ボルダリングや、いわゆるリードクライミングでは、難しいルートを登り切ることで、喜びを感じる。
パートナーや周囲の人間も、自分と同じように、それぞれが目標にしている難しいルートを登りきることができたら、共に喜び合えるであろう。逆に、セッション中に、自分だけが登れて周りが登れないと、なんとなく気まずさを感じることはよくある話ではあるし、一抜けした空気が読めない人間が喜び過ぎて、険悪な雰囲気になることもあるであろう。
ともあれ、切磋琢磨は何事においても重要で、共に励み、共に強くなることは、仲間同士の底上げになり、良いことである。
一方、ソロクライミングはどうだろうか。
一人で岩場に赴き、人知れず登り、自分の思い描いたルートを登ることができたら、同じく喜びは感じる。そもそも、なぜ登っているのか、それがよく解っておらず、むしろ一生分からないのではあろうが、登れたら、それは嬉しい。
自分は、何事においても、おそらく標準よりも考え過ぎな傾向はかなりあるとは思うので、登れて純粋な喜びは極端に感じにくいような気もする。
難しいルートを登った喜びよりも、道中で垣間見る澄み渡る青空、輝く海、そこに浮かぶ島々に囲まれて登ることが最高気気持ち良いし、巨大な壁の中で、人間は自分たった一人しかいないという事実、聞こえるのは風の音と心の声、そんな中でクライミングができることが何よりの幸せなのだろうと思うし、純粋に楽しめている瞬間が多い。ソロの方が、無駄な気遣いもしなくて良いから、純粋に自然が楽しめるのであろうと思う。、
ただやはり、一人は退屈で寂しもので、近頃はSNSなんていう便利なものが存在し、そこで感じたことを誰かに伝えようとする。なんだかんだ、常人であれば、喜びを他人と共有したい、さもなければひけらかしたいものなのだろうし、自分も例外ではない。
ただ、喜びを他人と共有し増幅させるのではなく、純粋に、自己完結で最大限の喜びを感じることができるならば、それが最も幸せなのであろうとは思う。それをより感じることができるスタイルが、ソロクライミングなのではなかろうか、ひとまずそう結論付けておこう。
今回登った拇岳のルートは、雑誌に掲載されていたルート図を参考に挑んだのではあるが、時折ルートファインディングも必要になり、傾向していたカムも大いに役立ち、それなりに自由度も高く存分に楽しめた。
自分のレベルがどれほどかは知らないが、それがより難しい、より挑戦的な好ルートであればあるほど、喜びは大きくなるであろう。難しいルートが良いわけではないが、より難しいルートを登れた方が選択肢が広がり、楽しみが増える。
そのために、今後とも、日々のトレーニングを怠らず、仲間との切磋琢磨し、より難しいルートに挑んでいきたいと思うばかりである。
近頃の、「なぜ登るのか?」の答えは、ここにあるのかも知れない。