日本文化会館で雑誌を読む。中央公論とか。12月号の堺屋太一の記事が面白かった。堺屋太一にしても、内田樹にしても、村上龍にしても、いっていることにいくつか共通する点がある。それは、1)これから経済状況はどんどん悪くなっていく。だから金銭万能主義からはいい加減に脱却しておいたほうがいい。2)これからの社会では、いかに金をもうけるかではなく、とにかくいかに生き延びていくか、サバイブしていくかについて考えていくことのほうが大事、3)地域社会や企業が自分を一生庇護してくれる共同体として機能しなくなったいま、何とか生き残っていくためにも、自分が弱ったときに自分のことをサポートしてくれる小さな共同体を自分の周りに作っておいたほうがいい。


次にそれぞれの識者の文章の抜粋。


内田樹:


「あらゆる社会的格差は「金の有無」によって生じているという社会理解はそのまま「金の全能性」についての信憑に帰着する。


「金さえあれば何でも可能であり、金がないと何も成就しない」それがメディアが過去30年ほど無反省に垂れ流してきたイデオロギーである。


しかし、私の見るところ、実際に起きているのはこのような「金の全能性イデオロギー」に対する耐性の弱い家庭に育った子どもほど学びの意欲を損なわれ、学力を下げているということである。


社会の上層を占めている人々は実際には「金ですべてが買える」と思っていない。むしろ、「金で買えないものの価値」についてつよく意識的な人々が日本では階層上位を形成している。


彼らは人間的信義、血縁地縁共同体、相互扶助、相互支援といったものが質の高い社会生活に必須のものであるということを知っている。


それが直接的には階層上昇のための「ツール」だから必須であるのではない。


それらは端的に「生物として生き延びるため」に必須の資源なのである。


階層上昇や年収の増加というようなことが最優先の課題になるのは、よほど豊かで安全な社会においてだけである。人類史のほとんどはそうではなかったし、今でも地上の過半の地域ではそうではない。そして、私たちの社会もほんとうはそうではない。


まず生き延びること、それが最優先の課題である。


生き延びるために貨幣が必要なことは当然だが、「金さえあれば」すべての問題が消失するほど、人間の世界はシンプルな作りにはなっていない。」(リンク


堺屋太一


「(定年後の生活について)会社にいる時は、会社の同僚という友達がいるから、彼らとワーワー騒いで、お互いに情報交換していればよかった。それが娯楽にもなっていた。ところが定年退職した途端に、そういう友達はいなくなるわけです。となると、近所にもつき合いはないし、親類ともつき合いがない。職場とも縁が切れるし、同窓生も知らない。結局は子供のところへお金を、となってしまうんですね。


そうならないために、子離れをするためにも、自分で好縁(こうえん)社会を作りださなければなりません。好縁社会とは“好み”を“えにし”とした社会ということです。地縁、血縁はすでになくなって、今は職縁社会になっています。職場の縁でつながる社会ですね。同じ会社の同僚だとか、取引先の人だとか職場の関係でまとまりたがる。医師会とか弁護士会などもそうでしょう。だけどこういった職縁社会では、職場との縁が切れた途端に何もなくなってしまう。だから私は10年も前から職縁社会から好縁社会にといっているんですよ。


で、好縁社会をつくるためには、まず、自分が何が好きかを明確に知らなきゃいけないんです。ところが、自分の好きなものがわからない人が多いんです。なぜわからないのかというと、「有利だ」と聞かされるとそれが「好きだ」と勘違いしてしまうからなんです。」(リンク


あと、中央公論の2008年12月号でも同じようなことを言っています。


村上龍


「日本人にとってすごく大事な二つの共同体が消えつつある。ひとつは世間みたいな、町内会みたいな共同体。むかしは世話好きのおばちゃんがいて、ひとり暮らしの老人がいたらご飯を作ってやったり、葬式とかを取り仕切ったり、結婚とかも「あそこにいい子がいるから、あんたもそろそろ結婚しなさい」とか紹介したり、どこどこの三男坊が会社を首になったら「あそこの八百屋で人が足りないから働きなさい」とか、いまで言えば職業斡旋とか結婚紹介とか冠婚葬祭とか医療とか、あらゆることをやっていた、町内で。それがいまではなくなっている。もう一個は企業。昔はほとんどが正社員だから、中小企業から大企業まで、企業に守られていた。企業が家族のような存在だった。しかしいまは企業の中でも非正社員が増えたり、正社員でもリストラされたり。で、世間と企業という日本人を支えていた二つの共同体がいま、崩壊しつつある。そのなかで人は突然「個人」として放り出されてしまう。そうなってくると、ほんとに親しい友達とか家族とかが本当に大事になってくる。それは当然のこと。だから、今の若者というのはどことなく寂しそうな感じがする。この寂しさが孤独までいってしまうと危険。孤独というのは、自分が本当に弱っているときに周りに誰もいないということ。だから孤独というのは、「俺は一人が好きなんです」というようなことではなくて、自分が弱くなったり精神的に少しやばくなったときに誰も助けてくれないということで、これは本当に恐ろしいこと。」(リンク ;2008年12月9日更新分)


あとは、『五分後の世界』や『希望の国のエクソダス』という小説にも「生き延びること」の大切さが書かれています。


それから、最近いろいろな記事を読んでいて思うのは、日本という国が国としてまったくヴィジョンを示せていないということ。長期的な視座にたった国家像というものを提示できていないこと。


個人的にいまいちばん関心があるのは、高齢者問題です。介護に関する人材の需要がこれから増えていくのは明らか。日本がこの問題に関して、世界の最先端にいるのも明らか。ここで日本が画期的な介護システムを提示できれば、それは世界に対する大きな貢献になる。


高齢者問題についてはいろいろ思うこともあるけれど、ひとつ大切なのは、高齢者に対していかにして居心地のいい共同体を提供するか、ということなのだと思う。フランスあたりだと、孤独の怖さを知っているからなのか、会社関係とは別の、自分自身のプライベートな人間関係というのをかなり意識的に維持している。こないだフランス人の友達と食事してたときに印象的だったのが、「フランスではひとりきりでずっと過ごすということが何よりも悲しいことなんだ」と彼が言ったこと。もちろんフランスでも孤独死の問題などはあるのだが、いずれにせよ、自分がここにいることが求められている、と思えるような共同体をもっている、ということは、生きていくうえでそうとう重要なことなんだと思う。