻ってこないので、道路から溢れる水を汲んでいた人、

カセットコンロが配られていたこと、

「倒壊の恐れあり」とか「私はここにいます」という張り紙、

ぼこぼこにへこんだ車、

そんな風景を走馬灯のように思いだしていました。


「地震なんて人ごと」ずっとそう思っていましたから、何ひとつ防災の用意はなく、意識もゼロでした。突然襲ってきた大地震によって、家の中はミキサーにかかったようにもうめちゃくちゃでした。目の前をテレビが飛ぶ、冷蔵庫は反対側の壁にあたりまた戻り中の物がすべて飛び出す、和ダンス、整理ダンス、洋ダンスもすべて倒れ、電気は根元から引きちぎれ、まるで船が沈没していくような…しばらくは何が起こったのか全くわかりませんでした。

離島育ちの夫は、「すぐに津波が来る 山へ逃げよう」といって私の手を引いて走りましたが、道路が寸断されており道が割れていました。ガスの漏れるにおいがとても怖かった。この世の中で生き残ったのは私たち二人だけかという錯覚に襲われました。その時、神戸でさえこんな状態なのだから、東京はもっと大変なことになっている。長岡京市にいる父は母は?という思いが過りました。『日本沈没』という映画を思い出していたわけです。


その頃の私は、他人に干渉されない、回覧板が廻ってこない、そのような生活を望んでいたように思います。しかし、水と人の心がとてもありがたかった。


今は日頃からの近所付き合いが大切だと痛感しています。近所付き合いには煩わしさがあるかもしれない、しかし普段から積み重ねてきたお付き合いこそがいざという時に大きな力となる。お互いの家族構成を知っておくことはとても大切なこと。寝たきりの人、またその家族を介護している人、避難所まで行けない人のことを思うと、災害時にリーダーシップをとれる人が必要です。


神戸の街はいま、ここであんな大きな震災が本当にあったのかと思うほど、きれいに街並みがよみがえっています。平成7117546分 阪神淡路大震災、死者6434


人の命というものは、なくなったら終わりじゃない。亡くなった人の命が、生き残った人たちにどれほど大きな意味を残していくのか、心の中に生き続けていくのか・・・、今も苦しみながら生きていくしかない。そんな思いの方はたくさんいらっしゃると思う



<花びらは散っても花は散らず、人は去っても面影は去らない>


 人は忘れることによって癒される。大切な人やものを失ったとき、ある程度の時間を経てそれ以外の身の回りの出来事が増えるに従って一日中頭の中を占領していたものが薄れていく。そんな繰り返しによって、少しづつ癒されていくのだと思う。 

あれから20年、私は少しは成長したのだろうか?


 超高齢化社会が進むなかで、孤独死や老々介護等の問題がクローズアップされ、冷たい社会化現象が進むことを恐れます。その反面で若いボランティアが多く東日本大震災被災地に向かう姿を見ると、まだまだ日本は大丈夫だと思います。


 阪神・淡路大震災は、ボランティア元年と呼ばれ、NPO法制定、被災者支援法制定と制度は充実の方向に向かいました。しかし防災の地域協力については、まだまだのように思います。自助:共助:公助のなかでは自助のウエイトが一番高いと思います。その次に共助です。大きな災害のとき、市や警察、消防はすぐに現地での対応はできません。


安心安全の地域づくりを進めることは重要なことであり、災害弱者をなくすためにも、個人情報の保護は大切ですが、住み暮らしている地域の安全安心を高めていかなければなりません。