朝日時代小説大賞の選考委員のひとりが葉室麟さんだった。
連作物には手を付けず、時に文庫書き下ろしも書きながら、コンスタントにハードカバーを出し続ける姿勢は秘かに憧れであった。
作品のいくつかは映画化され、ポスト藤沢周平の位置におられた方だと思う。
作風から無口な人物を想像する方も多いのではないかと思われるが、もとは九州の新聞記者をやっていただけあって、実は饒舌な人である。
葉室さんをよく「温かな目を持った作家」などと表現してるのを見るが、個人的に感じたのは新聞記者の経験からだろうと思われる公平さである。
たとえば、社会的な弱者を差別せず、悪人をも公平な目で見る。その姿勢にぶれはない。
これは固定観念に縛られず、ステレオタイプの人物を描かない、ということである。
人気小説「蜩ノ記」でも闇で襲ってきそうな百姓たちに怯える武士、逆に武士さえも襲おうとする百姓といった、これまでの小説にはあまり描かれていなかったような人たちが出てくる。
「時代小説を書いている者は、一度は京都に住まねばならぬ」
と、単身で京都に住んでいたのも、取材を大事にする元新聞記者らしい態度である。
京都のマンションも決して豪華な造りではなく、壁に備え付けられたテーブルで書いていたと話されていたのが印象的だった。
その葉室さんが「柚子は九年で」(文春文庫)という随筆を書かれている。
直木賞をとった二年後の2014年の発行である。
直木賞受賞の喜びが素直に伝わってくる随筆集であるが、その中に2009年に、葉室さんと一緒に直木賞候補にノミネートされた北重人氏の思い出が書かれている。
中年以降に小説を書く仕事についた人間には、時間に対する特別な思いがある。作品を書くために自分に許されている時間はいったいどのくら残されているのだろう、と考えてしまうからだ。
北重人さんもそんな思いを抱かれていたのではないか。
とし、北重人氏五十七歳のときの言葉を引用している。
年齢を重ねたぶん、時や時間に対して体感といえるものを持つようになった。体も頭も、あと二十年保てば、まずはよしとしなければならない。だから、ひどく時間が愛おしい。これは、若いころにはなかった感覚だ。若いころは、自分の持ち時間についてなにもかんがえなった。時は無限、生はいつまでも続く、と漠然と思っていた。しかし、いまは切実に思う。時とは、これほどまで限られたものなのかと。
北氏は、この言葉の四年後、六十一歳で逝去された。
葉室さんは、続けて書く。
中年を過ぎて小説家になった者として、託されたものがある。そう思っている。
この言葉こそ、小説家・葉室麟の姿勢を端的に表していると思われてならない。
「柚子は九年で」は、短い随筆集ながら、いい言葉がたくさんある。
その中からふたつだけ書き抜いてみたい。
書き続けているうちに、懸命に過ごせば、移ろい過ぎる時は豊かさを増すことができるとわかるようになった。時間は長くなりはしないが豊穣にはなっていくのだ。
勝てないかもしれないが、逃げるわけにはいかない。できるのは「あきらめない」ということだけだ。
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