新宿から地下鉄都営新宿線に乗り、曙橋で降りる。駅から病院は十分も掛からない距離である。
「あ、ケーキが来た」
徹の姿を認めるなり麗名が声を上げる。
「ケーキだけが嬉しいようじゃないか」
徹は大人げなくも、思わずむっとする。
「パーセンテージで表すと80%くらいかな」
「俺の存在は20%という訳か」
「年頃の娘の父親としては悪くないと思うよ」
麗名は屈託ない表情で笑う。徹は返す言葉を失った。
「ホールケーキばかりでは太っちゃうわね」
麗名はケーキを取り分けながら、再び笑い掛ける。病魔と闘いながら、なぜこうも明るく振舞えるのか。我が娘ながら、徹は麗名の胸中を測りかねた。今死んでしまえば、十七年という短い生涯を覚えている人間など時間とともに次第にいなくなる。この世に存在した証すら残せず、みんなの記憶から消え去る。芸術家だったら作品が、実業家だったら事業が、政治家だったら名が残るかも知れない。しかし、十七歳の存在などすぐに忘れ去られる。自分とて同じだ。四十数年生きて来たが、会社を逃げるようにして去り、今は社会の片隅でひっそりと生きている。何か人に役に立っている訳でも、有意義な仕事をしている訳でもない。ただ生きているだけだ。考えてみれば、製紙会社の営業マンとして働いている間も有意義な暮らしをしていた訳ではない。自分の人生はこのまま、ずっと変わらないと理由もなく盲信して、日々を無為に暮らしていただけだ。嫌なことがあれば酒に逃げ、家庭内のごたごたは我慢がならず離婚という卑怯な道に逃げ込んだ。広い通りから裏通りに入り、生活臭がして来ると、いつも面倒になってしまう。狭い通りにこそ、人の本当の暮らしがあるはずなのに。
「どうしたの?」
ひと気づくと、麗名の顔がすぐのところにまで迫っていた。
「いや、何でもない。それよりマグカップのような大きなものはあったっけ?」
我に返った徹は照れ隠しに、わざと大きな声を出した。これでいい、と差し出された
カップを手にして水を汲みに廊下に出る。たっぷりとプロテインを入れてから、冷水機からカップに水を注ぐ。
「なに、それ?」
うまく溶けず、粉だらけになっている飲み物を目の辺りにして、麗名が目を丸くする。
「プロテインだ。これでも少しは身体に気を遣っている」
「中年が身体に気を遣いだすのは老化を感じ始めた証拠だって話よ」
「いっぱしの口を利くようになったじゃないか」
「世間に揉まれているからね」
麗名は取り分けたケーキを紙の皿に入れて、徹に勧めた。
(あと何日。あと何回)徹は湧きあがって来る幸せを噛みしめながら、胸の中で思った。