友達が通っている語学学校が観劇に行くということで、僕も参加させていただきました。題目はカミュの『異邦人』。演出はSissia Buggy。場所はマレ地区にあるTheatre Espace Marais。収容人数100人程度の劇場で、ラッキーなことにいちばん前の列で見ることができました。
舞台セットは木でできたシンプルなイスとテーブルのみ。俳優は全部で三人。全体の構成は以下のとおり。第一部、母親の葬儀からアラブ人殺害のシーンまでは、警察に尋問されているムルソーがフラッシュバックで当時を思い出すという構造。語りの現在は常に事件後。第二部、裁判から死刑直前までのシーンは、物語は同時進行で進んでいく。
第一部をフラッシュバックで処理したのは、無難な選択だったと思う。小説では、単純過去の廃止とシフター(「今日」「ここ」のように、言表内容と語り手のいる現実とを結ぶ言葉)の多用により、語り手の位置が意図的にあいまいにされている。しかし演劇にする場合は、語り手の立ち位置を明確にしなければならない。全体的な流れを単調にしないためにも、語りの現在を事件後にもってきたのは良かったと思う。
ただ、昨日の劇ではムルソーがあまりにも感情的すぎた。一人の男の生活を内面から淡々と描いた一章、同じ男の行為が二章の裁判のシーンではあまりにも不条理、反社会的として次々と糾弾されていく、これが『異邦人』の基本構造。一個人の自由な生が、社会通念に合致しないからという理由で徹底的に否定され、最終的には社会によって抹殺される。社会の側から見れば、自分たちの規範に従属しない「異邦人」は排除しなければならないということになる。個人の生の自由とヒステリックな社会の圧力とを対比させるためにも、ムルソーはもっと冷静であるべきだと思った。
しかし、死を目前に控えたムルソーの演技は見ごたえがあった。迫りくる死を端的に恐れるムルソーに救いはあるのか。彼は、大勢の観衆のまえで死刑になる自分の姿を夢想する。自分の死後も生きつづける他者が自分の死を見取る、そこには大きな救いがあるのかもしれない。