1. 地域や企業が、個人を一生庇護する共同体として機能しなくなっている。このような中、個人が突然個人として放り出され、誰からも必要とされないまま孤独の中で朽ち果てていく、という事態が起きている。人間が尊厳を持って生きていくには、自分が誰かから必要とされている、という確信(他者の承認)が必要であり、この「誰か」をストックしておいてくれる共同体が必要である。孤独な個人に生きがいを与えるために、「自分を必要としてくれる共同体」を提供する場が必要である。
cf. わたしを必要としてくれる誰かをわたしは必要とする、という基本構造があり、そこから、「より多くの人に必要とされるわたし」へと変わろうとする意思が生まれる。
2. 「ここでは自分が必要とされている」、と思えるような共同体を、より多くの人々に提供しなければならない。しかし、ビジネスベースで考える限り、能力のない者があらゆる共同体からはじき出される、という事態が起きてしまう。みんながそれぞれに仕事を持つために、1) EMAUSのようなビジネスベースではない仕事斡旋、2) マイノリティーを積極的に採用する(逆差別)、3) マイノリティーをポジティブにとらえる(Victimology)といった方法が考えられる。
3. 「自分のことを必要としてくれる共同体」をみんながもつことが大切。しかし、日常生活さえも困難な人々は、共同体に対してどのように貢献することができるのか。共同体のお荷物として自分を卑下しないためにはどうすればいいのか。何らかのパラダイムの変換が必要である。
cf. キリスト教の文化圏では、教会がこのような共同体を提供する場として機能しているのだろう。資本主義とは異なる原理で運営されている組織が、資本主義からこぼれ落ちた人たちに活躍の場を提供している?