ソニーの話をするために初投稿の記事を見返したついでに他の記事を見返してで気になったものを補足します。

指原Pはイコラブ1年目に試練の時を乗り越えた話は私のブログ初期に投稿しました。



 この投稿はイコラブが試練を乗り越えたことを元にしていますが、その時に指原Pはプロデューサーとして何をしたのか私が勝手に想像して補足します。


1 指原P自身は時期早々だと思っていた

 指原Pは将来的にはアイドルプロデュースはしてみたいと考えていたが2017年当時は時期早々だと思っていたようです。従って代アニと秋元さんの話から指原さんにアイドルプロデュースの話が丸投げされた時に何の準備もなかったはずです。それでもチャンスだと思って受けたようです。


2 指原Pが考えたであろうこと

「2年以内に何らかの成果をあげる必要がある」

「メンバーに理想とするアイドル目指してトレーニングをすると1年以上掛かるかもしれない」

 「2年以内に成果をあげる」はAKBが2年でデフスターレコーズから契約を切られた話からの予想です。実際はもっと厳しい状況でした。イコラブの後に代アニが指原P抜きで立ち上げたグループは成功の見込みがないと1年で活動停止となりました。メンバートレーニングに時間が掛かるという予想はそれまでのアイドルの経験からの予測だと思われます。短期間に成果をあげることとメンバートレーニングに時間が掛かることの両立が必要になります。


3 2の対策にアイドル経験者の採用を優先した

 メンバーのトレーニング期間の短縮のためにアイドル経験者の採用を優先したと思われます。オーディション合格者でアイドル未経験は4名だけでした(齊藤なぎさ、高松、瀧脇、野口) 。高松さんもアイドル経験はありませんがバトントワリングをやっていたのでステージ経験はありました。残り8名がアイドル経験者なので積極的に採用したことは間違いないでしょう。


4 アイドル未経験者は年齢が若かったこと

 アイドル未経験の4名が年齢が若かったことに配慮を感じます。これが指原Pの意向ならさすがだと思います。

 つまり未経験者がアイドルとしてのトレーニング中に脱落することがあっても年齢が若いのでセカンドキャリアの選択の障害にならないと思われます。

 このことを考えると齊藤なぎささんが20歳という年齢を機にアイドルを卒業することは指原Pの想定内の可能性だったのかもしれません。


5 指原Pがしなかったこと

 指原Pは自身のコネクションでのイコラブのメディア出演は行わなかったと思います。イコラブは初期に「シブヤノオト」や「ネ申テレビ」などに出ていましたがこれは指原Pのコネではなく秋元さんの御祝儀だと思われます。これは常識的に考えれば当たり前の話でこの時点で指原PはHKT48卒業前です。自らの卒業後の行く末も定かでないので業界への影響力は小さいと思われます。このことはイコラブ結成時のドキュメントで「信じられないくらい時間をかけてみんなを頂点に連れていく」と話していて人気が出るまで時間が掛かるとおもっていたようです。

 指原Pがイコラブのメディア出演を急がなかった理由はほかにもイコラブがアイドルとしてのまだ未完成であると判断していたからだと思われます。これはイコラブ結成から2年経過してからファーストコンサートをひらいたことからの想像です。つまり指原Pにとって2年間トレーニングしてやっと1人前のアイドルと呼べるレベルになりファーストコンサートを行うことができたと考えていると思われるからです。


6 最大のアピールはTIFのイコラブ出演

 短期間にイコラブファンを増やすために指原Pが行った最大の活動はTIFのイコラブ出演だと思われます。

 2017年に指原PはTIFのチェアマンという役職についてますがその力でデビュー前のイコラブのTIF出演を実現しています。ひょっとしたらイコラブのTIF出演を条件にチェアマンに就任したのかもしれません。

 短期間にイコラブファンを増やすために他のアイドルファンへのアピールによりファン数を増やすことを計画したと思われます。他のアイドルファンへのアピールがTIFだったわけです。これはイコラブにアイドル経験者が多いことがプラスになります。つまり前のグループのファンがイコラブを見てくれる可能性がありました。


7 SNSの展開は慎重だった

 今のイコラブはSNSの利用が上手いグループですが初期段階はSNSの利用は慎重でした。SNS使いが巧みな指原PがSNSのマイナス面に配慮したためと思われます。エピソードとしてはイコラブ結成時にメンバーに指原Pから長文のSNSの注意事項が送られた話やインスタグラムを許可されたのはみりにゃだけでブログを許可されたのは花菜ちゃんだけのようなメンバーの資質を踏まえてSNSは許可されていました。

 その中でイコラブデビュー前からShowroomの毎日アイドルを行っていた杏奈さんは杏奈さん独自の判断だったのでしょう。これは初期のイコラブアピールに有効だったと思われます。SNSに慎重だった指原Pは間違いなく杏奈さんのShowroomをチェックしたはずですが、その内容は指原Pの合格範囲だったと思われます。指原Pはこれも考慮して杏奈さんをイコラブのリーダーに任命しますがこれは好判断でした。その後の杏奈さんの振る舞いはリーダーにふさわしいものでした。


8 MVや衣装などは初期は予算不足でした

 今のイコラブは全曲MVがありたくさんの衣装がありますが初期イコラブは予算不足でそれらのアピールは出来ませんでした。MVに関しては1stシングルではカップリング曲にMVは無く振り付け動画が公開されています。

2ndシングルではカップリング曲の「イコラブ沼」のMVはありませんでした。「イコラブ沼」のMVは3年後に作られました。3rdシングルでもカップリング曲2曲は予算がなく全編リップシンクの低予算MVとなっています。衣装も初期は予算がなかったようです。既製服を加工したエピソードが伝わっています。

指原Pのプロデューサーとしての力量は初期はMVや衣装では発揮出来ませんでした。


 指原Pの音楽プロデューサーとしての1年目の活動はオーディションでアイドル経験者を多く採用してTIF出演をねじ込みました。メンバーのダンスレッスンやボイストレーニングを行いシングル3枚をリリースしました。

 逆にメディア出演は無理せず、SNSも慎重に展開しました。

 その結果、イコラブのCD売上(オリコン初週)は1st 1.9万枚、2nd 4万枚、3rd 6.2万枚となり短期間で成果を上げました。


 指原Pがどこまでこの結果を予想していたのか気になります。結果論ですが音楽プロデューサーとしての才能を示しました。もちろんこの後にカラコンプロデュース、化粧品プロデュース、ノイミープロデュースを成功させていてプロデューサーとしての力量を存分に示しています。