550ページ超の大部の推理小説だが、結構売れてるらしい。新聞の読書欄で紹介されているのを見て読んでみた。出だしは昭和49(1974)年に起きた「佃島一家四人殺傷事件」だ。家主の須黒武光と妻の昌枝、娘の美代子が刃物で殺害された。息子の良一は奇跡的に難を逃れたが、凄惨な現場の状況は類似の重大事件を想像させ、圧倒的だ。とりわけ家主の武光が日本刀で首を切られていたというのは、衝撃的だ。一体だれがやったんだろうというのが第一感で、つかみとしては上々の滑り出しだ。

 

 その後この事件は昭和25(1950)年に起きた函館一家惨殺事件と関係があるという展開になる。昭和25年3月30日の夜11時頃、富岳銀行函館支店長宅に二人組の賊が押し入った。支店長の名前は田上寛一。田上家には妻の知子の他六人の子供、そして寺内きんという住み込みの女中がいた。賊は田上の家族を人質に取り、田上に銀行の貸金庫を開けるよう迫った。貸金庫のカギは田上と預金課長の九重徳次郎が一つずつ管理していて、一人で開けることはできない。そこで賊は一人を残し、近くに住む九重の宅へ向かい、金庫を開けさせて目的を果たした。そして金庫の前で田上の首を日本刀で切って殺害。家では妻と四人の子供も手にかけた。幸い娘の真千子と息子の真也と女中のきんは難を逃れた。

 

 この事件の犯人の一人が佃島事件の被害者の須黒武光であったことそして預金課長の九重徳次郎もそれに関わっていたということが後にわかる。詳細は本書で確認して頂きたいが、この二つの事件を核にして物語は展開する。登場人物は多く、ある人物のゆかりをたどると戦前の満州国まで行きつくところが面白い。建国大学とか石原莞爾という言葉を聞くと、まさに本書が昭和史総ざらえという感じがしてくる。オーム真理教事件、スーパー南平事件、薬害エイズ事件、三菱重工ビル爆破事件等々、ついでに歌謡曲の話題も入っていたら当時の風景が思い出されて、昭和100年の記念碑的作品になっただろう。

 

 この事件を追った昭和の刑事、湯浅卓哉、鎌田幸三、草加文夫、そして令和の女性刑事藤森菜摘。それぞれの個性が上手に描き分けられていた。もちろんかれら以外の人物像も粒だっており秀逸。私は冒頭の「主な登場人物」のところに栞を挟んで読んだが、人間関係図もあったらよかったのにと思った。本書は大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞を受賞した。力作であることはまちがいない。

 

 副題は「モダンジャズのリズムセクション」だ。マイルス・デイビス(1926~1991)はジャズトランペッターのレジェンドで今なおCDが売れ続けている稀有な存在で、発売元のCBSソニーは笑いが止まらないであろう。リズムセクションというのはピアノ、ベース、ドラムス奏者のことで、トランペッターやサキソホニストの伴奏する。ピアノはもちろんソロもとる。本書は1950年代後半から1960年代のマイルスバンドのピアニストであったレッド・ガーランド、ビル・エバンス、ウイントン・ケリー、ハービー・ハンコックのバッキングの奏法を解説したもので、マイルスフアンにとっては見逃せない。

 

 私は1970年代からのジャズフアンで、スイングジャーナルを毎月買って新譜情報を手に入れて、ジャズ喫茶でリクエストするという毎日を過ごしていた。当時中央線の阿佐ヶ谷に住んでいて、学校(大学)帰りによく行ったのは中野駅南口のクレッセントと北口のビアズレーだ。ビアズレーはその名の通り彼の版画が室内に飾られており、黒の壁紙と合わせて独特の雰囲気だった。ともにLPレコード6000枚(CDがまだない時代)ぐらい所有していて、廃盤で手に入らないものとか多数あった。当時コーヒー一杯350円で、二時間ぐらい粘って聴いたものだ。よくリクエストしたのはマイルスの「サムシングエルス」の中の「枯葉」が聴けるA面とか、ハンク・モブレー(テナーサックス)の「ディッピン」のA面の「リカードボサノバ」だ。当時「ディッピン」(ブルーノートレコード)は廃盤で、入手困難だった。その後日本で復刻されて入手した時の喜びは言葉に表せない。今はCDで簡単に手に入るが、なんか複雑な気持ちだ。

 

 本書ではマイルスのアルバムに沿って四人のピアニストの奏法を分析しているが、私が愛聴しているのが1964年のライブ盤「マイフアニー・バレンタイン」、「フオア&モア」、「マイルスイントーキョー」「マイルスインベルリン」の四作だ。この1964年はテナーサックス奏者が3人入れ替わっているのだが、それぞれがライブ録音されていて、それぞれリズムセクションの動きが全く違うことをつぶさに聴き取ることができる。最初の2作はニューヨークのフイルハーモニック・ホールでの録音で、サックスはジョージ・コールマン、三番目は東京厚生年金会館で、サム・リバース、四番目はベルリンでウエイン・ショーターである。当時マイルスはスタンダードナンバーを盛んに演奏しており、この四作でも重複しているものが多く、比較しやすい。「マイフアニーヴァレンタイン」「枯葉」「ソーワット」「ウオーキン」「オールオブユー」「ステラバイスターライト」等々。

 

 著者は「マイフアニー・バレンタイン」をライブの名盤と評価しているが同感である。テナーのジョージ・コールマンはメロディラインを重視してソロを組み立てるタイプで聞きやすい。著者は彼は過小評価されがちだが、卓越したソロプレイを展開していると絶賛している。同感である。私は彼のフアンで、LP CDを沢山持っている。中でも表題曲の「マイフアニー・バレンタイン」と二曲目の「オールオブユー」のソロは素晴らしい。ハンコックのバッキングもコールマンのソロをさらに発展させてメロディックに紡いでいる。コールマンが抜けてサムリバースが入り、日本公演に帯同した。「マイルスイントーキョー」での演奏はコールマンと打って変わって前衛色の強いもので、フリージャズ的になっている。リズムセクションも劇的に変化している。リバースの本領はフリーでその後この方面の第一人者となるが、マイルスはこれを嫌って、日本公演が終わったあと脱退する。そのあと入ったのがウエイン・ショーターである。

 

 マイルスはこの後スタンダードの演奏を離れ、オリジナルを演奏することが多くなるが、それはショーターが提供したものであった。マイルスの目指す方向と合って、ショーターは音楽監督の役割を担うことになる。ショーターのソロはリバースほどフリーではないが、メロディラインをコールマンのように展開しない。「マイルスインベルリン」の「枯葉」を聴いてみてほしい。タイトルを明かされずに聴いたら、多分これが「枯葉」だとわかる人は少ないだろう。ハンコックのソロもコールマン時代と比較してほしい。音作りが確実に変わっている。このようにマイルスバンドはどんどん変化して1970年代のワウワウペダルを使った電気トランペット時代に突入するのだ。1975年にマイルスが来日して14回の公演をした。私は東京厚生年金会館で聴いたが、良くなかった。やはりマイルスは1950年代から60年代中頃がベストだと思う。それを支えた四人のピアニストの分析を読んで、演奏を聴いて欲しい。ジャズは奥深い。

 

 

 本書はドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)の詳細な伝記で、社会主義国家における音楽家のありようを活写したものである。ショスタコーヴィチはソ連時代の作曲家でレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。交響曲や弦楽四重奏曲が有名である。独裁者スターリンの時代を生き抜き、フルシチョフ時代の1961年(55歳)に共産党員になった。本書では二枚舌で生き抜いたと表現している。著者曰く、「ショスタコーヴィチの音楽は、死や恐怖に対する人々の不安、愛や熱狂へのヒステリックな絶叫であり、同時に鎮魂へのひよわな願いのシンボルであった。つまり歴史的な文脈を抜きにショスタコーヴィチの音楽を語ることは不可能であるが、歴史に深く入り込むことによって得られる理解は、計り知れない深さに到達しうることを約束していることも事実である」と。本書が500ページを超えるのも、詳細な歴史を記述しているからである。

 

 その中で、私は交響曲第五番と第七番(レニングラード)の時代背景について述べたいと思う。1932年4月、党中央委員会によって「文学・芸術団体の改組(ペレストロイカ)」の決議が下された。この決議は、ソヴィエト国内におけるすべての文化活動を党の監視下に置き、文学・芸術領域における「スターリン革命」の第一歩をしるす決定で、その後新しい時代の芸術理念として「社会主義リアリズム」が紹介された。その中身は、「① 現実を、その革命的発展のもとで、正しくかつ歴史的な具体性をもって描写すること。② その描写は、社会主義の精神に則った思想的改造と教育という課題と結びついていること」というもので、いわゆる教条的課題である。ショスタコーヴィチもこれを念頭に作曲せざるを得なくなった。当局とのせめぎ合いが続くことになる。

 

 そんな中で、スターリン政権による「大テロル」が始まる。深夜に秘密警察、内務人民員会の捜査員が部屋の扉を叩き、人々を連行していく。反体制の行動や発言はでっち上げられる。ショスタコーヴィチの庇護者であった赤軍元帥のトハチェフスキーも1937年5月26日に逮捕され、銃殺刑に処せられた。このような状況の中で、1937年交響曲第5番はわずか三か月で書き上げられたが、社会主義の前進への寄与という権力側の要請に応えなければならなかった。最大のポイントは全曲の結びでは、すさまじい内的エネルギーの噴出が描かれている。初演は成功し、当局は社会主義建設に肯定的な音楽と評価した。私はこの第5番をレナード・バーンスタイン指揮、ニューヨークフイルの演奏で確かめたが確かに前進、前進という感じで抒情的なものは排除されていた。しかし当局の評価は気まぐれで、素晴らしい曲もいつ政治的な状況で変わるかも知れない。共産主義の独裁国家において芸術は可能かという大問題が横たわっている。

 

 もう一つの第7番は1942年8月9日にドイツ軍に包囲されたレニングラード(現サンクトペテルブルク)で演奏会が開かれた。飢えと死に囲まれた中での演奏会であった。その第一楽章が有名な「戦争の主題」である。小太鼓に乗って楽器を替え、数を増やしながら繰り返されるうちに、勇ましい行進の音楽へと変貌し、最後は全管弦楽の轟音となってすべてを覆いつくす。「批評家は「ボレロ」の模倣と非難するだろう。言わせておけばよい。私には戦争がこう聞こえるのだ」と作曲者は言ったという。第七番もバーンスタインのアルバムで確認したが、退路を断たれて飢えで死に瀕しているレニングラード市民を鼓舞する意図は充分伝わってくる。こういう状況での戦意高揚は分かりやすい。これには当局も文句は言えないだろう。でも第7番は一般化すると、理不尽な暴力に対する人間の姿を描いていると言えよう。「戦争がこう聞こえる」とは蓋し名言である。

 

 亀山氏についてはドストエフスキーの翻訳で有名だが、『大審問官スターリン』等の評論もあり、守備範囲が広い。本書では音楽の素養も散見され、重厚な内容となっている。

 本書に出てくる婚活連続殺人事件の容疑者・梶井真奈子のモデルは、2017年同罪で死刑判決を受けた北海道別海町出身の木嶋佳苗である。婚活サイトで知り合った中高年男性を手玉に取り、現金を詐取し三人を練炭中毒で殺した。未遂事件も多数起こしている。当時話題になったのは、彼女の容貌であった。決して美人ではなく小太りで面相もよくないのに男たちを引き付けた。なぜもてたのかというと、それは男たちが口をそろえて言った、下半身の魅力であった。あなたみたいな女性は初めてだと言わしめるほど床上手だったらしい。おまけに達筆で美声で料理上手。手料理を男たちに振舞って感激させていたのだ。彼女は都内の高級料理教室に通って腕を磨いていた。タイトルの「BUTTER」はそれに由来する。

 

 本書の中身は、梶井真奈子を東京拘置所で取材する週刊誌記者・町田里佳が食と快楽をめぐる挑発的な言葉に、反発しながらも取り込まれて行き、いつしか奴隷のような状態になってしまうプロセスを描いている。その結果里佳自身の家族問題が浮かび上がり、結婚生活も破綻してしまう。友人の伶子も里佳の取材を助けるうちに同様に梶井の支配下に置かれる。それはまるで教祖に支配される信徒のようであり、また木嶋佳苗が男たちを魅了して迷宮に惑わせるようでもある。

 

 本書の場合、里佳を支配する小道具が料理のレシピで高級なバターをたっぷり使ったものである。その高カロリーの料理はモデルの木嶋佳苗の小太りな体形と顔を想像させて秀逸。拘置所の面会室で独占インタビューを受けてもよいという話をちらつかせながら、料理と快楽の話題で若い雑誌記者を洗脳してゆくさまは不思議だが恐ろしい。スリラー小説の味付けもされている。

 

 因みに、この木嶋事件のレポで有名なのが佐野眞一氏の『別海からきた女』(講談社 2012)だ。木嶋家と公判の詳細なレポで力作だが、本書の参考文献には挙げられていない。本書の初版は2017年だから当然目にしていると思われるが不可解である。逆に挙げられているのは、北原みのり、上野千鶴子、信田さよ子氏らの著作である。これは私の独断だが、彼女らはジェンダーフリー、フエミニズム論者で著者の思想と合致するがゆえに取り上げたのであろう。佐野氏はその基準で落ちたのであろう。というのも著者は本書の版権を新潮社から河出書房新社に移しており、その理由が週刊新潮のコラムで民族差別の記事があり、それに抗議してのことだったからである。それほどに人権・差別に対してセンシティブということだ。

 

 著者は最近、朝日新聞の朝刊の連載に「あおぞら」という小説を発表していた。その内容は、1950年代の東京を舞台にシングルマザーの立子が多くの人と手を携えながら、都内では珍しかった保育園の設立に尽力する物語である。女性の自立とかフエミニズムの話題は朝日新聞と親和性があるので採用されたのであろう。私も朝日を取っているので、読もうとしたが活字がびっしり詰まった紙面の原稿に閉口して読むのをやめてしまった。それは改行、段落変えが少なくて非常に読みづらかったし、中身も好みではなかったからだ。

 

 本書もこのフエミニズムの影響が散見された。里佳の父親が離婚後自殺する話とか、自身がいとも簡単に離婚するとか、男がいいなくても生きていけるというメッセージが強めに込められているというのが私の素朴な感想である。それが良いか悪いかということではない。一つの考え方だから、いいと思えば読むし、いやなら読まなければいいだけの話である。

 ここでは木嶋佳苗は毒婦ではなく聖母マリアになっていると思う。里佳や伶子はマリアにひざまずいている。そして言う「はいマリア様、女性としてしっかり生きていきます」と。本書がイギリスの文学賞を受けたのもフエミニズム的側面が評価されたからであろう。だからといって読んで面白いとは限らない。プロパガンダ的小説は退屈なもだから。

 副題は「なぜ国民食になったのか」である。チャーハンは人気の食べ物で町の中華料理店のメニューには必ず入っている。半ちゃんラーメンセットなど、昼の定食には欠かせないメニューとなっている。ラーメン+小盛の焼き飯で、お腹いっぱいになる。しかも千円以内であるから、庶民が好むのも無理はない。最近はUチューブで人気の町中華の一日を追ったものが多く投稿されている。その時もチャーハンの作り方を見せているものがほとんどである。大きな中華鍋に卵を入れて炒め、その上に炊いたご飯をガバッと入れてかき回してストックしておく。注文が入ると、その分を再び中華鍋に入れてエビとか野菜を入れて強い火力で炒める。その熟練の技を大写しにするところがハイライトだ。いろんな種類のチャーハンを提供することで、客の人気獲得につなげている。ことほど左様にチャーハンの人気は根強い。本書は国民食になったチャーハンの歴史を俯瞰したものである。

 

 前半はなんとなく退屈な感じで読んでいたが、第五章の「冷や飯論争」と「ピラフはチャーハンか?」問題から面白くなってきた。私はピラフとチャーハンの区別がよくわからなかったが、本書を読んでわかった。村上信夫氏(元帝国ホテル料理長)の言葉「ピラフというと、どうも簡単な洋風炒飯のように思われているようですが、本当はれっきとした西洋料理です。基本を踏んできちんと作ったピラフには炒飯にはない肉の香りがして、ごはんは肉の脂の甘みとこくがついたどっしりした味がします。このどっしりとした重みこそが、肉の国のごはんの味わいです」が紹介されている。

 

 実際ウイキペディアでは、「ピラフは炒めた米を様々な具とともに出汁や香辛料を加えて炊いた料理(即ち、炊き込みご飯の類であり、焼き飯の類ではない)。主にイラン料理が有名であるが、インドから中近東を経て、南欧ギリシャやアフリカ大陸のケニアにまで幅広くみられる米料理である」書いてある。結構グローバルなんだなあと感心した。日本では喫茶店でピラフを頼むとただの焼き飯(炒飯)が出てくることがままある。メニューに焼き飯と書くよりピラフと書く方が上品だという思惑があるのだろう。これが誤解を生む原因になっている可能性が高い。

 

 また炒飯はパラパラでなくてはならないという論争が第六章で紹介されているが、実は中国の人たちは楽々とパラパラのチャーハンを作っているという。神保町の揚子江菜館店主・沈松偉さん曰く、中国にはタイ米に近い安いインディカ米の「シンミ」と、日本米に近いジャポニカ米の通称「ゴンミ」があってチャーハンに使うのは「シンミ」のほうで、炒めればぱらぱらになります。逆に、日本米のような粘りのある米を使ってチャーハンをパラパラにする方が難しいと。また林兼正さんも「なぜ、日本のコシヒカリをチャーハンにするの、って思うもの。チャーハンは、インディカ米で作るものなのです。そのまま炊いて食べたんじゃまずくて食べられないから、中国人がチャーハンにして食べてきたわけです。(中略)日本の米のようなおいしい米を食べられなかった人たちが、その中で一番おいしい料理の仕方は何か考えて、作り直したわけ」と。

 

 中国におけるチャーハンの位置づけがこれではっきりした。確かに中国や台湾旅行をしたとき食事にチャーハンが出ることは皆無と言える。二十回ほどの中国・台湾旅行で一度だけ昼食にチャーハンが出たことがあった。安い台湾旅行のツアーだったが、多分その食堂は旅行社から料金を叩かれていたのであろう。でも味は不味くなかった。懐かしい思い出である。

 

 本書によってチャーハンの奥深さがよくわかった。ぜひご一読を。