7月9日(土)、産経新聞「司馬作品を歩く〜夏〜燃えよ剣」の企画で、歌舞伎役者の片岡愛之助さんが、旧・佐藤彦五郎邸(現・日野宿本陣)を訪れました。

この日は朝から小雨で、生憎の天気でした。


以下は、館長のブログ『福子だより』より


先般、産経新聞、没後20年を迎えた司馬遼太郎さんの名作の舞台を、四季折々に著名人が訪ねるという企画で、「司馬作品を歩く〜夏〜燃えよ剣」と題し、土方歳三の姉の嫁ぎ先で新選組を物心両面で支えた名主、佐藤彦五郎の自宅を兼ねていた日野宿本陣を片岡愛之助さんが訪れました。
本陣では日野市ガイドの会会長の芹川氏から説明を受けました。

片岡愛之助
(片岡愛之助さんと)

わたくしも末裔としてご紹介していただき、愛之助さんは、このような歴史ある屋敷のご子孫にお会いできて...こちらこそ光栄に存じます。
先月、当資料館で収録ロケを行った「片岡愛之助の解明!歴史捜査」の話も出ましたが、とても涼やかな目が印象的な方でした。


(お礼状とともに送られてきた産経新聞の一面)

記事にも、『玄関を上がってすぐの十畳間で、土方はよく昼寝をしていたという。愛之助さんが端然と座ると、現在ワンポーズだけ残る目元の涼やかな洋装姿の土方歳三の写真と重なってくる』...とあり、さらに
『敷地内にはかつての天然理心流の道場もあり、土方や近藤勇、沖田総司ら新選組の結成メンバーが剣術を磨いた。
「歴史がすごく身近に感じられて、ここで繰り広げられた光景を想像してしまう」
新選組が生まれた地を実感したと愛之助さんは言う』...と続きます。


(中面見開き記事)


司馬遼太郎さんは、1962年、「燃えよ剣」を執筆するにあたり、父に取材にお出でになりました。
日野宿本陣(旧 佐藤彦五郎邸・父母の代まで暮らしていた)の前で撮った、司馬遼太郎さんと父の写真がありますが、父を取材に来られた時のものです。

父と司馬さん
(司馬さんと父、彦五郎邸の前で)

父は司馬さんを自宅の父の書斎に招き入れ、ウイスキーを飲みながら、土方歳三や新選組の話をしました。
この時、父は「不許他見」(佐藤家代々に書き残したもので、他人に見せてはならぬ)と表紙にある彦五郎の長男、佐藤俊宣が書き残した「今昔備忘記」をこっそり司馬さんに見せてしまいました。
その中に、市村鉄之助が佐藤家に来たときのことが詳しく記載されていました。
司馬さんにとっては、これは!と思える記述だったことでしょう。
「燃えよ剣」に市村鉄之助のことが盛り込まれました。
これによって、「市村鉄之助」という名前が初めて世にでることになりましたが、司馬さんとの楽しく過ごした時間によって生まれたエピソードです。

司馬さんは、父に会ったときのことを、あとがきに残しています。
『歳三の姉の曾孫が当主なっている佐藤家は日野の甲州街道ぞいにある。
当主は、「維新後は、肩身のせまい思いをした、と祖母がいっていました」
と微笑したが、その容貌が、写真で歳三の顔にもっとも似ていた。
「眼もとの涼しい顔で、役者のようだった、といいます」・・・』



(司馬遼太郎さんの名刺)


(贈呈の初版・燃えよ剣と写真)

「司馬遼太郎展」が来年、全国各地を巡回するそうです。