土方歳三が、橋本道助(政直)となみ(彦五郎長女)の長男出生に贈ったお祝いの七言絶句があります。

 

才名徳望重宇裏 梅桜竹林百歳間 
丈夫気識応如此 独鶴高翔萬仭山
賀橋本君生一子     義豊書

 

「才名徳望を広く積み、梅桜竹のようにめでたいことが長く続くように、この男子の気概は、一羽の鶴が万仭山の頂を悠々と飛翔してゆくような群を抜いた立派な人物になってほしい」

という意味です。

 

(小島資料館所蔵)

 

なぜ、歳三が橋本道助の子にこの句を贈ったか?ですが

橋本道助(政直)に嫁いだ「なみ」は、彦五郎と歳三の姉、ノブの初めての子ですが、佐藤家で暮らしていた歳三にとっても、特別な存在だったと思います。

(佐藤家、彦五郎とノブのもとで育ったからこそ、長州征討前、死を覚悟して送ってきた品や市村鉄之助に託した形見、他にもたくさんの品、手紙は彦五郎に送ってきました)

 

なみは歳三が12〜3歳の頃の子なので、姪とはいえ妹のような存在でもあり可愛がったということは容易に想像がつきます。

(次の子、佐藤源之助のことは、弟のように可愛がり気に掛けていたようで、幼少期から常に関わりを持ち、乗馬を教えたり、銃術の師範として京都に連れていきたい...また最後に徳川家の名刀「越前康継」を与えています)

 

可愛がっていた姪「なみ」の最初の子、男子誕生となれば、歳三にとっても大変喜ばしい出来事です。

慶応元年8月26日、多摩郡小野路村・橋本政直の長男の出生を祝い、「橋本君一子生を賀す」として書いた漢詩。

 

現在、この七言絶句は「小島資料館」に所蔵されています。

 

小島政孝著「土方歳三〜幕末群像伝」には、歳三の七言絶句の項に以下のことも記されています。

 

『また、「雑書」慶応2年4月1日の条に、

「日野宿佐藤彦五郎・源之助・定二郎外壱人兼助等来、道助方仁平、京都土方歳造より相届候小袖壱ツ貰也」

とあり、新選組副長として多忙な日々を送っていた歳三が、赤子に小袖を送るような心遣いに驚かさせる。』

 

土方歳三に関する逸話は多々ありますが、当時の文献とすり合わせのできるものは、信ぴょう性があるのかも。