「世界史最大の謎とイスラエルとの関係」

 

 

 世界で語られ続ける様々な歴史、たとえば「本能寺の変」などは未だ謎に包まれている出来事の一つです。様々な歴史的謎の中で最も代表的だと言える謎、それこそが「失われたイスラエル10支族」です。

 イスラエルは現在も問題が数多く起きているのを見ればわかるように深い歴史、特に宗教的にとても重要な地です。

なんせユダヤ教、イスラム教、キリスト教の3つの宗教にとっての聖地であるエルサレムがあるのですから。また、かつてユダヤ教の神殿が建てられていた場所には現在巨大なモスクが建てられており、第3神殿が建てられない状態にあります。 まあ端的に話すと歴史的にも宗教的にも政治的にもイスラエルは大変重要な場所なのです。

 そんなイスラエルでかつて起きた人類史最大の謎を解説しようと思います。

 

 

 【失われたイスラエル10支族の謎】

 

 

 

 まず、古代イスラエルの歴史から解説します。「聖書」によると、かつてとある族長アブラムがメソポタミアのウルからカナンの地を目指して羊を連れて出発したことによりイスラエルの歴史は始まります。大体紀元前2000年くらいですね。

 メソポタミアでは彼らのことを「移動する人々」という意味で「ハビル人」と呼びました。「ハビル」は後の「ヘブライ」の語源です。アブラムはハランの地で神から勅令を受け、名前を「アブラハム」に改名、86歳のときに「イシュマエル」、100歳のときに「イサク」という子供を持ちました。かなり遅いですね、おじいちゃんです。

 子供のイシュマエルは後に「アラブ民族の父」となり、イサクの子供であるヤコブは神の勅令により名前を「イスラエル」に改名しました。彼は後に「旧約聖書」に登場する「イスラエル民族の父」となります。ヤコブは4人の妻に12人の息子を持ち、生まれた順に、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンと名付けました。息子である彼らが古代イスラエル12支族の原点です。

 

イスラエルの12部族

 

ここから話が飛びますが、11男の「ヨセフ」は父ヤコブに1番気に入られていたため17歳のときに嫉妬した兄たちにエジプトに売られてしまいます。しかし20年後に起きた大飢饉から逃れるためヤコブとその子供たちはエジプトに赴き助けを求めました。

 なんとそこで迎えてくれたのはファラオの夢を説き明かしたことでファラオに選ばれエジプト宰相にまで上り詰めたヨセフでした。とんだ再会ですね。

 ヨセフは過去に自分をエジプトに売った兄たちを許し、エジプトに招き入れました。そして、エジプトの地で生き残ったイスラエル一族はエジプトの地で子孫を増やして大いに栄えました。しかしヨセフの死後ヒクソスが駆逐され、ヘブライの勢力拡大を恐れた当時のファラオはヘブライ人を奴隷の境遇にまで突き落としました。

そんな中、奴隷の境遇にまで落ちたヘブライ人を救うとある人物が現れます。

そう、モーセです。海を割ったという伝説がありますね。

 ヘブライ人はモーセの助力によりエジプトを脱出、40年間の放浪生活の中、シナイ山にて神(ヤハウェ)がイスラエル民族に「十戒石板」・「マナの壺」・「アロンの杖」という三種の聖遺物とそれらを入れる「契約の聖櫃(アーク)」を授けました。 これは「神」とイスラエル12支族との契約の証であり、「古代ヘブライ教」(原ユダヤ教)の成立を意味しました。

 紀元前1250年、大預言者モーセの後を引き継いだヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断、約束の地カナン(パレスチナ地方)へと侵入、先住民と戦い、手に入れた土地を支族ごとに12の領地に分割しました。

 紀元前1000年頃、預言者サムエルはサウルという英雄を王にして、統一国家を作ろうと計画しました。しかし、サウルはその傲慢さゆえに失脚、代わって羊飼いの青年ダビデが大王として選任されます。ダビデといえばヘリシテのゴリアテとの対決で石投げをしたことで有名ですね。

 

「ダビデとゴリアテ」(オスマール・シンドラー作、1888) 

そして見事ダビデは混乱していた全イスラエル民族を完全に統一、ここに歴史に名を残す「イスラエル統一王国」が誕生しました。その後、ダビデの妻であるバト・シェバから古代イスラエルの最盛期を築いたとされるソロモンが生まれました。そして紀元前960年頃にソロモンは勢いのまま「エルサレム神殿(ソロモン第一神殿)」を築きました。しかし、統一王国という支配体制は一般市民の不満からほころぶことになり、紀元前922年頃にソロモンが死去した後、部族間の統制を失ったイスラエル統一王国は北王国として知られるイスラエル王国と南王国として知られるユダ王国に分裂しました。分裂の原因はソロモンによる一般市民の重税や苦役の緩和を聞き入れない後継者レハブアムなどにあるのではと言われています。また、細かいところを説明すると、レハブアムを見限ったイスラエルの新しい王、ヤロブアム1世が叛旗をひるがえしたことも分裂の大きな原因と考えられます。 ヤロブアム1世はレハブアムをエルサレムに追い出した後、シュケムで王位につき、北王国(イスラエル王国)を築いたと言われています。

 12支族のうち、10支族がヤロブアムを支持して北王国に、レハブアムのもとにはユダ族とベニヤミン族が残り、南王国(ユダ王国)が始まりました。

 

分裂したイスラエル統一王国

 

イスラエル分裂後の王の系譜(旧約聖書に準拠)

 

その後長い間南北イスラエル間での争いが続きました。そして末期には北王国(イスラエル王国)の首都サマリアはアッシリアのサルゴン2世の猛攻により紀元前722年に没落、253年に渡って存続した北王国は終焉を迎えました。10支族の民のうち指導者層は連れ去られ、あるいは中東全域に離散したとも言われています。

 歴史の中に消えた彼らは「イスラエルの失われた10支族」と呼ばれ、現在もその行方は分かっていないそうです。

 

もう一方の南王国(ユダ王国)は紀元前609年にメギドの戦いにてエジプトに敗北、支配下に入りました。その後、紀元前605年にカルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れた後、紀元前597年に南王国(ユダ王国)もそのネブカドネザル2世に屈しました。その後暫くは独立国として存在が許されていましたが最終的にはエジプトと共にバビロニアと対抗しようとした企てが露見したため紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになりました。これをバビロン捕囚といいます。

 

以上が古代イスラエルの主な歴史と「失われたイスラエル10支族」の説明です。長文になってしまいましたがこれから触れる機会が多くなると思うので基礎知識として解説しました。

 

画像引用 Wikipedia