本書に出てくる婚活連続殺人事件の容疑者・梶井真奈子のモデルは、2017年同罪で死刑判決を受けた北海道別海町出身の木嶋佳苗である。婚活サイトで知り合った中高年男性を手玉に取り、現金を詐取し三人を練炭中毒で殺した。未遂事件も多数起こしている。当時話題になったのは、彼女の容貌であった。決して美人ではなく小太りで面相もよくないのに男たちを引き付けた。なぜもてたのかというと、それは男たちが口をそろえて言った、下半身の魅力であった。あなたみたいな女性は初めてだと言わしめるほど床上手だったらしい。おまけに達筆で美声で料理上手。手料理を男たちに振舞って感激させていたのだ。彼女は都内の高級料理教室に通って腕を磨いていた。タイトルの「BUTTER」はそれに由来する。

 

 本書の中身は、梶井真奈子を東京拘置所で取材する週刊誌記者・町田里佳が食と快楽をめぐる挑発的な言葉に、反発しながらも取り込まれて行き、いつしか奴隷のような状態になってしまうプロセスを描いている。その結果里佳自身の家族問題が浮かび上がり、結婚生活も破綻してしまう。友人の伶子も里佳の取材を助けるうちに同様に梶井の支配下に置かれる。それはまるで教祖に支配される信徒のようであり、また木嶋佳苗が男たちを魅了して迷宮に惑わせるようでもある。

 

 本書の場合、里佳を支配する小道具が料理のレシピで高級なバターをたっぷり使ったものである。その高カロリーの料理はモデルの木嶋佳苗の小太りな体形と顔を想像させて秀逸。拘置所の面会室で独占インタビューを受けてもよいという話をちらつかせながら、料理と快楽の話題で若い雑誌記者を洗脳してゆくさまは不思議だが恐ろしい。スリラー小説の味付けもされている。

 

 因みに、この木嶋事件のレポで有名なのが佐野眞一氏の『別海からきた女』(講談社 2012)だ。木嶋家と公判の詳細なレポで力作だが、本書の参考文献には挙げられていない。本書の初版は2017年だから当然目にしていると思われるが不可解である。逆に挙げられているのは、北原みのり、上野千鶴子、信田さよ子氏らの著作である。これは私の独断だが、彼女らはジェンダーフリー、フエミニズム論者で著者の思想と合致するがゆえに取り上げたのであろう。佐野氏はその基準で落ちたのであろう。というのも著者は本書の版権を新潮社から河出書房新社に移しており、その理由が週刊新潮のコラムで民族差別の記事があり、それに抗議してのことだったからである。それほどに人権・差別に対してセンシティブということだ。

 

 著者は最近、朝日新聞の朝刊の連載に「あおぞら」という小説を発表していた。その内容は、1950年代の東京を舞台にシングルマザーの立子が多くの人と手を携えながら、都内では珍しかった保育園の設立に尽力する物語である。女性の自立とかフエミニズムの話題は朝日新聞と親和性があるので採用されたのであろう。私も朝日を取っているので、読もうとしたが活字がびっしり詰まった紙面の原稿に閉口して読むのをやめてしまった。それは改行、段落変えが少なくて非常に読みづらかったし、中身も好みではなかったからだ。

 

 本書もこのフエミニズムの影響が散見された。里佳の父親が離婚後自殺する話とか、自身がいとも簡単に離婚するとか、男がいいなくても生きていけるというメッセージが強めに込められているというのが私の素朴な感想である。それが良いか悪いかということではない。一つの考え方だから、いいと思えば読むし、いやなら読まなければいいだけの話である。

 ここでは木嶋佳苗は毒婦ではなく聖母マリアになっていると思う。里佳や伶子はマリアにひざまずいている。そして言う「はいマリア様、女性としてしっかり生きていきます」と。本書がイギリスの文学賞を受けたのもフエミニズム的側面が評価されたからであろう。だからといって読んで面白いとは限らない。プロパガンダ的小説は退屈なもだから。

 副題は「なぜ国民食になったのか」である。チャーハンは人気の食べ物で町の中華料理店のメニューには必ず入っている。半ちゃんラーメンセットなど、昼の定食には欠かせないメニューとなっている。ラーメン+小盛の焼き飯で、お腹いっぱいになる。しかも千円以内であるから、庶民が好むのも無理はない。最近はUチューブで人気の町中華の一日を追ったものが多く投稿されている。その時もチャーハンの作り方を見せているものがほとんどである。大きな中華鍋に卵を入れて炒め、その上に炊いたご飯をガバッと入れてかき回してストックしておく。注文が入ると、その分を再び中華鍋に入れてエビとか野菜を入れて強い火力で炒める。その熟練の技を大写しにするところがハイライトだ。いろんな種類のチャーハンを提供することで、客の人気獲得につなげている。ことほど左様にチャーハンの人気は根強い。本書は国民食になったチャーハンの歴史を俯瞰したものである。

 

 前半はなんとなく退屈な感じで読んでいたが、第五章の「冷や飯論争」と「ピラフはチャーハンか?」問題から面白くなってきた。私はピラフとチャーハンの区別がよくわからなかったが、本書を読んでわかった。村上信夫氏(元帝国ホテル料理長)の言葉「ピラフというと、どうも簡単な洋風炒飯のように思われているようですが、本当はれっきとした西洋料理です。基本を踏んできちんと作ったピラフには炒飯にはない肉の香りがして、ごはんは肉の脂の甘みとこくがついたどっしりした味がします。このどっしりとした重みこそが、肉の国のごはんの味わいです」が紹介されている。

 

 実際ウイキペディアでは、「ピラフは炒めた米を様々な具とともに出汁や香辛料を加えて炊いた料理(即ち、炊き込みご飯の類であり、焼き飯の類ではない)。主にイラン料理が有名であるが、インドから中近東を経て、南欧ギリシャやアフリカ大陸のケニアにまで幅広くみられる米料理である」書いてある。結構グローバルなんだなあと感心した。日本では喫茶店でピラフを頼むとただの焼き飯(炒飯)が出てくることがままある。メニューに焼き飯と書くよりピラフと書く方が上品だという思惑があるのだろう。これが誤解を生む原因になっている可能性が高い。

 

 また炒飯はパラパラでなくてはならないという論争が第六章で紹介されているが、実は中国の人たちは楽々とパラパラのチャーハンを作っているという。神保町の揚子江菜館店主・沈松偉さん曰く、中国にはタイ米に近い安いインディカ米の「シンミ」と、日本米に近いジャポニカ米の通称「ゴンミ」があってチャーハンに使うのは「シンミ」のほうで、炒めればぱらぱらになります。逆に、日本米のような粘りのある米を使ってチャーハンをパラパラにする方が難しいと。また林兼正さんも「なぜ、日本のコシヒカリをチャーハンにするの、って思うもの。チャーハンは、インディカ米で作るものなのです。そのまま炊いて食べたんじゃまずくて食べられないから、中国人がチャーハンにして食べてきたわけです。(中略)日本の米のようなおいしい米を食べられなかった人たちが、その中で一番おいしい料理の仕方は何か考えて、作り直したわけ」と。

 

 中国におけるチャーハンの位置づけがこれではっきりした。確かに中国や台湾旅行をしたとき食事にチャーハンが出ることは皆無と言える。二十回ほどの中国・台湾旅行で一度だけ昼食にチャーハンが出たことがあった。安い台湾旅行のツアーだったが、多分その食堂は旅行社から料金を叩かれていたのであろう。でも味は不味くなかった。懐かしい思い出である。

 

 本書によってチャーハンの奥深さがよくわかった。ぜひご一読を。

 

 

 副題は「認知症の父と過ごした436日」だ。著者はノンフイクション作家として夙に有名だが、私自身は熱心な読者ではない。昔『素晴らしきラジオ体操』(小学館文庫)を読んで、面白いなあと思ったくらいである。本書はタイトルが面白いので購入した。認知症の父を介護する中で思い出したニーチェの言葉「健忘があるから、幸福も希望もある」が出典らしい。すなわち、忘れることは、悲しみではなく、希望だというこの言葉を、日々の介護の支えとしたということか。

 

 436日は一年と二か月、著者57~58歳にかけて、妻に先立たれた87~88歳の父親を介護したことになる。57歳と言えば、まだまだ現役で仕事をしている最中で、認知症の父の介護は大変な苦労であったろうと推察する。意思疎通が困難なことほどストレスのたまることはない。結局父上は最期は胃癌でなくなるのだが、その5年後著者自身も胃癌んで他界された。何ということであろうか。

 

 認知症の父親はある意味哲学者のような存在に見えてくるというのが、本書の基本構造だと思う。決して疎外せず、そのありようを凝視して人間存在を分析にかけているのが素晴らしい。以下印象的な話題を取り上げてみよう。父は母(父の妻)に先立たれたが、生前「ぜんぶお母ちゃんのおかげ」「お母ちゃんがいなかったら俺なんか生きてないよ」と口癖のように言っていたのに、死んだ途端に忘れる。忘れて鼻歌を歌っている。その多幸感にあふれ清清した様子に、著者の妻は「許せない」と憤り、「あなたもきっとそうなる」と責めた。それに対して著者曰く、おそらく父は母を忘れたわけではない。母が近すぎて対象化できず、失うこともできない「私」に呆然としているのだと。

 

 この項、宗教学者のマルティン・ブーバーの「人間の態度を決定する根源語は単独語ではなく対応語だ」という文章を引いて説明している。対応語とは「われーなんじ」と「われーそれ」の2語。「それ」の世界は、時間と空間の中につながりをもっている。「なんじ」の世界は、そのいずれにもつながりをもっていない。つまり、なんじ(あなた)が私のすべてで、すべてがなんじ(あなた)である。話し手と聞き手、主体と客体の分別もないわけで、まさに完全なる失認ではないだろうかと。これだけ息子に庇ってもらったらお父さんも本望だろう。

 

 また父の食事介助の困難さについて、家父長制型認知症という言葉で表現しているのも面白い。長年母は毎日欠かさず三食を用意し、父に給仕していた。これは60年にわたって続けてきた習慣で、父にとって食事とは「食べる」というより母の給仕を受けること。母の前に「座る」ことなのだ。この習慣こそ認知症の原因ではないだろうかと。確かに私の父もこういう感じだった。大体母親のほとんどが専業主婦という時代だったので、不思議ではない。今では考えられない状況だが。この項、さらに分析が続く。

 

 このように本書は認知症の父親を哲学的、言語学的、社会学的、心理御学的に分析した稀有の書で、一読の価値がある。随所に父親に対する愛情が感じられて、感心した次第。

 

 

 

 

 本書は第175回直木賞の候補作として前評判が高かったが、結局落選した。受賞したのは朝倉かすみ氏の『けんぐわい』(光文社)だった。私は朝倉氏の作品は未読なので、比較して論じることはできないが、本書の前半はちょっと退屈だった。それは直木賞の小説が持つはずの通俗的面白さがいささか希薄だからではないかと思ったからだ。しかし後半になって俄然面白くなっていく。本の装丁のようにデモーニッシュな感じになっていくのはスゴイ。

 

 主人公は江戸時代の全盲の国学者・塙保己一。病気のため7歳で失明したが、学問を志し、その後国内最大の叢書『群書類従』を編纂して出版した。保己一が74歳の時で、34歳で出版を決意してから41年後のことだった。76歳で没しているからまさに一生をかけての仕事であった。盲人の保己一がこれだけの仕事をなしえた所以の物は何だったのか。たまたまの幸運が重なっただけということではない。人並ならぬ努力があったことは言を俟たない。さらに彼を取り巻く人間との関係が重要である。父母、師、妻、弟子、子供等々、彼らとのかかわりの中で話は展開してゆくが、その基本構図は盲人対目明きという二項対立である。

 

 江戸時代の川柳に「番町で目明き盲に道を聞き」というのがあり、盲人の保己一がいる番町の和学講談所へ門弟が学びに通うさまを風刺したものである。盲人が目明きに道(道程)を聞くのが普通だが、番町では盲人の保己一から道(学問の道)を聴いているのを詠んだものである。このように保己一を川柳の題材にすることの裏には明らかに盲人に対する差別意識がある。このような意識は江戸時代という身分制社会の中では文学的な素材として受け入れられやすかったであろう。でも最近の世情ではなかなか難しい。本書の作者もこのセンシティブな問題に苦慮されたことであろう。

 

 因みに、1960~70年代にかけて勝新太郎主演の「座頭市」という映画が人気を博した。勝扮する座頭の市が杖に仕込んだ長どすで悪人をバッタバッタと切り倒す痛快な映画である。この映画では悪人が座頭市に対して「このど〇〇〇、やっちまえ」というセリフが何回も出てくるのである。今では完全にアウトだ。それが許された時代であったのだ。ましてや江戸時代、保己一の生き辛さは想像を絶するものがあっただろう。でも生きていくしかない。その積り積もった苦悩の蓄積の爆発が第六章「眩くて眩む」だ。

 

 幼馴染の輝明に保己一が投げた言葉。「見えるわけなかろうが!だって俺は盲なんだぞ」「まさか輝ちゃんは盲をご存じねえ?そんなら教えてやらあ、盲ってのはな、目が見えないってことなんだよ!」「見えるか保己一!」「俺にばっかり聞いてきやがってさ。そんじゃあてめえらはどうだってんだ。俺のことをちゃんと見てたかい?見ていたんならわかろうが。俺の目にはなんにも映っちゃいねえってことがさあ」以後このような独白が続く。人は俺を心眼で見ているとか超人のように言うが、人並の人間なんだと。この見える見えないが大きな溝であり、軋轢の原因なのだという保己一の叫びこそこの小説の主題だった。この終章はすごい。

 予備校は大学受験のサポートをするもので、かつて私もお世話になった。ところが予備校自体は学歴にカウントされないので、浪人時代、いくらレベルの高い予備校に通っていたからといって、履歴書に書けるわけでもなく、学歴にカウントされない。いわば日陰の存在だと言って良い。本書は予備校の歴史を時系列に沿って記述したもので、なかなかの力作といえるだろう。予備校の全盛期を1970~90年代と言っているが、私自身1970年に高校を卒業して、受験に失敗した結果予備校通いをした経験から本書を読んで、当時の生活を懐かしく回顧した。

 

 当時は国立大学受験の場合、一期校と二期校に分かれており、それぞれの大学が入試問題を作成していた。共通テストがない時代である。当時は受験生が多かったので、東大などは一次試験を課して、定員の三倍に絞ってから本試験という流れだった。採点を効率的に正確にやろうということだったと思う。入試科目も一期校は基本的に英語、数学、国語、理科、社会が必須であった。

 

 私も一期校目指して大阪のT予備校に通っていたが、当時は駿台も河合塾も代々木ゼミもなく、在阪の予備校がしのぎを削っていたが、人気だったのがYMCA予備校の土佐堀校で難関大学の合格実績は他を圧倒していたと思う。T予備校の講師は元高校教諭が結構多く、あとは大学の先生のバイトであった。ある時、先生が名古屋の河合塾を見学してきたという話をされた。当時全国展開する前のことだが、先生によると河合塾の教室はいつ他業種に転換してもいいようなビルの作り方をしているそうで、なかなか抜け目のないやり方だと感心されていたのを思い出す。その後の河合塾の発展はご承知の通り。駿台は1971年以に京都に進出し、その後大阪にも攻め込んできた。在阪の予備校はその後これらの全国展開の予備校の後塵を拝するようになった。

 

 この図式は既視感があって、町の小売り店が大型スーパーに呑み込まれる状況と同じである。予備校界では生徒獲得競争に勝つために優秀な講師の獲得が課題となった。本来は基礎基本から応用へと地道に指導するのが大切だが、授業にパフオーマンスを取り入れたり、人生論を語ったりする講師が現れ、これが大きく喧伝された。私の記憶にあるのは、例えば代々木ゼミの英語の佐藤忠志氏と河合塾の牧野剛氏。

 

 本書によると佐藤氏は1980年代に代ゼミや東進ハイスクールで教えていたが、カラフルなシャツ、ド派手なスーツ、金色のネックレスとブレスレットで着飾っていた。「金ピカ先生」と呼ばれ、テレビのバラエティ番組に多く出演していた。私もテレビで彼の姿を何度も見た記憶がある。その後参議院選挙に立候補するなどしたが、落選した。最盛期には、授業一回で200万円、年収二億円以上のこともあったという。ところが数千万円するクラシックカーを次々購入するなど浪費がたたり、最後は一文無しになった。2019年に亡くなったが、なくなる一か月前に週刊誌が彼を取材した様子が書かれているが、哀れである。電気もガスも止められ、家の中は真っ暗。生活保護を受けていて、その金が入れば光熱費を払うつもりだという。これは週刊現代の記事だが、私はこの記事を読んだ記憶がある。氏は当時糖尿病を患っていると書いていたと思う。暴飲暴食が祟ったのだろう。

 

 もう一人の牧野氏は、氏が作った共通一次試験の模試の現代文の問題が本番で的中して一躍有名になった。彼は授業中ビールを飲んだり、女性用の下着をかぶったりと、およそ学校では考えられないパフオーマンスをしていた。調子に乗っているなという感じだった。その後、参議院議員選挙、県知事選、市長選に立候補したが、どれも遠く及ばなかった。世の中甘く見るなということだ。このように予備校は生徒に受ければ何をしてもいいというおごりがあったと思う。私など公立の高校で日々私語をやめさせることに腐心してきた者にとっは別世界の出来事だった。

 

 そんな中で私が予備校講師の中で一番感心したのは、万葉学者の中西進氏の授業だった。氏は1970年ごろ東京の武蔵高等予備校の講師だったが、その現代文の授業は本当に素晴らしかった。氏は当時成城大学の先生で、その前は東京学芸大学付属高校の教員をされており、東大の大学院時代は都立富士高校の講師などもされて現場での経験は豊富だった。武蔵高等予備校での聴講の経緯は長くなるので割愛するが、古典が専攻なのになぜこんなに現代文が上手く解説できるのかと思ったが、先生曰く、私は現代文が好きなのですと。世の中にはすごい人がいるものだと感動した。一番記憶に残っているのが、選択肢の問題は三番目のしかも一番長いのが正解の確立が高いですよというもので、予備校講師の面目躍如たるものがあった。派手なパフーマンスはないが中身でじっくり聞かせる、それを支えるのが該博な知識と教養だということを肝に銘じてやってきた。先生は96歳を越えた今もご健在である。これからもいろいろ発信して頂きたい。

 

 私は紆余曲折を経て都内の一期校に合格でき、楽しい大学生活を送った。東京は広いなとつくづく実感した。