予備校は大学受験のサポートをするもので、かつて私もお世話になった。ところが予備校自体は学歴にカウントされないので、浪人時代、いくらレベルの高い予備校に通っていたからといって、履歴書に書けるわけでもなく、学歴にカウントされない。いわば日陰の存在だと言って良い。本書は予備校の歴史を時系列に沿って記述したもので、なかなかの力作といえるだろう。予備校の全盛期を1970~90年代と言っているが、私自身1970年に高校を卒業して、受験に失敗した結果予備校通いをした経験から本書を読んで、当時の生活を懐かしく回顧した。
当時は国立大学受験の場合、一期校と二期校に分かれており、それぞれの大学が入試問題を作成していた。共通テストがない時代である。当時は受験生が多かったので、東大などは一次試験を課して、定員の三倍に絞ってから本試験という流れだった。採点を効率的に正確にやろうということだったと思う。入試科目も一期校は基本的に英語、数学、国語、理科、社会が必須であった。
私も一期校目指して大阪のT予備校に通っていたが、当時は駿台も河合塾も代々木ゼミもなく、在阪の予備校がしのぎを削っていたが、人気だったのがYMCA予備校の土佐堀校で難関大学の合格実績は他を圧倒していたと思う。T予備校の講師は元高校教諭が結構多く、あとは大学の先生のバイトであった。ある時、先生が名古屋の河合塾を見学してきたという話をされた。当時全国展開する前のことだが、先生によると河合塾の教室はいつ他業種に転換してもいいようなビルの作り方をしているそうで、なかなか抜け目のないやり方だと感心されていたのを思い出す。その後の河合塾の発展はご承知の通り。駿台は1971年以に京都に進出し、その後大阪にも攻め込んできた。在阪の予備校はその後これらの全国展開の予備校の後塵を拝するようになった。
この図式は既視感があって、町の小売り店が大型スーパーに呑み込まれる状況と同じである。予備校界では生徒獲得競争に勝つために優秀な講師の獲得が課題となった。本来は基礎基本から応用へと地道に指導するのが大切だが、授業にパフオーマンスを取り入れたり、人生論を語ったりする講師が現れ、これが大きく喧伝された。私の記憶にあるのは、例えば代々木ゼミの英語の佐藤忠志氏と河合塾の牧野剛氏。
本書によると佐藤氏は1980年代に代ゼミや東進ハイスクールで教えていたが、カラフルなシャツ、ド派手なスーツ、金色のネックレスとブレスレットで着飾っていた。「金ピカ先生」と呼ばれ、テレビのバラエティ番組に多く出演していた。私もテレビで彼の姿を何度も見た記憶がある。その後参議院選挙に立候補するなどしたが、落選した。最盛期には、授業一回で200万円、年収二億円以上のこともあったという。ところが数千万円するクラシックカーを次々購入するなど浪費がたたり、最後は一文無しになった。2019年に亡くなったが、なくなる一か月前に週刊誌が彼を取材した様子が書かれているが、哀れである。電気もガスも止められ、家の中は真っ暗。生活保護を受けていて、その金が入れば光熱費を払うつもりだという。これは週刊現代の記事だが、私はこの記事を読んだ記憶がある。氏は当時糖尿病を患っていると書いていたと思う。暴飲暴食が祟ったのだろう。
もう一人の牧野氏は、氏が作った共通一次試験の模試の現代文の問題が本番で的中して一躍有名になった。彼は授業中ビールを飲んだり、女性用の下着をかぶったりと、およそ学校では考えられないパフオーマンスをしていた。調子に乗っているなという感じだった。その後、参議院議員選挙、県知事選、市長選に立候補したが、どれも遠く及ばなかった。世の中甘く見るなということだ。このように予備校は生徒に受ければ何をしてもいいというおごりがあったと思う。私など公立の高校で日々私語をやめさせることに腐心してきた者にとっは別世界の出来事だった。
そんな中で私が予備校講師の中で一番感心したのは、万葉学者の中西進氏の授業だった。氏は1970年ごろ東京の武蔵高等予備校の講師だったが、その現代文の授業は本当に素晴らしかった。氏は当時成城大学の先生で、その前は東京学芸大学付属高校の教員をされており、東大の大学院時代は都立富士高校の講師などもされて現場での経験は豊富だった。武蔵高等予備校での聴講の経緯は長くなるので割愛するが、古典が専攻なのになぜこんなに現代文が上手く解説できるのかと思ったが、先生曰く、私は現代文が好きなのですと。世の中にはすごい人がいるものだと感動した。一番記憶に残っているのが、選択肢の問題は三番目のしかも一番長いのが正解の確立が高いですよというもので、予備校講師の面目躍如たるものがあった。派手なパフーマンスはないが中身でじっくり聞かせる、それを支えるのが該博な知識と教養だということを肝に銘じてやってきた。先生は96歳を越えた今もご健在である。これからもいろいろ発信して頂きたい。
私は紆余曲折を経て都内の一期校に合格でき、楽しい大学生活を送った。東京は広いなとつくづく実感した。