先日、二十歳くらいの子と話をしていて、「電話帳」といったら通じなかった。
その話を友人にしたら、町内会のラジオ体操での一件を聞かせてくれた。
町内会のラジオ体操は、いまどきではあるが、レコードを使っていた。
レコードを掛けてくれ、と言われた若い子は、レコードの外側ではなく、中心に針を置いたのだった。
この手の話は結構たくさんあって、「贈答用にしてください」とお願いしたら、アルバイトの子は分からなくて、次に来た店長(といっても、これまた若者だったが)も分からなかったことや、領収証の宛名に「上様で
お願いします」といったら、ひどく驚かれたこともある。
また、生ビールを頼んだら瓶ビールが来て、「頼んだのは生だよ」と言うと、瓶ビールのラベルに書かれた生の文字を見て、「それが生ビールです」と言われたなど、笑い話のような実話もある。
カラオケの映像に、あまり登場しないアイテムに携帯電話がある。
携帯電話は、移り変わりが早く、すぐ映像が古く感じられてしまうからだという。
意図して書いたのでなく、無意識に書いた文中に、分かりにくい単語があるのは、損だ。
気をつけなければ。
ただ、時代小説はこの例ではないようだ。
たとえば、熨斗目だとか、へっついだとか、股立ちを取る、なんて単語や表現は分からない人も多いかも知れないが、雰囲気として分かればいい。
これをいちいち解説するのは、難儀だし、読み手もイライラする。
そこが時代小説が現代小説と違う点の一つだ。
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