毎年、ここに書いていますね・・
寒い師走になると必ず思い出す、母のひとつのエピソードです。

あれは、私が小学生のころ、
雪の降った翌日の日曜日のことでした。。
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もう、何十年も前になる、、冬のこと

12月、師走の京都、四条通り、、、
音楽が流れ、クリスマスのお買い物をする人、人、ひとで、にぎわう頃

京阪電車、四条駅を降りて、河原町まで、、、
12月の京都の雪は、ぼたん雪。
すぐに溶けて、道は黒々く光っています。

水色のふんわりした、コートを着た母と小学生の私は、連れだって
買い物に出かけて来ました。

・・木屋町筋の交差点まで来たときでした。 

一人の お爺さんが、繁華街に似合わない リヤカーを押しながら、
交差点を渡ろうとしていました、ゆっくりと。

リヤカーの上には、廃材の板きれが山と積んであって、
重かったのでしょう。本当に、<ゆっくり>としか進めません。
信号が変わりそう。。。

道の真ん中まで来たとき、とうとう信号が変わってしまって、
右折する車が、お爺さんの後方から突っ込んで来ました。

<ブブブーーーーッ!>
クラクションに驚いて、お爺さんが手を離し、転んだ!
ばーっ!、とリヤカーの上の板きれが 道中に巻き散りました
 
お爺さんは、呆然として、へたり込んだままです。

クラクションの音がますます、大きくなります。。。
誰もが、ただ、見ているばかりで。。

・・その時でした

「あなた!助けに行ってあげなさい!」
母は、私にそう言うと、自分も道路に飛び出そうとしました。

一瞬、躊躇した自分が恥ずかしくて、
「おかあちゃん、危ないから、ここにいて!」と叫んで、飛び出しました。

呆然と座り込んでいるお爺さんに

「手伝うよ!おじさん。早く積も! 道の真ん中だから、危ないから!」

・・・懸命に、板きれをリヤカーに積もうとしました。

気が付くと、母も、新調のコートが汚れるのも気にしないで
板きれを拾っています。

「おかあちゃん!危ない!釘も出てるし、ぼくがやるから!」

母は、手を横に振って、
「私の事なんか、かまわないで、早く積みなさい!」と叫びます。

歩道から、一人の茶色の皮のジャンパーを着た男の人が
走ってきて、手際よく、板きれを ぼんぼん、リヤカーに積んでいきました。

「奥さん!いいですよ、危ないから、離れて下さい。ぼく、もういいよ」
「おい!だれか!手伝ってくれ!」と叫びます。

それを見ていた人たちが、一斉に走ってきて、、、
すぐに、板きれをリヤカーに積んで、、、、歩道の脇まで運んでくれました。

「ああ!良かった! ・・・やっぱり、男の人は力が強いわねー♪」
母は言って、手伝っていた人達に ぺこぺこお辞儀をしていました。

・・気が付くと、道の側で、交通整理をしていた「お巡りさん」が
2人、、、お爺さんに、なにか言っています。

(お爺さんが お巡りさんに捕まっちゃった!、どうしよう、言わなくちゃ!)

私は、お巡りさんの側へ行き、服を引っ張りながら

「お爺さん、転んじゃったんだよ。わざとじゃないよ!見てたから!
雪で滑って、、ビックリして、、、わざと・・・じゃないよ。」
必死になって、喋りながら何故か、、涙声になって、声が詰まりました。            

びっくりして、母が飛んできました!
「この子ったら!・・すみません!」と私を引き寄せ、お巡りさんに謝っています。。。
 
・・ようやく、状況を理解した お巡りさんが、ぽんぽん、と
私の頭をたたきながら、にっこり笑って、

「大丈夫だよ、ぼうや。叱っているんじゃないよ。安全なところまで送って行くだけだからね。」と言って、母を見て、笑いながら、
何度もうなずいました。
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その時になって、急に、道路の真ん中で、みんなに見られているのに
気づいて・・・
母と私は、真っ赤になって、そそくさと その場を離れたのでした。

・・それを近所のおばさんが見ていて、、

後日、「奥さん!見てましたよ。感動しちゃった!私も出ていこうとしたけど、
出ていけなかった。やっぱり、奥さんやねーー」

母は、それを聞いて、、
「考えなしに、動いちゃうから、、だめね私って。なんの役にも立たないのにね。」
 と、恥ずかしそうに笑っていました。

・・・そう、暖かな雪の降る、、12月のことでした。
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クロード・ドビュッシー



P.S:
母の思い出と共に、私がこのエピソードを何度も書いている理由の一つに、このシーンがあります。
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「おい!誰か手伝ってくれ!」と皮ジャンバーの男性が叫んだ、あの時、
一斉に、呪文が解けたかのように、何人もの男性が歩道から飛び出してきました。

そんなことって、ありますよね?
(助けに行かなきゃ!でも、、私が?今?)と皆が竦んで(すくんで)しまうときが
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阪神大震災から何年かたったころ、こんなことがありました。

朝、先輩のMさん(足が悪い)と御堂筋線、本町駅の階段を上って会社に急いでいた時。。
地上の入口で車いすに乗った男性が、(階段を下りたいのだけれど、どうしよう・・)と立往生していました。

瞬間!以前、駐車場で転んで目に大けがをした母の姿と重なって・・
「下の通路まで、運びます!!」と、車いすを抱えようとしました。
・・さすがに、一人では無理そう、、足の悪いMさんまで手伝おうとしていました。

とっさに「すみません!誰か!手伝ってくれませんか!?」と叫んでいました。
・・すぐに、近くの男性が何人も駆け寄り、助けてくれて。。

無事に、車いすの男性を下の通路まで運んだところで、駅員さんが走ってきました♪
「ありがとうございましたぁ!」という私とMさんに、

「ちがう、ちがう!こっちが言うことや。ありがとう!」、、
皆、そう言って会社に急いでいきました。
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あの時はそうだった・・
誰かの役に立てることが嬉しかった
何もできない自分が情けなくて辛かった。。

今、外国の方々からは
「日本人がマスクをするのは、他人の目を気にする性格だからじゃないの?」とよく言われます。

でも、、少なくとも私達には「だって、可哀そうじゃないの!」という感覚があります
「もしも感染して重症化してしまったら、、とても可哀そうじゃないの!」
・・だから、私たちはそうしているんですよね?
私たちが他の人達にできる、本当に数少ないことのひとつ。。

何度もコロナが再拡大しているヨーロッパをはじめ、海外の方々も・・・
周りの目は気になるでしょうけれど、
それでも、外でマスクする勇気を持ってほしい

それは毎日の料理や掃除や家事などの、こまごましたことと同じ♪
毎日の、目の前のひとつひとつの、小さな思いやり・・

それは、決して、小さなことなんかじゃないんですよね?