東京都民は足の悪い老人? | tadahiのブログ

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東京都民は足の悪い老人?

 

 都知事選で蓮舫氏は、この段階で神宮外苑再開発の是非を問う住民投票の実行を公約にあげてきました。この公約表明が遅れた理由は、神宮外苑再開発問題への有権者の関心がどれくらいあるのか、1週間訴えて反応を見ると、同じように考えている有権者が多いので、追加公約としたと弁明しています。この話が本当であれば、都民とはかなり無知で蒙昧な人たちばかりだろうと唖然としてしまいます。

 神宮外苑の再開発問題を自分の力で調べるということをせずに、共産党や蓮舫氏のいうことを鵜呑みにして反対しているとしたら、都民とは扇動しやすい人たちということを証明していることになりそうです。以前にも外苑再開発について書きましたが、共産党、蓮舫氏の主張は間違っていて、妄想を話しているというのが私の考えです。外苑再開発では、銀杏並木をはじめとする景観をできるだけ残す計画となっています。また、建設終了時には、今よりわずかに緑化が広がることになります。この計画が嘘で、実際は緑化が大幅に後退するというのであれば、問題は全く違うものになります。そうでなければ、東京という土地柄を考えれば、客観的に見て、かなり良心的な再開発だと思います。そして、重要なのは、開発計画は明治神宮であり、東京都ではないという点です。

 東京の真ん中に、神宮内苑があり、この森を守るために外苑を再開発して資金を集めるというのが、明治神宮の構想です。それに反対するということは、神宮内苑の森の存亡を危機に晒すことになると思いますが、そこまで考えて反対しているのでしょうか。そもそも東京の真ん中に神宮の森があるということすら、かなり贅沢なことであり、それを維持しているのが国や都ではなく、神社であるということを考える必要があると思います。都民であれば、明治神宮に多額の寄付をするか、できなければ少なくとも感謝し、協力するべきだと思います。そのような状況を顧みず、言いがかりのような理由で開発に反対し、さらに圧力で押し潰そうとする行為は、卑劣であり、それに加担する都民は無知蒙昧の操り人形に等しい姿に映ります。

 東京都内に住んでいると、客観的に東京都の姿を見るのは難しいのかもじれません。また、時間に追われるような生活のため、共産党や蓮舫氏の言葉を吟味し、再確認する暇もないのかもしれません。ただ、SNSを巧みに使った詐欺が蔓延している現在で、人の言葉、特に政治家の言葉を鵜呑みにしていると、詐欺と同じくらい酷い目にあることは明白だと思います。しかし、蓮舫氏の周囲には、「森が消える」という単語を突きつけるだけで、思うような反応をしてくれる人ばかりなのだと思います。単純に騙されているのか、その嘘を利用しようとしているのかわかりませんが、深く考えることがないのかもしれません。

 東京に住む若者は、特にこの傾向が強いのかもしれません。そう考える理由の一つに、東京の住民の7割が外国人になる可能性を問われ、別に構わない、と答える若者が多いことにおどろきます。ロンドンは現在、英国人が3割で7割が外国人になっています。そのロンドンは、浮浪者がうろつき、ゴミが散乱し、細い道には強盗が待機しているような街です。これは、移民の増えたためにこうなったのではなく、ヨーロッパでは、大差ない光景のようです。世界に目を向けても、都市の姿は、ロンドンとそれほど変わらないのが現状だと思います。しかし、日本の現在は違います。浮浪者はほとんどいなく、清潔で犯罪の少ない街を維持しています。それは、東京都にいるのがほとんど日本人だからです。これが、ロンドンのように7割が外国人となれば、東京は国際都市となり、国際都市の標準の姿である今のロンドンのような光景になることは明白です。そこまで考えて、「別にいいんじゃね」と言っているのでしょうか。今東京で歩いているようには歩けなくなるということを考えているのでしょうか。想像力が欠如し、与えられたものを疑いもなく受け入れる無防備な状態は、平和で安全だから陥る罠かもしれません。東京がロンドンのようになれば、このような無防備さは無くなるのかもしれませんが、その時は手遅れでしょう。

 共産党や蓮舫氏のいうことを疑うこともなく受け入れた結果は、神宮自体の維持ができなくなり、内苑が消滅することになりそうです。そうなって気付いても手遅れです。東京都民を見ていると、足のおぼつかなくなった老人を想像してしまいます。足が悪くて転びそうだから、杖を使ったら、と助言すると、人を年寄り扱いするな、「あなたは若くて元気だ」と隣のおばさんに言われた、絶対に杖は使わない、と怒鳴る老人です。案の定、転んで足を骨折し、そのまま寝たきりとなり、2度と起き上がることができなくなる老人です。都民は、「あなたは若くて元気だ」という間違った現状、受け入れたい現状を、何も考えず受け入れるのではなく、聞きたくない苦言のような「転ばぬ先の杖」を受け入れるべきだと思います。