大江戸百花繚乱 PartⅢ  -2ページ目

大江戸百花繚乱 PartⅢ 

hi-ho、gooを経て今回アメーバブログに引っ越しました。
アメーバ公式ブログ「枯れたブルースを聴きながら」の姉妹ブログとして、歴史関係を中心に綴っています。
引き立って、よろしゅうお願いたてまつりまする。

先日、愛知教育大学で公使を勤めておられて社学の会という会を主宰している土井謙次さんの勉強会に参加するため、電車を乗り継ぎ、江南市まで行ってきた。

生憎の雪がちらつく悪天候であったが会場の布袋ふれあい会館は活況を呈していた。

勉強会の内容は「志を繋ぐ」。

上杉鷹山と山田方谷という智の二大偉人の足跡をたどっていくと細井平洲に行きつくという内容であった。

ユーモアを交えた講演内容はさすがで、分かりやすかった。

 

その中でも一番印象に残ったのは、「なぜ徳川幕府は長期政権化に成功したか?」という質問だった。

いろいろ理由がある中、土井氏は「思想統制の成功」がかなり大きな要因ではないか、と語っておられた。

 

江戸時代は朱子学が幕府に採用され、太平の世を築く精神的支柱となったが、江戸中期から後期になって、陽明学や国学、または蘭学などが盛んになって尊皇倒幕思想に繋がっていく、というのが大勢の人が頭の中に描く江戸の思想史ではないだろうか?

しかし、もともとあった尊皇思想に倒幕思想が結びつくのは、幕末もかなり押し迫ったころである。

 

家康が巧みだったのは、仏教の思想的な面が一般人に向かわないようにした点だった。

檀家制度等により仏教を経済的に保護しながらも、仏教の教義が人々の生活に及ぼす影響を最小化させた。

そのいっぽう、政治を批判する可能性のある日蓮宗の不施不受派などは徹底的に弾圧された。

そして、儒教を世俗社会における道徳として、政治の絶対化を支える支柱的思想に据えた。

 

江戸時代は封建制だったので、家康の試みにより国民の考えは完全に抑え込まれていたような印象があると思うが、江戸時代は将軍という権力がありながら、幕府という合議制度も持ち合わせていたので、第二次世界大戦前の日本や、現代のどこかの国のように完全な思想統制は行われていかなった。

よく知られる寛政異学の禁にしても、湯島聖堂で教える学問は朱子学だけにする、という限定的なものだった。

 

その証拠に陽明学の中江藤樹やその弟子である熊沢蕃山が現れるのは江戸初期であるし、朱子学の中からも古義学の伊藤仁斎のように朱子学に批判的な思想家も出現している。

また、先に名前が上った細井平洲たちのように、それぞれの学派の長所を採った折衷学派と呼ばれる学派も誕生している。

 

江戸後期になって颯爽と現れた国学は朱子学とは真っ向から対立するものであったが、古典を研究して分析するというアプローチ論は、荻生徂徠の古文字学と共通するものであった。

 

志士のバイブルになったかのように言われる相沢正志斎の『新論』を産んだ水戸学も尊王敬幕を説くもので、倒幕の思想には至っていないなど、江戸時代の思想は日本的な穏健さを含むものであった。

どの時点で、尊王と倒幕が結びつくようになったか、というのは簡単そうにみえて、意外に難しい問題なのである。

 

 

 

 

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