やっとバイエルが終わっても中学1年は相変わらずピアノを弾かない日々が続いていました。中学生になると部活でピアノを辞める人も増えてきました。当時の記憶ではピアノがとてもうまい人が3人、エレクトーンが1人。小学校の時にうまかった男の子は辞めてしまいました。
私はピアノでは特別目立つでもなく、それでもクラス分けではピアノが弾ける生徒になっていました。当時は8クラスで8~16人が伴奏要員として振り分けられていたと思います。1年は自由曲の伴奏だったと思います。譜読みはできたので自分で練習してピアノのレッスンでチェックしてもらう。当時はピアノの先生なんて頭にもなく、社会科の先生になりたかった。
転機になったのは2年生
ピアノの先生が変わる
新卒の音楽の先生の赴任
父親が新しいオーディオを買う
まずピアノの先生が変わったことで25曲に2年以上かかっていた本が終わり、怒られなくなったのでピアノを弾く気になり。中学の頃、リチャード・クレーダーマンが流行っていて楽譜を買って自分で好きな曲を弾くくらいはできました。
それから音楽の先生。お約束のように男子にからかわれて泣いて職員室に帰って怖い男の先生が音楽室に飛び込んでくる。そんなお嬢様先生(数年前に再会しました。合唱を教えに来ていて少し見学していたらどうせだからちょっとピアノを弾いていってと)ですが、休み時間に少しピアノを教えてくれたり、エレクトーンのうまい友達と横浜にアシュケナージを聞きに行くことを知ると自分もチケットを買って付き添ってくれたのを覚えています。
そして父親がオーディオを買ってレコードを買ってもらったこと。
それでもクラシック好きだったんでしょうね。百恵ちゃんやキャンディーズは好きでしたが引退や解散してたのかな?このレコードを買ってもらいました。この時点では音大に行きたいとは思いませんでしたがショパンを弾けるようになりたいと思うようになりました。
音大、しかも無謀にも音楽の先生の出身校の国立音楽大学と中学の時点で思っていたから、高校は新設される音楽コースを選んだのですから
いまでもよくあのピアノのレベルで音大、しかも国立音大に行こうなんて考えを持ったなと思います。私が私を教えていたら間違いなく反対します(笑)
ショパンを弾きたかったためか音大に行きたかったためか覚えていませんが、ツェルニー30番を1年で終わらせると自分で計画を立てたんです。
ノートに1番から順番に何日に終らせると日付を書き込み、月曜日右手、火曜日左手のように最初の週にやることを書き出してました。
そしてバイエルに3年半、ピアノのABCに2年半かかっていた私ですが本当に1年でツェルニー30番を終わらせ、3年生ではツェルニー40番を始めていました。
3年の進路を決める段階では大学進学に有利な上位高校か新設される音楽コースか。周りは潰しが効かないから進学実績のある高校を勧めましたが、私は新しい高校のユニークな内容に絶対に行きたい‼️と結局音楽コースに進路希望を出しました。
あくまで県立高校の普通科なので受験は普通の県立高校の学科試験のみ。まだ音大受験とは程遠いピアノですがもう目標は音楽大学でした。
この前、Facebookでやり取りしていましたが2年生はエレクトーンがうまい子に難しい自由曲を押し付け、私は課題曲を弾きましたが2年の課題曲だけが思い出せない。そして3年になるとピアノを習っている生徒はガクッと減り私は課題曲と自由曲ともに伴奏。ものすごくうまかった2人が同じクラス、そして1クラス現役でピアノを習っている生徒がいないクラスができていました。実は小学校のころケンカばかりしながら好きだったピアノのうまい男の子がつかえつかえ弾いていたのが切なかった…
いま、私は大きな目標、中くらいの目標、小さな目標を立てるように大人の生徒さんに進めています。小さな目標はできるかなと思うより少し簡単に。できないと挫折感が残るけど予定より先に進めると自信になりますよ。
私の場合の大きな目標は音大に行く
中くらいの目標は1年でツェルニー30番終了
小さな目標は新しい曲を終わらせる日
振り返りながら、本当に無謀なこと考えていたなと思います