本郷和人氏の「『合戦』の日本史」(中央新書ラクレ)を読んだ。

頭のいい人の文章とはこのようなものを指すのだろう。

文じたいも分りやすい、理路整然として論旨がすっと頭に入ってくる。

見習いたい文章だ。

文だけでなく内容も、とても新鮮で魅力的である。

 

合戦の勝敗はどのように決まるかについて、本郷氏は、

 

合戦を仕掛けた側、攻める側の目的こそが、その合戦の勝敗を決める指標になります。仮に攻める側がA、守る側がBであるなら、Aの目的が達成されれば、その合戦の勝者はAです。反対にBはAの目的を阻止すればいい。Aの目的が達成されなければBの勝ちです。

 

「実は意外と歴史学を専門とする研究家の間でもこのことを押さえていない人が多いのです」と続けて書かれているように、言われてみないと気付かない新鮮な指摘だ。

 

また、勝敗は何によって決するのかという点についての、

 

集団戦・総力戦になった戦国時代において、合戦の勝敗は、指揮系統が分裂され、大将の命令がうまく全体に行き渡らなくなり、集団の統制が取れなくなったとに定まるのではないか。

 

という指摘も見事である。

 

もうひとつ、奇襲についての見解を秀逸だ。

 

命令系統がちゃんとしていて、的確な指示を受けて戦うことができれば、かなりの兵力差を簡単にひっくり返すことができるのです。

 

としながらも、

 

奇襲戦というものは、いつでも使えるものではありません。稀なものだから意味を持ちます。だからこそ、織田信長は桶狭間の戦い以降、奇襲戦に打ってでることはありませんでした。

 

あくまでも合戦の大原則は「戦いは数である」。この前提があってこそ、奇襲は成り立つのです。

 

と明言している。

さらに太平洋戦争中の「奇襲作戦」の多用は、

 

皇国史観全盛の戦前・戦中においては、この「少数が多数を破る」「柔よく剛を制す」という物語にすがる傾向が軍部に生まれてしまったのだろうと推察します。

 

と、書いている。

 

数に劣る場合は奇襲作戦が有効だと考えるのは間違いだと気付かされた。

 

あとがきの文も胸に刺さる。

 

暴力礼賛は戦いの暴走に繋がります。理性があるからこその人間なのですから、かりに人間の内に戦いの本能が存在するなら、それと対峙して、ルールをあてはめるなどして、制御しなければならない。

 

「『合戦』の日本史」は歴史好きな方にはぜひ一読をお勧めしたい良書である。

 

 

 

 

 

 

 

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