前回のサンフランシスコ滞在記に引き続き、今度はバンコク滞在記。こちらは約八年前、やはりひとりで二週間ほどバンコクに行ったときの手記。このときはホテルも予約せず、バックパックひとつを背負って旅立ちました。


03/9~14/'01


異国のホテルで一人、何もすることがなく過ごす午後7時というのは、どことなく物悲しい。テレビは壊れている。ラジオはつかない。話し相手は自分しかいない。そこで僕は、日本からもってきたCDをヘッドホンで聞きながら、この文章を書く。


2001年3月9日午後11時、飛行機はバンコク国際空港に着陸した。外は小雨。飛行機を降りたとたん、むっとした空気に包まれる。僕は、ホテルの予約はしていなかった。しかし、良さそうなホテルはすでにいくつかガイドブックでチェックしていた。そのなかのひとつに、タクシーで行くことにする。


午前0時。空港の外で待機しているタクシーに乗り込み、行き先を告げる。大通りから一本入った、細く暗い道に並ぶ三つのホテルの内の一つが、僕の目指していたホテルだった。タクシーを見送り、ホテルの受付に向かう。


「こんばんは。チェックインできます?」
「残念ね。満室よ。」


その通りに並ぶホテルはその夜、全て満室だった。暗い路地で僕は、これからどうしようか、と思いながら佇んでいた。すると、一台のタクシーが僕の前で停まった。


そのおじさんは、タクシーの窓から顔を突き出し、僕に話し掛けてきた。


「やあ、どうした?」
「ここら辺のホテルが全部満室で、ちょっと困っているんですよ。」
「この近くに、いいホテルがあるけど、乗ってくか?大丈夫。高くないから。」


外にどうすることも出来ない僕は、このタクシーに乗っていくことにした。


「ええ。じゃあ、お願いします。」


おじさんが勧めてくれたホテルも、部屋は空いていなかった。その後、我々はバンコクを1時間、ホテルを求めて走り回ることになる。我々は、バンコクを横に一往復し、5件のホテルを訪ねた。その間おじさんは、タクシーから見えるバンコクの名所を案内してくれた。そして、絶えず冗談を言いながら、疲れの見える僕を励ましてくれた。


午前2時。その日訪ねた8件目のホテルにして、ようやく私は部屋を取ることができた。おじさんはチェックインにまで付いてきてくれた。そして、私がエレベーターに乗るところまで見送ってくれると言う。私がコークンカップ(ありがとう)と言うと、おじさんは静かに笑った。



3月12日。今日も雨。これで3日連続の雨である。バンコクに来てから、まともな太陽をまだ一度も見ていない。しかし、バンコクの雨は東京の雨と違って水滴の間隔が広いので、傘なしで歩いても服がぐっしょりと濡れるということはない。同じポイントに雨粒が当たる前に、水分が蒸発してしまうのだ。



3月13日。晴れ。バンコク滞在4日目にして、ようやくの晴れである。本屋へ行って本を買い、カフェでゆっくりとページをめくる。旅という非日常的な状況の中で、僕はひどく日常的な時を過ごしている。



日本を離れてからまだ4日しか経っていないのに、日本に帰ってからのことを考えるというのもなんだか変な話だけれど、日本に帰って何をしたいかということを考えると、僕は腰を据えてゆっくりと勉強がしたい。文学とか、哲学とか、歴史とか、そういうものに対する知識を、確実に身に付けていきたい。そういうことって、とても素敵なことだと思う。なぜなら、自分が階段を一段一段昇っていくのが確認できるから。そうやって上に行けば行くほど、新しい視野が開けてくるだろうから。


僕が恐れるのは、底なし沼みたいな生活だ。どんなに一生懸命に手足を動かしてみても、どこにも行けない。もがけばもがくほど、深みに嵌っていく。始めは踝までしかなかったぬかるみは、やがて胸まで達し、気がつくと頭の上にまで達している。そうなると、もうどうしようもない。ゆっくりと腐っていくのを待つだけだ。


幸せっていうのは、そういうものではない。


幸せというのは、もっと規則正しくて、ささやかなものだ。毎朝起きて、勉強して、働いて、好きな本を読んで、好きな映画を観て、文章を書いて、ジョギングをして、眠る。あるいは、恋をする。そして、かすかな心の震えを大切にすることだ。胸の中に張り巡らされた糸が、いっせいにキュッと縮んだようになる、あの感覚を。


僕は、自分の中に一本の柱を建てよう。それが、純粋に僕自身であるというような柱を。その柱は、僕が接するさまざまなものによって、絶えず補修され、新しくなっていくだろう。しかし、その柱のことを見ている限り、僕が失われることはない。文章を書くという行為は、その柱と世界の間の距離を、言葉という物差しを使って計ることなのかもしれない。



3月14日。快晴。僕は、徐々にタイと同化してきているようだ。店に入ると、まずタイ語で話しかけられる。こちらがSORRY?と言うと、向こうはちょっとびっくりしたような顔をして、英語に切り替えてくる。自分で鏡を見ても、これじゃあタイ人と見分けがつかないよな、と思うくらいだから、あるいはそれは当然のことなのかもしれない。



高校を卒業してからというもの、僕は基本的にいつも一人で行動してきた。一人で服を買い、一人で本屋に行き、一人でコーヒーを飲んだ。浪人中は一人で図書館で勉強していたし、大学に入ってからも親しい友達というのは作らなかった。休みになるとふらりと一人で旅に出た。本屋でバイトをしていた半年間は、バイト仲間といっしょに遊びに行ったりもしたが、バイトを止めるとそんな関係も跡切れた。別に人間が嫌いだとか、孤独が好きだとかいうわけではない。ただ僕には、人と深く関わり合いを持とうとするのを、ふっと避けてしまう傾向があるような気がする。自分が打ち立てようとしている秩序を、人に乱して欲しくないのかもしれない。いや、違うな。僕は単に臆病なだけだ。


もちろん、僕だっていつまでも一人きりで生きていこうとは思っていない。時々、ふと寂しさを感じることもある。


2000年ももうすぐ終わろうとしていたその日、僕は吉祥寺に買い物に来ていた。冬の太陽が早々と西の空に沈み、街の灯りが点ろうか点るまいかと迷っているような12月の夕暮れ、僕は東急の裏から駅の方へ向かって、足早に歩いていた。年の暮れということもあって、周りには家族連れや、恋人達が手をつないでいる。パルコヘの信号を渡ろうとしたその時、何かが僕の胸の中にしみ込んできた。始めは漠然としたその靄は、やがて具体的な形をとり始めた。それは、孤独だった。冬の夕暮れの吉祥寺にあって、僕はたまらなく孤独だった。それはあまりにも強い感覚で、目の前にある全ての焦点がぼやけてしまったほどだ。僕は、例え僕がこの瞬間、世界から消えても、誰も気付かないんじゃないかという気がした。あるいは、家族なら気付いてくれるかもしれない。しかし、それが家族だけだとしたら、僕は生まれてからの20年という歳月、いったい何をやってきたんだろう。20年という時がありながら、僕は世界との繋がりというのを、全く打ち立てることができなかったんじゃないか。この20年の間、楽しいこともあったし、辛い思いもしてきた。でもその結果、僕が消えても誰も気付かないというのなら、そんなのはあまりに悲しすぎる。


どうしてその時、そんなに強い感情を抱いたのかは良く分からない。それは、年末の夕暮れという時と、人でごったがえす吉祥寺という場所が、絶妙のタイミングで僕の胸と共鳴したからかもしれない。そして、その時の震えは、僕の中で今もかすかに続いている。