最後の送別会から帰ってきました。女友達と二人で飲んできました。なぜだか話題は恋愛相談と、けっこう生々しいエグイ話へ。でも、こういう話ができる友達がいるっていうのも、すごくありがたいことです。
向こうでのネットの状況がイマイチ分からないのですが、パリ市内であれば無線LANでネットに繋げるはずだし、できるだけ頻繁に更新していくつもりです。これからもこのブログに遊びに来ていただけるとうれしいです。みなさんからコメントをいただくということが、すごく僕自身の励みになっているので。(もちろん、リアルな世界での友達も含めて。)
不安がないと言えば嘘になる。怖くないと言えば嘘になる。でも、思いっきりやっていくという気持ちさえあれば少なくとも後悔をすることはないと思う。黒人の使用人を助けるかどうか迷ったハックルベリーフィンが、「よろしい、じゃあ僕は地獄に向かう」と言ってその使用人を助けるシーンがある。僕自身もかつて「よろしい、じゃあ僕は地獄に向かう」と言った人間だ。だったら、なにも恐れることはない。
ニーチェの『ツァラトゥストラ』が好き。彼が、「わたしは没落する人間を愛する」というようなことを言っている。自分自身の道を信じて徹底的に進んでいけば、たとえその道なかばで息絶えようとも、それはそれで美しいことなんだ。価値のあることなんだ。きみの後に続く人間が、きみが切り開いた道を進み、きみのしかばねを乗り越えて明日へと進んでいく。きみの没落は決して無駄ではないんだ。
『ツァラトゥストラ』より。僕が最も好きな台詞。「わたしの愛と希望にかけて、わたしはきみに懇願する。きみの愛と希望を投げ捨てるな!きみの最高の希望を神聖なものとして尊重せよ!」(ちくま学芸文庫版, 上, p.81.)
ロバート・ハリスさんが、ご自身の半生をつづった『エグザイルス』のなかで紹介していた言葉。オスカー・ワイルドの『ドルジェル伯の舞踏会』より。WE ARE ALL IN THE GUTTER, BUT SOME OF US ARE LOOKING AT THE STARS。(おれたちはみんなドブの中にいる。でも、夜空の星を見上げているやつらだっているんだぜ。)
ミルチャ・エリアーデというルーマニア人の宗教学者がいる。彼が、INDESTRUCTIBILITY OF HUMAN EXISTENCE(人間の存在の破壊不可能性)というようなことを言っている。たとえどれだけ月日が流れようとも、たとえ世界が消滅してしまおうとも、いまこのときあなたが感じている喜びや悲しみが否定されることは決してない。あなたがいまここにこうして存在しているということ、こうやって喜び、あるいは苦しみ涙を流しているという事実は永遠の真実として生きつづける。
少しだけお酒が残っている。ちょっと饒舌になりすぎているのかもしれない。でも、それぞれの人間がそれぞれの喜びや悲しみを抱えている。各人がそれぞれの人生をかけて、必死になって自分の人生を生きようとしている。人間が生活していくという事実にたいする根源的な尊敬を抱きつづけることが、人間として生きていくうえでの最低条件のような気がする。