(23)

「三百万か……」

 徹は習慣となったジョギングをしながら、大きく息を吐いた。三百万はまとまった金だ。この先、ピンサロに勤めながら天引きされたのでは何年経ったら稼げるか分からない金額である。この前、田中から渡された金が手元に五十。併せて三百五十万円になる。それだけあれば、麗名の治療費も何とかなりそうだ。ファイトマネーの大きさは、代償が大きいことを表している。徹か相手が死ななければ試合は終わらないだろう。勝利を拾えたとしても、身障者になる可能性もある。もし引きずって歩くような身体となれば、自ら命を断つ必要すらあるかも知れない。徹は走るのをやめて、歩き出した。俄かに眩暈を感じたからだ。

(四十半ばで死す、か……)若死にではあるが、死んでもおかしくない年齢だった。しかし、その番が自分に回って来ようとは。そこまで考えて、徹は(試合を受けよう)と決意している自分に気付いた。出口の見えない暮らしには飽き飽きしていた。この先、細々と生き長らえても待っているのは糞のような生活でしかない。それならば、最期くらいはぱっと華を咲かせて散りたい。徹はリングに上る人間たちの気持ちが分かったような気がした。必ずしも金だけが目的ではない。世の中の片隅で誰にも気づかれず、フェイドアウトして行くような死に方ではなく、衆人の喝采を浴びながら死んで行く。惨めな暮らしの中では、そんな死に方すらひどく魅力的に思えた。

 徹は再び走り始める。死ぬにしても恥ずかしい死に方はしたくなかったが、《斬》で求められるのは格好の良さではない。人々の笑いの中で死んで行くことになるのだろうが、それはそれで構わない。

 哲学堂公園に着いたところで徹は携帯を取り出し、轟に電話をする。スーパードランク級への参戦を伝えるためだ。轟はまだ寝ていたのか、不機嫌に「分かった」と告げ、乱暴に電話を切った。携帯をポーチに仕舞った途端、急に震えが来た。

(もう、後戻りはできない)徹は自分が死刑囚になった気がした。誰もが生きている限りいつかは死ぬ「死刑囚」ではあるが、そんな考えは綺麗ごとに過ぎない。絞首台に続く階段を上り始めた徹にとっては、イベント日が死刑執行の日に他ならない。少なくとも一か月以内にはイベントが行われ、何らかの結論が出る。

 限られた時間をどう過ごすのがいいのか。取りあえずは、麗名と過ごせる時間を大事にしたかった。

 一旦、アパートに帰った徹は、麗名を見舞いに行くことにした。デパートに寄り、デパ地下でケーキを買う。下りのエスカレーターに乗りかけて、徹は慌てて上りのエスカレーターに乗り替えた。足はスポーツ売り場へ向かった。試合に役立つものはないかと、何気なく見ていると、プロテインのコーナーがある。筋肉増量とか、瞬発力アップなどの文字が並ぶ。そのうちのひと缶を手にしながら、(何をやっているんだ)と徹は自問した。一か月かそこらの間、プロテインなど飲んでも間に合う訳がない。棚に缶を戻しかけた徹だが、思い直してレジへ進んだ。(あの時、あれをやっておけばよかった)などと後悔は残したくなかったからだ。


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