作編曲家服部克久氏が亡くなった。
かつてNHKで「ピアノでポップスを」という番組があった。これが氏との出会いであった。
ピアノというと子供にはクラシックばかりであった時代,ポップスというものを弾いていいんだと目がウロコが落ち,一気に演奏の地平が広がった記憶がある。
素晴らしい番組であった。
服部克久氏追悼の気持ちで,久しぶりに「記念樹事件」(東京高裁H14/9/6)の判決文を読み返してみた。
この事件が起こったのは確か受験生のときで,へえ面白い事件があるんだな,こんなのやってみたいなと思った記憶がある。今ではアドリブフレーズくらいしか作らない私であるが,当時はそこそこ曲を書いていたという黒歴史w
証人や陳述書として,著名な作曲家の名前がいろいろ出てきてミーハー的にたのしい。
つまるところ,
・甲曲(どこまでも行こう)と乙曲(記念樹)で,メロディの音が7割以上同じ。
・甲曲はむっちゃ有名。知らんはずがない。
というところで,「表現上の本質的な特徴」が類似しており,「依拠性」があると認められちゃったんよね。
「表現上の本質的な特徴」の判断で音を縦割りで並べていくつ共通するかをメルクマールにしている。旋律ってそういうもんやないやろと思うし,服部氏側でそう主張されてるけど,素人たる裁判所が判断に客観性を持たせるべく,共通する音の数を数えるのはやむを得ないのかなと考える。
そして,こういう簡単なメロディの楽曲において共通する音が多いという事態はあり得よう。
ただ,「依拠性」を,甲曲がむっちゃ有名というところから認定してしまっているのはどうかと思う。あらゆる創造物は既存の知識の組み合わせからは自由になれないというのが私見だけど,メロディなんて12音の組み合わせでしかできないのだから,頭のどこかに残っている他のメロディが引っ張り出されて新しいメロディを作ってしまうことはあり得るんじゃないか。
それよりは服部氏の属性を考えたら,やれ依拠してやろうという動機をそもそも見出せないという点で切った方が,この事件の落ち着きどころとしてはよかったのではないかという気がしてならない(もちろん服部氏は主張している)。それとも「依拠」の理解を間違えている?
いずれにせよ,自分が仮に服部氏代理人ならどう主張を組み立てるかという,頭の体操をしながら読むと面白い。特に「表現上の本質的な特徴」をいかに否定するかというところ。マニアックな作曲理論に走ってしまいそうやけどw
判例時報1794に両者の楽譜,対比表まで載っている。
(ちなみに「記念樹」の楽譜は正規では入手困難なので,この判例時報が事実上唯一の公刊された楽譜やないかな)
なお,作曲の盗作に関する相談を受けたことはあるけど,事件にまで発展したものはないなあ。
TADATO~シンガーソングロイヤー@tadato00
服部克久氏追悼企画🙏 「ル・ローヌ」を弾いてみた。 NHK「ピアノでポップスを」はピアノの新たな境地を開いてくれた番組でした。合掌。 #服部克久 #服部克久氏追悼 #ストリートピアノ #ストリートピアノめぐり… https://t.co/QCvvdlVgyC
2020年06月12日 09:17


