甲陽鎮撫隊は甲州勝沼の戦いで官軍に敗れ、共に戦った日野農兵隊(春日隊)を率いた隊長・佐藤彦五郎は敗走し、日野に戻るも官軍に命を狙われてしまいます。

彦五郎は妻・ノブと女中の娘に末娘・トモ(5歳)を背負わせ、尼僧寺「大蔵院」に匿われますが、追ってに知られてしまい、間一髪、闇の中を逃走し、二宮村の茂平宅に身を寄せました。

その後さらに、茂平の案内で大久野村の羽生家に身を隠しました。

 

今回の経路は逆になりますが、羽生家から武蔵五日市駅へ行き、お昼が予約できるお店を探しました。人数も15〜6名くらいかなと予想して。

武蔵五日市駅からバスで2つ目の停留所の近くにある、福子の提案で新聞にも紹介されていた塩おむすび定食のお店へ行きましたが、おむすび?っていうのとキャパが無理そうかなというので、他を探しました。

 

 

武蔵五日市駅から徒歩4分くらいの、寿庵「忠右衛門」は、裏に茅葺の別棟がある雰囲気のある蕎麦屋で、ちょいと粋に地酒と蕎麦をすすりたいところでしたが、懐石コース料理のみ予約可ということで、別のお店へ。

 

 

観光案内で聞いて、他にも5〜6軒当たりましたが、なかなか予約の出来るいいお店がなくて、結局、駅前のお店を予約することにしました。

 

 

さて、彦五郎らが立ち寄った二宮へ逆のコースを辿ります。

ここからは、また別の日にちょこっと行きました。

武蔵五日市駅から、五日市線「東秋留駅」で降りると、近くに二宮神社があります。

ここに彦五郎らが訪れたかどうかわかりませんが、当時は家も少なかったことでしょうし目立った存在だったと思うので立ち寄ったかも。

 

 

 

 

神社近くには、この地に心武館を開いた天然理心流・井上才市の碑があります。

 

 

二代目近藤三助の後、近藤周助〜近藤勇の近藤系とは別に、松崎系の松崎正作〜松崎和太五郎〜井上才市が継承します。

井上才市は心武館を開き初代に。

そういえば、五日市線「東秋留駅」から二つ目の「拝島駅」に行くと、拝島大師がありますが、そこに井上才市が大正2年に天然理心流奉納額を納め、98年後、平成23年(2011年)に新たな天然理心流奉納額が納められました。その奉納額に賛助員として佐藤福子の名が刻まれています。

 

 

 

またここには、自然の魅力がたっぷりの遊歩道があります。ウォーキング・コースも「かたらいコース」とか「汗かき鍛錬コース」とか色々あるらしいですが、彦五郎らはたぶん「汗かき逃走コース」だったと思います。

ここから、茂平の案内で羽生家に向かいました。

ただ、ここで気になったのですが、末娘トモを背負った女中の娘さん。トモは満4歳かと思いますが、日野から大蔵院へ、さらに真っ暗な尾根道を逃げ二宮へ、さらに羽生家へ、女中さんがずっとおんぶ紐で背負って、逃げて行ったのでしょうか?それとも強靭で足腰も強かったであろう彦五郎が「お前も大変であろう。ここはわしがトモを背負っていこう...」と男気のある優男だったのか。

とにかく十代の娘が4歳の子を背負って、日野から羽生家まで逃げていったらヘロヘロになります。

 

「東秋留駅」から隣の「秋川駅」に戻り、八王子方面のバスに乗って「バス停・戸吹」で下車するとすぐそばに、桂福寺があります。

 

 

このお寺には、天然理心流の開祖近藤内蔵之助と二代目近藤三助の墓が、屋根付きであります。

 

 

 

屋根付きお墓の左奥には、奉納額がありました。

 

大仏〜羽生家〜今回の二宮、桂福寺と、だいたい、以上のようなところを見てきましたが、全てまわるのは当日は時間の関係もあるので無理かと、、、

もしかしたら羽生家で何かあって3時間くらい滞在になってしまうかもしれないのです。