コロナで逼塞3年、車を手放して10年、免許返上3年、。体力維持のためにジム通いと、脳活のための水墨画で5年、何とか無事に過ごすことができている。残り少ない人生、旅に出、展覧会を見、本を読み、このBlogで報告させていただくつもり。ご笑覧いただければ幸いです。
馬のイラストをネットで検索、数十枚の無料で利用可能な素材を見つけることが出来た。躍動感にあふれる元気が出そうな一枚を選んで、6号の水墨画用と、年賀状に縮小して使うつもりでB4サイズの用紙に一先ず下書きをしてみた。水墨画は今年度の教室は終了しているので先送りし、色鉛筆でB4サイズに着色をした。B4横長サイズに着色完了した時点では、残念ながらあまり上手く描けなかったと思ってまった。しかし、年賀状用にはがきサイズに収まるよう縮小してみると結構見られそうだ。一番、大事な点は躍動感が感じられるかどうかだ。小さくしたので、元気に飛び跳ねているように見えた。毎年、年末に翌年の干支の生き物を自身で描いて年賀状に使うことにしてから今年は7年目になる。毎回、ネットで調べたイラストを手本にしている。やっと午迄来た。残りは、未、申、酉、戌、亥の5種類となるがすべて描き上げることが出来れば老生も90歳となる。干支生き物の年賀状ひと回り出せれば嬉しい。
ここ数年、友人たちから 年賀状じまいの挨拶が数多く届いている。挨拶が必要な人にはメールですればよいとの考えが多いようだ。郵便局での年賀はがきの売り上げもかなり減少していると伝えられている。老生の考え方が古いかもしれないが、現役引退してからは、親戚や親しい友人たちには年賀状でご挨拶することに決めている。私の偏見かもしれないが、パソコンやスマホからのメールでの挨拶は心がこもっていないように感じるからだ。急ぎで連絡する必要があったり、会食や会合への参加か否かの返事を発信者にする際には手っ取り早くできるのでメール返信もOKと考えている。先日、友人の一人が米寿を迎え、その祝いを兼ねた昼食会を企画してくれた友人は出席予定者に丁寧にもはがきで案内状を送ってくれた。老生は筆まめではないのではがきは滅多に出すことは無いので驚いた。最もこの友人は元新聞記者だったので文章を書くことには慣れ、恐らくすぐ出せるようにはがきもストックしているのだろうと拝察した。勿論、文章は手書きではなく、印刷だが心のこもった暖かさを感じることができてうれしかった。
来年の元旦に86歳を迎えることになっている。数年前から、体力の衰えを感じるようになり、特に足が弱ってきている。一日おきに徒歩10分で行けるスポーツクラブだけは杖を突かずに通っているが(杖ついてスポーツクラブは様にならない)、他への外出は杖を持って出かけている。杖があったほうが歩幅も大きく、速度も速く歩けるからだ。最近顕著になったのが、体力だけではなく、脳の衰えだ。人の名前が思い出せない、暇なのでいろんなことに挑戦してはいるが、順番を間違えたり、思ったことを忘れてしまったり、やりかけで面倒になり中断したり、この件は今日でなくてもよいから今日はやめておこうと先送りしたり、物を探してもなかなか見つからなかったり、探す根気が無くなってきている。昨日は、パソコンがインターネットにつながらなくなってしまい、3時間くらいルーターやその他の機材の電源を入れたり外したり苦労したが復旧しない。契約しているCATV会社に電話し助けを求めた。親切な女性のオペレーターが対応してくれリモートでチェックの結果、ルーターには問題ないとの事。「ところでお客様のパソコンにケーブルは繋がっていますよね」と確認された。チェックするとパソコンからケーブルが外れていたのだ。ケーブルを挿したら復旧。ケーブルが外れたのには気づきあれこれ差し替えたりはしたが、パソコンに繋ぐとは考えなかった。来年は何とか脳力取り戻したいものだ。
今年も流行語大賞が発表になった。受賞したのは高市総理の、「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、国民のために尽くす」との総理就任時の発言が大賞に選ばれた。念願の総理の座に就き、頑張らなければとの思いを素直に口にしたと拝察する。高市さんは無類の勉強家として有名。夜中の三時まで国会での答弁の準備をして、周りの人間に苦労させて、申し訳なかったと謝罪されたこともあった。噂によると、人付き合いはお好きではなく、会食などもほとんどしないとのことだが、飲み食いは別にして、ご自分が任命されたとされている閣僚たちや、党幹部たちと交流するべきと拝察する。例えば、台湾が「戦艦」で攻められた場合には有事に値すると考えると発言、中国の猛反発を生んだが、米国は曖昧戦略をとり、介入するかどうかは明言していない。それなのに、高市さんは米国が介入すると決めてしまっていたようだ。正直なのは悪いこととは言えないが、政治家は臨機応変、過去の自身の発言など無視しても問題はない。高市さんは政治家としては未熟。未熟な総理の下、何が起こるかわからない怖さが感じられる。高市さんは不適任、手遅れにならないうちに退任してほしいものだ。
今日九州場所千秋楽。両横綱と関脇安青錦の三人が三敗で迎え、優勝決定戦での決着が予測されていたが、怪我の為、大の里が休場してしまった。この結果、豊昇龍が不戦勝となり優勝の可能性が大きくなったと伝えられた。もう一人の三敗は関脇の安青錦。今日は大関琴桜との対戦、老生は琴桜も好きな力士の一人だが、昨日勝ち越したので、安青錦が勝ってほしいと願った。幸い、安青錦が熱戦の末、勝利した。これで12勝3敗同士で、安青錦と豊昇龍の優勝決定戦となった。この両力士は、安青錦が三連勝し、一度も負けていない。横綱としては屈辱的な取り組みだろうと拝察。豊昇龍としては難敵だが4連敗は絶対にしたくないだろうが、決定戦の土俵に上がった時の表情にいつもの憎々しさが見られなかった。相撲を取らなかった横綱と取り終わったばかりの関脇では当然横綱が有利と残念ながら4連勝は無理かなと思っていたが結果は安青錦が完勝。豊昇龍は持ち前の腕力の強さも発揮できずに良いところなく敗れてしまった。思わず飛び上がって喜んだ。安青錦は場所後大関に昇任することが理事長から発表された。来場所の大関安青錦の活躍を期待したい。
昨日行われたワールドシリーズ最終戦、大谷が先発も通常より短い中3日だった為かボールの切れが悪く2回二死満塁のピンチは何とか切り抜けたが3回にスリーランホームランを打たれ降板となった。このシリーズではドジャーズ打線の好不調が試合ごとに代わり結果、3勝3敗で最終戦をトロントで迎えることになってしまった。大谷の後は、中2日のスネルが引き継いだ。大谷は降板後も打者として2安打を放ち出塁、ホームインし打者としては貢献することが出来た。スネルの後にもドジャーズ救援陣が失点せずにつなぎはしたがドジャーズも得点することが出来ず、試合はこのままブルージェイズの勝利で終わりそうだった。野茂さんがいた時代からのドジャーズファンの老生だが、ほぼ負けを覚悟、そう簡単に連覇できないと諦めの心境にあった。9回、何とか同点に追いつき試合は振出しに戻った。9回には恐らく佐々木が登板と思っていたが、なんと昨日投げたばかりの山本がブルペンから出てきてマウンドに向かったのは驚きだった。9回から延長11回までの3イニングを投げきった。この試合に決着をつけたのはスミスのホームランだった。11回ダブルプレイでゲームセットとなると小柄なスミスがマウンドの山本を抱き上げた。普段は冷静なスミスも相棒の献身的な登板に感謝感激したものと拝察した。これで来年まで大リーグ中継が見れないのは寂しい限りだ。
今まで使っていたAUの携帯電話が最近ショートメッセージ機能などが使えなくなったりしていて不便を感じていた。昨日は月二回の水墨画教室と月一回のアクリル画教室が午前午後ダブルヘッダーであった。水墨画教室は9:30カラ11:30。アクリル画教室は13:00から16:00のスケジュール。ウエスタ一階のパン屋さんで好きなパン二個と飲み物で昼食とした。窓際のスタンド席で外の様子を見ながらのんびり過ごしたが30分程度で食べ終わってしまった。時間潰しに2階のノジマ電気で携帯を見ることにした。店内に大きくAUのフラッグが掲げられているコーナーーがあったのでそこにいた店員に相談してみた。私の携帯は相当古いので新しい機種に変えた方が良いとのアドバイスだったが講座の時間になってしまったので4時過ぎに再度来店すると言い名前を聞いておいた。4時過ぎ店に戻ったが担当者は接客中30分ほど待たされた。彼のアドバイスでAUからドコモに乗り換えを決め身分証明書を要求されたが持参していないと答えると契約できないとの返事。試しに障碍者手帳提示するとOKとなった。結果的に他社から乗り換えでいろんなポイントサービスの対象になるので今までより安くなるとのこと。契約を済ませ新機種の色決めた後アプリケーションの移行で1時間ほどかかり帰宅できたのは7時ごろとなってしまい長い一日だったが充実した一日だった。
自民党総裁選、高市嫌いの老生にとってははなはだ不本意な結果となった。小泉総裁の誕生を祝うつもりで総裁選実況中継を生で見ていたのに麻生の悪画策で小泉が破れてしまったてがっかりだった。してやったりの麻生派党幹部人事を勝手に決めてしまった。小泉についた人達は一人も起用されなかった。自民党だけでは政権は作れないとの考えで高市は極秘に国民民主の玉木と最初に面会したようだ。本来なら連立を組んでいる公明党に最初に挨拶するべきだった。これに反発したのが公明党だ。面会した高市に難題を突き付けたがは意に介さなかったとのことだ。2度目の会談で返事を求められた高市は自分一人で決めるわけにはいかないと数日間の猶予を求めたがその場での返答求められ返事公明が連立離脱を表明。高市は驚愕したとのことだが公明は会談すら打ち切ってしまった。高市は突然言われた、今日は地方の意見伺うつもりだったとか言ったとのことだったが後の祭り。公明としては麻生にしっぺ返しをしたのだろう。これで、高市が総理になれるか微妙になってきた。野党がまとまれば政権交代となるがスッキリ纏まることが出来るかも微妙のようだ。世事おたくの老生にとっては暫く楽しい日が続きそうだ。
先ほどまで行われていた自民党総裁選。テレビでほぼ2時間実況中継を席も立たずに見ていた。党員党友票では高市が第一位になることはあらかじめ判っていたので小泉が2位で仕方がないと思っていたのでその通りでも動揺しなかった。議員票では小泉は80票で一位となった。林さんが善戦したが3位どまり。決選投票は小泉対高市で行われることになり、投票前にそれぞれ決意表明のスピーチを行った。小泉はマスコミなどから原稿みながらでないと喋れないと酷評されることもあったが今日のスピーチは自信に満ちた語りかけだった。高市はダラダラではなくいつもの調子より短いものだった。決選投票の結果は、小泉当選を確信していたのだが議員票でも高市が小泉を上回り圧勝だった。高市嫌いの老生にとっては最悪の結末だった。噂によると麻生が小泉だけは総理にしたくないと発言したことが影響したとのうわさもあるが明日以降のマスコミの取り上げでわかるだろう。今日は悔しくて悪い夢を視そうだ。
今朝起きると霧雨。朝食後ゴミ出しに行った時には殆ど止んでしまっていた。これでは庭のミズヤリが必要かなと思っていたら大粒の雨が降ってきた。すぐに土砂降りとなった。当地は理由は知らないが、実に雨が降らない土地なので久々の大雨、恵みの雨だ。ほとんど毎日、朝夕、庭に植えてあるバラやアジサイ、カサブランカ、サツキ、鉢植えの柚子、琵琶、北海道からもらった名も知らない草花などにミズヤリが必要だ。家人は食事の用意をしてくれるのでミズヤリは老生が担当している。蚊に刺されぬよう、暑いのを我慢して長袖シャツと長ズボンを着用し麦わら帽子に手袋、眼鏡もかけての完全防備。一通り水を撒くのに約20分かかる。部屋に戻る際には、衣類を良く払って、蚊を連れ込むことが無いよう注意をする。これだけ注意しても額とか耳たぶを刺されてしまう。蚊たちも一日一回人の血を吸わないと死んでしまうらしい。必死なのだろうと拝察する。
先日、家人の誕生日祝いに息子たちが持ってきてくれたひまわりをメインにした立派な花束。3台の花器に分けて食卓や居間のテーブル、玄関の棚に飾った。息子たちは家族4人で夕食を食べに来たのだ。息子夫婦に9月から警察学校に入校する上の孫、中学2年の下の孫。当初は息子と上の孫が来ると聞いていたのでそのつもりで食事の用意をしていたのだが4人全員現れたので家人は慌ててステーキ用牛肉を買い増した。。食事の前に息子とビールで乾杯。ステーキに合わせて赤ワイン1本を開けた。以前は泊まり翌日3夕食を食べて帰ったのだが今年からはベッドの準備や片付けが大変との理由で泊めないことにした。話がずれてしまったが普段は写真に撮ってプリントアウトして絵にするのだが今回は色鉛筆で下書きをしてアクリル絵具で仕上げてみた。
当地雨が降らず酷暑が続いていて外に出かけるのも億劫だが、これからマンションの集会室で「パーク居酒屋」となずけた飲み会に参加する。各自、好きな飲み物とつまみを持参しての参加費無料。毎月最終土曜日の5時半から8時まで常連は10名程度、女性も2名参加することが多い。このマンションも築40年、住人の半数位は現役を引退し暇のつぶし方に苦労しているようだ。万年青会と称する老人クラブもあり隔月で食事会を開いている。メンバーも40名以上に上り毎回盛会だ。女性だけに限定されたお話会や麻雀教室なども開かれている。映画鑑賞会も毎月開かれるようになった。数日前にポスターが掲示されたが来月からカラオケ大会も開かれるとの事だ。スポーツ系ではゴルフ、テニス、マットゴルフなどもある。老生はゴルフは止めてしまったし、テニスも学生時代はクラブでやっていたが今はとても無理だ。
お米にコクゾウムシが発生するのはよくあることなので驚くことではないが家人は大嫌いのようで時々駆除したいようだ。米とは関係ないがゴキブリなど出ると大騒ぎして駆除を命じられる。老生は学生時代住まわせていただいた神田の親戚ではお勝手にゴキブリがゾロゾロ列をなしていたので慣れていた。7キロ入りのプラスチック製の米櫃に発生したコクゾウムシを二人で一時間かけて150匹ほど駆除した。表面に次々と出てくるのだがちっちゃいのでつまもうとすると潜ってしまう。老生の経験からすると米を研ぐ前に暫く水につけておけば死んでしまうので問題ない筈だ。しかしそんな意見を言うとそんならあんたがお米を研いでと言われそうなので厄介なのでだまっていた。先日テレビで老後無事に過ごしたければできる限り相方の意見に異を唱えずにいたほうが良いとのアドバイスをしていた専門家がいたが確かにその通りだろう。たまにその教えを忘れてしまうことがあると、嫌な思いをすることになる。実際には難しいことだ。
今日は終戦記念日。昭和20年8月15日12時天皇陛下がラジオを通じて日本がポッダム宣言を受け入れたことを報告された。老生は当時5歳だったが、母や祖母、番頭さんやお手伝いさんと一緒に、店蔵の中に置いてあったラジオに向かって座っていた、10人位いたと記憶している。詳しいことは覚えていないが、天皇陛下の甲高いお声が流れてきた。終戦を報告された玉音放送だった。祖父は当時町長の職にあったので役場で職員らと一緒に聞いたとの事だった。この放送を聞いた国民の多くが涙を流したと伝えられているが我が家の場合は涙を流した人はいなかった。我が家の二階には映画「日本の一番長い日」の最後の特攻隊機が新設されたばかりの児玉基地から出撃したシーンに登場した一式陸上攻撃機の搭乗員たち10数名が寄宿していたが出撃していったものの引き返してきたので、恐らく14日には終戦が伝えられていたのだろう。子供心にも兵隊さんが無事に戻ってきたことに安堵したことも覚えている。
40年前の8月12日、羽田から大阪に向かった日航最終便が群馬県と長野県の県境にある御巣鷹山に墜落した。航空機の墜落事故としては最大520名の方々が犠牲になられた。群馬県警が捜索救援活動に出動したが現場までの道のりは険しく凄惨な現場に到着するのも困難を極めたとの事だった。全員死亡したものと考えられていたが、なんとスチュワーデス壱名を含む四名の生存者が発見され救助隊の心は癒されたと伝えられた。老生の読売新聞の記者をやっていた友人が群馬県出身との事で現地に派遣され現場の様子を報道、その後は次々運び込まれる遺体の納棺作業を手伝ったとのことだった。老生はこの日北海道を旅行中で紋別のすし屋で食事中にテレビ報道を視ていた。当時勤務していた会社では毎週役員会が開かれ大阪駐在の専務がこの便を利用していたので心配、問い合わせたらお盆で役員会はなかったとの事で安堵したことを覚えている。坂本九さんのマネジャーだった生田目君が犠牲になったことが解った。彼はピンキーのマネージャーとしてファミリー劇場の旅を続けた仲間だったので冥福を祈ったことも思い出した。
酷暑が毎日続いていたが、今朝は涼しい朝だった。玄関を細目に開け、廊下のドア、ベランダのサッシを開けた途端寒いくらいの風が一直線に駆け抜けた。恐らく4月以来の涼しさだ。起きてから寝るまで居間のクーラーはつけっぱなし、寝る際には寝室のクーラーをつけて寝るのが習慣になっていた。朝食を頂く際にもクーラーはつけず食べることが出来た。涼しい中での食事は気のせいかいつもよりおいしく腹いっぱい食べることが出来た。今日はジムには行かない日なので「グッドモーニング」「モーニングショウ」「純散歩」を見て、「カージナルス:ドジャーズ戦」大谷先発4回8三振1失点の好投の上29号ツーランホームランと活躍したが後続ピッチャーが打たれ逆転負けを喫したのは残念だった。昼食は夏の定番ソーメンを食べたが老生ソーメン好きなのでほぼ一日おきのペースで食べている。食事の後は取りためた録画でドラマの鑑賞「舟を編む(辞書を編纂する異色ドラマ)を3本、「森村誠一:時」三浦友和主演を楽しんだ。そしてボケ防止を目的にブログを更新した。後は一杯飲みながらの夕食をとれば寝るだけだ。食べることが出来た
連日の猛暑。我が家はマンションだが一階なので庭があるので、バラやカトレヤ、琵琶、柚子など地植えと鉢植えで育てている。当地は何故かほとんど雨が降ってくれないので朝晩のミズヤリが必要だ。暑さを我慢し蚊に刺されぬよう長袖長ズボンを着ての作業になる。毎回20分程度になるが暑さを我慢しながらの作業だが帽子をかぶり、眼鏡をかけ、軍手もはめているのに必ず額、首筋、手首などを一二か所刺されてしまう。これがまた我慢できないほどの痒さだ。かゆみ止めを塗るのだが暫くかゆみは止まらない。今日は、先ほどミズヤリヲ終わった直後に雨が降り出した。恐らく一月ぶりの雨と記憶している。ミズヤリをもう少し遅くすればよかったと悔やんだが後の祭り。年を取ると何事によらず損得勘定に拘るようになってしまった。損得など考えずに遊び歩いた昔が懐かしい。
日本列島は酷暑に見舞われ、連日どこかで過去最高気温が更新されている状況だ。今日過去最高を記録した伊勢崎市は群馬県だが、埼玉県で暑さが売りの熊谷市と利根川をはさんで対岸になる。熊谷ではデパートの入り口に大きな温度計の模型を毎年飾っているが今年は最高を突破し足りなくなってしまったとのニュース流された。当地、川越も連日猛暑が続き、他の地域と異なり雨も全く降ってくれない。暑さに弱い老生には辛い毎日が続いている。それでも、家人に促され近くのスポ-ツクラブに一日おきに通っている。首に、冷凍した首巻をしていると多少は涼しく感じられ、ウオーキング20分、エアロバイク30分をこなし暑いシャワ-を浴び、帰りに新しい冷凍首巻をして帰ってくるとかなりすっきりする。今日は、スポ-ツクラブは行かない日なので、朝からクーラーをかけっぱなしで過ごしている。買い物にも出かける気にならずテレビの前に座りっぱなしドジャーズの試合を見たり撮りためた録画ドラマを見て過ごした。昨日はさぼったブログを書いているが明るい白熱灯3個の下なので熱いが仕方がない。
今日から八月、いよいよ最も暑い日が続くことになるはずなのに多少涼しいようだ。今年の異常気象、6月から猛暑に見舞われている。おまけに当地、川越はほとんど雨が降らない日が続いて、きちんと記録していないが梅雨入りしても降ったのは精々2日だけ。雨が嫌いな老生にとって、川越は大変住みやすいと思っているがさすがに今年の猛烈な暑さには辟易だ。マンションの一階なの10坪ほどの庭があり、バラやアジサイ、カサブランカ、サツキなどが植えてあり順繰りに花が咲き心に安らぎを与えてくれている。既に引退生活も20年を超え、車も手放し免許も返上、一日おきに近くのジムで2時間ほど過ごすのとすぐ近くのスーパーで買い物する以外は殆ど外出もしないので朝晩のミズヤリをしながら花の様子を見るのが楽しみ。我ながら変われば変わるものだと不思議な思いだ。