アスファルトに立って考え事をしていませんが、ひとつの言葉について深く考える機会があったので、2ヶ月に1回しか更新しないブログを少々書いてみます

 

 

 

 

 

 

 

「人それぞれ」

自分はこの言葉をできれば使いたくない、というかこの言葉が嫌いです。

 

 

 

 

 

人それぞれに個性があり、様々な考え方があるんだから、それをお互いに尊重し合いましょう、というような意味で正論めいて使われることがほとんどです。

 

 

 

確かに物事には人それぞれな面があると思う。

 

 

 

ってかほとんどはそうだと思います。

 

 

 

自分自身もこの言葉自体が間違っているなんて思ってません。

 

 

 

どんな相手でもどんな時でも常に正しいものを自分は知りませんし、代数方程式論で解が求められないことがそのまま解がないことの証明にならないように、「正解が分からないこと」がそのまま「正解が無いこと」にはなりませんからね笑

 

 

 

 

 

その一方で、この言葉にはなんとも形容しがたい不快感に苛まれます。

 

 

 

この場合の「人それぞれ」という言葉は、価値感のぶつかり合いを極端に避けようとする側面が非常に強く感じられるからです。

 

 

 

「価値観の違いの尊重」は、多くの場合「他人の価値観にあまり干渉すべきでない」あるいは「自分の価値観を強く主張すべきでない、それは他人の感性を否定することに繋がるからだ」などというように読み替えられているのが現状になっているように思えます。

 

 

 

極端な例を示すと、自己保身欲の強い人間が自らが批判されるのを恐れて「人それぞれ」という言葉で予防線を張り逃げ口上にしているという場合もあります。

 

 

 

「まぁ価値観は人それぞれだから」と言ってしまえばもうそこまでで、お互いに討論することなど不可能になってしまいますよね。

 

 

 

相手の意見がおかしいと思った場合でも、自らの意志を提示するまでもなく、「人それぞれ」という言葉で全てが片付けられてしまう。

 

 

 

こういう主張に対しては「価値観は皆違うのだからわざわざ他人とぶつかり合っても仕方がないだろう、各々が自分の良いと思うものを自分で見出せばいいだけの話だろう」と言いたくなる人もいるかもしれません。

 

 

 

確かに、この意見は普通に正論だし反論することが難しいですが、だけど「価値観」というものが本来はどうあるべきなのかということを焦点にして俯瞰していけば、この意見はある種の欺瞞の上に立脚していることが次第にみえてくるんじゃないでしょうか。

 

 

 

「人それぞれ」という言葉は「価値」の概念を疎外するものであって、またこの言葉は「価値」のみならず、同時に「個人」という概念をも疎外してしまうものでもあります。

 

 

 

これらは一見個人を尊重するものに見えて、本当は「個人」の概念の上に胡坐をかいているに過ぎないわけです。

 

 

 

個人が個人的であるためには、他者から独立した自身の個別性を獲得しなければならないわけだけど、こういった個人の個別性は個人の中だけで自閉して作り出されることではないと思います。

 

 

 

個人が他者から完全に切り離され孤立してしまったら、もはや個人は自分の個別性を持つ必要などなくなるでしょう。

 

 

 

真に人が個別的で多様な存在であるためには、個は他と関係づけられなければならない、個別性はこういった逆説の中に存在しているのであり、個人は他者に対して独立した自己を形成するために、かえって他者との関係を求めねばならず、他者のいる世界で他者とともに生きてゆかねばならないわけです。

 

 

 

そして「価値観」とはこういった矛盾の中を生きることによって生み出されていくものであって、価値観は個人の中に自閉してしまってはならず、他者へ向かって開かれていかないといけないと思います。要は、価値観は個人によって作られるものではなく、他者と共同で編み上げてゆくものだということになるということです。

 

 

 

 

 

結局「人それぞれ」という言葉が含有する偏見は、価値をそれ自体で完結したものとして、個人というこれまた完結したものの上に立脚させているという点。

 

 

 

 

 

私という個人が既に出来上がっていて、そこにいくつかの価値を付与してゆくのであれば、確かに「人それぞれ」と言うだけで十分でしょうけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで書いて自分でも訳分からなくなってきたのでこれでおしまいにしますが、記述してきた通り価値観も個人もそれ自体では完結出来ず、決して他者の存在から切り離すことが出来ないのに「人それぞれ」と主張することは間違っていると自分は本気で思います。