すっかり間が空いてしまったけれど、状況はあんまり変わっていない。
少し元気になったかと見えて、相変わらずよく寝る。
遅めに起きて昼寝して、「あーよく寝た」と午後6時過ぎに起きて夕食を食べたにもかかわらず、食後風呂に入るとすぐ布団に潜り込んでイビキをかいたり。起きていてもぼんやり本を読んでいた。
そうかと思えば、私の趣味の習い事がある日。いつも帰宅が午後8時過ぎになるのはわかりきっている。でも、その日はたまたま8時半を過ぎてしまったのだが、戻ると、青筋を立て、イライラしながら夕食の下ごしらえをしていた。そんな顔を見ていると、作ってくれたことはありがたくても喉を通らない。本人も不機嫌だから、見るからにまずそうに食べてるし。
そんなある日。
とある雑誌に「SSRIがケガの痛み止めにも効能が見られる」というようなことが書いてあった。オットはそれを見て、「今度メンクリへ行ったら、ドクターに聞いてみる」と言う。
それ、薬を再開するには願ったりじゃないか。
オットは、自分の判断で昨年の春から薬をやめている。ドクターも、オットが飲みたがらないのならと、無理強いはされない。しかし、本人は快方に向かっていると思ってるようだが、寛解したわけではない。それは見ていて歴然だ。
だからワタシは以前から、メンクリへ月一で行くたびに
「オットはケガの後遺症が傷むと言って、全く仕事をしません。取り組む意欲もないようです。本人は良くなっている気でいるようですが、そうでないことは毎日見ていたらわかります。今のところ、1ヵ月に一度のカウンセリングが唯一の治療ですが、それで変化がないんですよ。もう4年も過ぎているんですから、治療方法を変えてみて欲しい。気分が上がるように薬を再開するとか、あるいは認知療法や電気療法をしてみるとか」
と、ドクターにお願いしていた。ドクターはあまり乗り気じゃなさそうだったけれど、ワタシが強くいうので「じゃぁ今度言ってみましょう」と言ってくださってたのだ。
だから、雑誌を読んでオットがその気になっているというのは、目的が違うにしろ、薬を再開するまたとないチャンスじゃないか。
なのに。
カウンセリングから帰ってきたオットは手ぶらだった。「ドクターに薬のことを相談したけれど、SSRIではケガの痛み止めにならないと言われた」と、手ぶらである。ひょっとして認知療法の線で…とも思ったけれど、何かをメモる様子もない。
愕然。
だから、次にメンクリへ行ったとき、ドクターには苦情を申し立てる。せっかく飲む気になっているチャンスだったのに、プラセボ効果だってあるかもしれないのに、なぜ投薬してくれなかったのか、と。
「薬を再開して、気分が上がりすぎてひどく荒れたりすることがあるかもしれないですよ」
と、ドクター。でもワタシは
「どのみち、飲まなくったって、荒れるときは荒れるんです。いつキレるかハラハラしながら生活してることには変わりないんですから、それなら本人にやる気が出るほうがまだマシです」
と、言っておく。だってそうじゃんね。
とにかく、何もしないで変化がないなら、何でもやってみればいいじゃないか。効果があるかないかは、試してみての結果を見てから判断すればいいだろう。そんなことを訴える。ワタシは当事者でもないのに、うるさいヤツだと思われてるだろうな。
でも、4年も現状から抜け出していないオットを毎日見ているんだから、治療方針だって検討してもいいはず。
そう思うけどなぁ。
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