『ユダヤ人の歴史』(中公新書)に続く第二弾。「シオニズム」の起源から現代のイスラエルの状況を網羅的に解説したものである。「なぜ、パレスチナ人を徹底して攻撃するのか」という腰巻の太字の惹句は、ネタニヤフ首相率いるイスラエルの強硬な姿勢を批判するトーンで、いかにも岩波的という感じがする。実際本当のことを言っているのだが。

 

 「シオニズム」の辞書的説明は、「ユダヤ人が歴史的な故郷であるパレスチナの地にユダヤ人国家を再建し、維持しようとする民族運動。19世紀後半にヨーロッパでの反ユダヤ主義の高まりを受け、テオドール・ヘルツルによって政治運動として本格化した」となっている。シオニズムの起源については第1章で詳述されているが、私はここが肝だと思う。

 

 まず1900年時点の世界におけるユダヤ人の人口の半数がロシア帝国に暮らしていた。そんな中ユダヤ教の世界では 18世紀の後半から、ドイツにおいて近代社会にユダヤ教を適合させようととする「ハスカラー」運動が生まれロシアにも伝わった。ロシア政府はこれでユダヤ人を改革すれば、タルムード(ユダヤ教の経典)からユダヤ人を引きはがし、彼らを無害化できると考えた。首都サンクトペテルブルクに暮らす銀行家や大商人のユダヤ人もその方向に賛同し、定住区域の同胞が自己改革することでロシア帝国に受け入れられる臣民になるよう働きかけた。

 

 ところが1881年3月13日、皇帝アレクサンドル二世がナロードニキに暗殺された。イースター(キリスト教の復活祭)前でもあり異様な雰囲気のなか、ユダヤ人がキリスト教徒を殴ったという噂が流れボグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害行為)が起こり、ハスカラー運動は衰退する。そこで登場したのがヘルツルで、彼はユダヤ人がまとまって暮らす国家を作ることでユダヤ人問題を解決しようと提案した。そして、1897年にスイスのバーゼルで第1回シオニスト会議を開催し、バーゼル綱領を採択した。それは「シオニズムは、公法(国際法)に従ってユダヤ民族のための本拠地をパレスチナに設置することを目指す」というもので、農業入植の促進、各地のユダヤ人の組織化、ユダヤ人意識の強化等が掲げられた。

 

 当時社会主義が若者の間で流行しシオニストと社会主義の双方を自任する者は少なくなかった。これが社会主義シオニズム(労働シオニズム)と呼ばれる潮流だった。その中の一人がロシア領ポーランド出身で、初代イスラエル首相となったダヴィッド・ペングリオン(1886~1972)である。彼は1905年にパレスチナに向かい、農業に精を出すことになった。なぜシオニストが農業にこだわるのかについて著者は言う、ユダヤ人は中世以来、農業にあまり従事しなくなり、商業への方への偏りをたびたび揶揄されてきた。農民を搾取するイメージがついて回り、自分では汗をかかず、他民族に寄生するという反ユダヤ主義言説に発展していく。これを反省したが故の行動だと。共産主義農場で自活することに社会主義シオニズムの理念があった。

 

 この理念の結晶がキブツである。キブツとは私的所有を排した共産主義的農業共同体のことで、今も存在している。日本にもヤマギシ会という似たような組織があって、財産を全て預けて集団農場のようなところで働くのだが、いろいろトラブルがあったと聞く。イーガル・アロン、イツハク・ラビン、シモン・ペレス、エフード・バラクといった労働党の首相経験者がキブツ生まれであったり一時期キブツで過ごしたりしているなど、かつてはイスラエルのエリートコースでもあったという。

 

 今回本書を読んでなぜイスラエルにキブツのような共産主義的な農業共同体が生まれたのか、その理由が分かった。大いなる収穫であった。ならばいまのネタニヤフ政権はどうなのか。それはジャポティンスキーを祖とする「修正主義シオニズム」の一派であってその政治信条は「なぜ、パレスチナ人を徹底して攻撃するのか」という問いかけからほぼ推測できる。詳細は本書で確認して頂きたい。本書は前作同様、新書としては内容が豊富で読みごたえがあった。次作を期待したい。

 副題は「信仰をめぐる市民社会の断層線」で、アメリカ社会の宗教が社会問題とどうかかわってきたか(いるか)をのべたものである。筆者によれば、ここでいう「宗教」とは主にキリスト教福音派の信仰とその神学思想に基づく行為の軌跡という意味で使っているとのこと。なぜ福音派かといえば、その信徒数はアメリカ人全人口のおよそ24%(アメリカ人の四人に一人)を占め、1970年以来、大統領選挙に大きな影響力を持つ集団であり続けているからだと言う。実際筆者は福音派左派を支持すると明言しており、そのスタンスで教会に行って信者のインタビューをしているフイールドワーカーである。先にこの欄で『福音派』(加藤喜之 中公新書)を取り上げたが、本書はその一年前に刊行されており、ニ著を合わせて読むと理解が深まると思う。

 

 中身は、「宗教と経済」「宗教と貧困ー社会的関心と貧困への態度」「宗教と人種」「宗教と性的多様性」「宗教と環境」「宗教と教育」「宗教と国家ーアメリカの市民宗教」「宗教と対外政策ーアメリカのイスラエル支持の謎」「福音派運動のゆくえ」となっており、それぞれが章立てで記述されており、重要なテーマだが、ここでは第五章の「宗教と性的多様性」が面白かったので、取り上げたいと思う。

 

 福音派は聖書の記述を厳格に守ることをアイデンティティーにしているが、聖書によれば同性愛は罪であり、同性愛者は断罪されるべき存在であるが、大方の福音派はせめてもの隣人愛を彼らに注ぐことこそ、福音派の福音派たる所以だと感じていた。主流派キリスト教徒と宗教右派の中間に位置したのが、「罪を憎み」「罪びとを愛する」立場、すなわち、彼らを断罪はしないが、受け入れることもせず、ただ神の恵みによる異性愛者への転換を目指すエックス・ゲイ運動だった。(P104)

 

  因みにエックス・ゲイ運動(脱ゲイ運動)とは1970年代に始まり、同性に対する恋愛的な関係性や性的な関係性を控えるよう促し、異性愛関係への参加を推奨する人々や団体から構成される運動である。同性愛は罪だということで、自身や周りの性的指向を異性愛に変更しようとするものだ。これと福音派の関わりについては、例えば専門の精神科医・公認牧師のE・マンセン・バディソンは60年から70年代にかけて心理学的研究の成果を福音派コミュニティーに活かす活動を行った。1980年に「アメリカ精神医学ジャーナル」で「元同性愛者ー宗教が媒介する同性愛者の変化」と題して発表した論文が大きな反響を呼んだ。その中で多くの同性愛指向者が危機管理プログラムを受けて異性愛指向へ転換したと主張していた。

 

 しかしその後、同性愛者の人権運動、エイズへの対応などがあって、福音派は、異性愛者への転換は予想よりはるかに時間がかかる矯正法であり、成功する保証もないと認識していた。この認識はエックス・ゲイ運動においても共有され、運動は瓦解することとなった。その後、同性愛カップルを教会に受け入れることを表明する例もあり、2015年以降世の趨勢に傾く形でLGBT+を教会で受け入れるという見解を持つ福音派指導者も現れた。聖書の言葉を厳密に守って履行するという宗教的規範も、時代の流れと実生活の対抗力の前では非力であるということを物語っている。生まれつきの性的指向を無理やり変えるというのはもともと無理ではないか。

 

 筆者によれば、転換療法は、著名な医師団体や精神衛生協会や一般市民の間で廃止が支持されているが、依然として行われていて、推定六十九万八000人のLGBT成人が治療を受けている。2018年1月現在、九つの州、コロンビア特別区、三十二の自治体が、免許を持つ専門家が青少年に転換治療を行うことを禁止する法律を制定しているとのこと。今後福音派がどういう活動を目指すのか眼が離せない。道徳に関わる宗教的メッセージは時に法律より強い縛りをもたらす厄介なものだから。

 

 

 

 

 初出は昭和55年3月だが、今回は令和6年7月の55刷をもとに書く。零式戦闘機は日本海軍のエースとしてゼロ戦と呼ばれるが、正式名は零式艦上戦闘機で三菱重工の制作である。デビューした昭和15年は皇紀2600年にあたり、その末尾の0を取ってつけられた。最初に作られたのは21型で、昭和18年に改良モデルの52型が登場した。21型は3500機、52型は10000機、合わせて13500機製造された。設計主任は東大工学部出身の堀越二郎で30歳にも満たぬ若い技師だった。堀越は平成25年に公開された宮崎駿監督の映画『風たちぬ』で主人公のモデルになった人物である。

 

 本書は中国大陸での戦争から太平洋戦争の終結まで活躍したゼロ戦の誕生からその終焉までの経過をたどり、戦争の実相を描いており、読みごたえがあった。何より広汎な資料を集め、再構成した著者の力量に感嘆せざるを得ない。日本海軍航空本部は96式艦上戦闘機の後任として新型の設計を三菱内燃機製造株式会社(現在の三菱重工業)に依頼したが、その要点はスピードアップと空中戦における小回りの良さであった。そのために堀越らは操縦席と燃料タンク付近の防弾性能を軽視して本部の要求に応えようとした。そのようにして実現したのがゼロ戦21型だったが、大戦後期になるとアメリカ海軍のグラマンF6Fヘルキャットなどの高性能の戦闘機に凌駕されるようになる。

 

 グラマンF6Fヘルキャットは対ゼロ戦用に開発されたもので、大馬力エンジンと堅実で余裕のある機体設計で、操縦席付近の防弾性能はゼロ戦の比ではなく、パイロットの生命保護が実現された名機であった。日本とアメリカの国力の差が二機の戦闘機にあらわれていると言えよう。ミッドウエー海戦の敗北以降、多くの航空母艦を失った日本海軍は、やがて南洋の諸島で玉砕攻撃を繰り返し、最後は戦艦大和を沖縄戦に振り向けたが、アメリカの航空機に撃沈された。名機ゼロ戦も神風特攻隊の攻撃機として使われ、悲しい終末を迎えることとなった。

 

 本書は名機ゼロ戦が初期の栄光から特攻用に使われて最期を迎えるさまを時系列で描いているが、そこには圧倒的な国力の差があったことを著者は通奏低音として描いている。それは何かというと、ゼロ戦の運搬方法である。名古屋市港区の三菱重工名古屋航空機製作所の門から胴体・翼に分離された機を48キロ離れた岐阜県各務原飛行場になんと牛車で運んだのだ。平安時代じゃあるまいし、これはどうしたことだろうか。名古屋市から各務原飛行場までは道が悪く、普通に運んだら飛行機を痛めてしまう危惧があったため牛車で運んだということだが、一体牛が何頭必要になることだろうか。さすがに戦争末期は牛から馬(ペルシュロン系)に代えて時間短縮を図ったと言うが、すでに時遅しである。因みにペルシュロンとはフランスのノルマンディー地方原産の大型の馬の品種を指す。

 

 この話題が日米の国力の差の暗喩として使われており、敗戦が必然であったことを示唆する。なかなかうまい手法である。大戦後期にアメリカ海軍が投入したグラマンF6FヘルキャットやヴオートF4Uコルセアは強固な防弾性能によってパイロットの命を守ろうとしたのに対して、薄い鉄板のゼロ戦は特攻機として太平洋に散っていった。この人命に対する意識の差こそ、太平洋戦争の実相であった。

 

 

 トランプはバイデンを破って大統領に返り咲いたが、先の選挙で敗れた時(2021年)選挙結果が盗まれたと繰り返し、国会議事堂前に集まった支持者を扇動して、議事堂を破壊せしめた。5人の死者と数百人のけが人、3000万ドルを超える損害を出した襲撃は世界に衝撃を与えた。この暴徒の中に福音派の人々が多くいたという。本書によると、2020年11月の選挙では84%もの福音派の白人がトランプに投票しており、堕落したアメリカの救世主の姿を彼に見出す者も少なくなかったという。実際、トランプが大統領選への出馬を宣言した2015年6月の時点では、福音派のこうした熱狂は予測できなかった。 この10年で状況はすっかり変わったのである。革命の熱に浮かされたプロレタリアの暴動を彷彿とさせる情景が21世紀の民主主義国家で展開するとは誰も思わなかったであろう。これこそ宗教的フアナティズムの発露で、アメリカが宗教国家であることを端無くも表したと言える。

 

 この福音派とイスラエルの親和性は前掲の『ユダヤ人の歴史』(鶴見太郎 中公新書)で触れたが、改めて福音派についていうと、彼らは聖書の言葉を絶対的な真理と受け止め、その一字一句をそのまま信じる。また終末論というものがあって、イエスは終末に至る最後の千年間世界を支配するために再降臨するが、その前にユダヤ人がイスラエルに国家を再建することが不可欠であり、それは聖書の預言成就に他ならないという。つまり、来るべき終末はキリスト教とユダヤ民族の両方に訪れるというもので、これをディスペンセーション主義という。これがアメリカのイスラエル支持の源流になっている。

 

 さてトランプはニューヨークの不動産開発業を営む両親のもとに生まれたブルジュワである。彼は福音派のノーマン・ヴィンセント・ピールが牧師を務めるマーブル教会に通った。ピールは罪や悔い改めよりはむしろ、自身の内なる力への信頼を強調した。この積極的思考は、成功を重視するトランプの考えとマッチしたものと見えて、彼はマーブル教会に50年近く通い続け、二度の結婚式や両親の葬儀など人生の重要なイベントはすべてここで行っている。(本文224頁)トランプが2015年に大統領選に立候補を表明すると福音派はその支持に回ったわけだが、はじめは彼が大都市ニューヨークの成功者、性的に放縦で、中絶肯定論者、もと民主党支持者ということで反対する人が多かった。しかし指導者の多くが正しい大義のためであれば慣習を破ることさえ厭わない、家父長主義的で力強いマッチョなリーダー像を求めていたこともあってトランプに乗った。またトランプは福音派との距離を縮めるために副大統領候補として熱心な福音派のインディアナ州知事マイク・ペンスを選び安心させた。

 

 福音派は1950年代には信仰の自由を認めない共産主義への対抗軸となり、1960年代~80年代には人種間の融和やジェンダーフリーといった「自由」がキリスト教の保守的価値観を破壊するとして抵抗した。これが今トランプを支持する福音派の源流である。彼らから見れば共産主義とは悪魔の操る無神論(ビリー・グラハム)であり、あってはならないものなのだ。アメリカに於いて共産主義が根付かない所以はここら辺にありそうだ。ことほど左様にキリスト教の勢力が強いと言えよう。

 

 本書は福音派の伝道師ビリー・グラハムがアイゼンハワー大統領の選挙運動にかかわった話題から始まり、リチャード・ニクソン、ジミーカーター、ロナルド・レーガン、ジョージ・H・Wブッシュ、ビル・クリントン、ジョージ・Wブッシュ、バラク・オバマ大統領と福音派の活動家との関わりを時系列に沿って詳しく書かれている。大変参考になった。今後福音派の動向が注目されるが、著者は次のように述べている。「結局のところ、終末論を信奉する福音派にとって、政治による中東和平など眼中にない。神の終末の計画は、イスラエルの地、特にエルサレムを中心としたヨルダン川西岸地区を中心に成就されることが決まっており、それを妨げるものは何であっても許されないからだ。トランプ大統領らは、こうした福音派の傾向をよく知っていたがゆえに、政治利用することに余念がなかったのであろう。だが、それ以上に福音派の傾向をよく心得ているのは、ナタニヤフのようなイスラエルの政治家たちであり、エクシュタインらユダヤ教シオニストたちである。そして犠牲になるのは、いつもこの地域の平和であり、多くのパレスチナ人だ」と。このハルマゲドンを終わらせてイエスが降臨するのはいつのことか。

 本書はよく売れて、重版を重ねているらしい。イスラエルとパレスティナの戦争に関して、トランプ大統領が仲裁に入り停戦交渉をしている昨今、この問題に興味関心を持つ人がイスラエル建国の経緯とユダヤ人の歴史について学ぼうとすることは、喜ばしい事である。本書の腰巻には、「ユダヤ人を通じて世界史を探求する。」「3000年のユダヤ史を雄大なスケールで描く」等の惹句がちりばめられているが、流浪の民の歴史が手際よくまとめられており、参考になる。

 

 読者にとって、ユダヤ人の歴史についての関心は多岐にわたると思われるが、個人的にはアメリカはなぜイスラエルを支援するのかという問題が関心の中心になると思う。これは目新しい話題ではないのだが、本書ではどのように説明されているのかを見てみよう。本書の第2章 (古代末期・中世-異教国家のなかの「法治民族」)の項から適宜抜き出してみる。

 

 ローマ帝国のテオドシウス帝が392年にキリスト教を国教としたことで、ユダヤ人の分は悪くなった。しかし必ずしも厳しく弾圧されていたわけではなかった。それはキリスト教自体が、教義面では次第にユダヤ人に対して「生かさず殺さず」という態度をとるようになっていったこととも関係している。4世紀から5世紀にかけて活躍し、古代キリスト教最大の教父と呼ばれたアウグスティヌスは主著『神の国』で、イエス誕生前まで、「神の国」の担い手はユダヤ人であり、律法だった。しかしイエス以降、人類は律法に代わって福音(イエスやその使徒たちの教え)により導かれることになる。終末と最後の審判を経て「神の国」が到来する。そして終末に際して、ユダヤ人はついにイエスを認め、そこに「神の国」が実現する。

 

 この考えは20世紀半ば以降のアメリカで拡大した福音派(エヴァンジェリカル)によって、ユダヤ人擁護の方向に発展した。すなわちユダヤ人がパレスチナに結集し国を建てることが、「神の国」に実現のための前提になるというのである。これが、「キリスト教シオニズム」と呼ばれる思想の核心であり、福音派が政治的に一定の影響力を持つ現代アメリカが親イスラエル的な政策に傾く要因の一つとなっている。それはイスラエル・ロビーの影響力よりも大きいと言われる。

 

 以上、主要部分を抜き出したが、イスラエルとアメリカの関係が的確に説明されている。アウグスティヌスの『神の国』を典拠にしているのは類書には見かけなかったので(私が知らないだけかもしれないが)新鮮な感じがした。因みに福音派とは、聖書の言葉を絶対的な真理と受け止めその一字一句をそのまま信じる人々で、終末の時期においてイスラエル国家が重要な役割を果たすと信じている。彼らはアメリカ人有権者のおよそ4分の1を占めると言われている。これを見ると、アメリカは世俗国家ではなく宗教国家だという感じがしてくる。またイスラエル・ロビーはアメリカ外交分野で最強のロビー団体と言われており、その中核はAIPAC(米イスラエル公共問題員会)だが、著者によると、近年は「Jストリート」という団体が結成されて、一応イスラエル支持を掲げているが、個々のイスラエルの政策には批判的であることも多いという。そうであるならば、極右のネタニヤフ首相の強硬に戦争を継続する姿勢には反対してもらいたいものだ。ガザの廃墟と化した様子と人々が飢えている状況を映像で見るにつけ、一刻も早い停戦を願うものである。