昨夜はホストファミリーの父親と二人でパスタを作り、ジャックダニエルのNo..7をちびちびと飲みながら夕食。話題は日本と西洋における哲学、宗教の相違へ。なかなか面白い会話だったので、以下まとめ。なお、父親の職業はコンサルタント。


1. 哲学と社会との関わりについて


僕:日本では、文学や哲学の研究者は自分の楽しみのためだけに「仕事」をしているような印象がある。少なくとも僕はそういう印象を持っている。ビジネスが常に顧客の満足を考えなければならないのとは対照的に。だから文学者や哲学者というと、社会から完全に孤立したようなイメージを想起してしまう。そして個人的には、そのような「自分の楽しみ」だけの「仕事」というものに労働のモチベーションを見つけられない。


父親:たしかにフランスでも、文学者や哲学者が「自分の楽しみ」のためだけに「仕事」をしているという印象は一般的である。しかし、ここ数年のフランスでの流れとして、企業が哲学者を積極的に必要としているというのも事実である。


哲学者というのはいかに適切な言葉を選ぶか、そして、いかにして他者とのコミュニケーションを確立するか、さらに、そのような(言語による)コミュニケーションを基盤として、いかにして組織全体を効率的に機能させるかということのスペシャリストである。既存の体制の中でコミュニケーション、あるいは情報へのアクセサビリティ(アクセスすることの可能性)の限界に突き当たった企業は、外部から積極的に哲学者を、それも常勤として採用することを行っている。哲学者の力を借りて、ビジネスというフィールドでのコミュニケーションの円滑化、さらに企業の活性化を行おうとしているのである。


(僕の感想)

哲学とビジネスとのリンクが確立されようとしているというのは非常に興味深い。同時にそれは、コミュニケーションの手段として言語というものがまず挙げられる西洋ならではの流れであるようにも思われる。日本のように、空気を読んだり、あ・うんの呼吸がコミュニケーションの手段となっているような文化圏においては、また状況は少し違ってくるような気もする。ただ、「空気」を共有しないような相手との交渉をする場合にコミュニケーションの手段として使える道具はやはり言葉なので、日本でも、このように言葉によるコミュニケーションを根本の部分から、しかもビジネスとの絡みにおいて見つめなおすという姿勢は必要なのかもしれない。日本の哲学「学者」がどれほどその要望に答えられるのかはまた別としても。


2. 宗教観について


日本で宗教というと、どうしてもオウムなどといったカルト集団を思い起こしてしまいがちである。しかし「人生の意義」や「毎日の生活のやるせなさ」に思いをはせるのは、国を問わず人間に共通するものでもあるだろう。実際に日本でも、ここにきてオカルト・占い的なテレビ番組が連日放送されている。人生に対する意義や充実を求める根源的な欲求は日本もフランスも変わらない。ただ、その欲求に対して文化や社会が与える答えが異なっているのだろう。


'08/10/18(昼)