アントワーヌ・ダカタという写真家が好きで、ときどき写真集を眺めている。生々しく写しとられた身体はあまりにも無防備で、しかしその危うさが、人間の生の力を赤裸に表現しているようにも思われる。拡大されたセックス、ヘロインを打ち込む後ろ姿、表情を失った顔面はどことなくベーコンやシーレを思い起こさせ、だが同時にそこには、写真のみがもつざらっとして現実感もたしかに感じられる。彼の写真を見ていると、自分がたんなる肉の塊りであるという事実をあらためて思い知らされる。そして、その肉の塊りがこうやって生きているということに驚き、ある種の畏怖を感じるのである。
彼の写真をはじめて見たのは、たしか三年位前、恵比寿の写真美術館でのことでした。若手の写真家の作品を集めた会場にあって、彼の作品はその独特な切迫感によってひときわ異彩を放っていました。一目でひきつけられてしまった僕は、その後、表参道のラットホール・ギャラリー で開催された展覧会にも足を運び、さらに彼の作品の魅力のなかに落ちていくのでした。
アントワーヌ・ダカタ:
1961年、マルセイユ生まれ。1983年にフランスを離れ、その後1993年まで海外を放浪。1990年、ニューヨークの国際フィルムセンターにて写真のコースを受講。なお、このコースではナン・ゴールディンやラリー・クラークが教鞭をとっていた。
1991年から1992年にかけてマグナムの編集部でインターンとして働く。1993年に帰国、約四年間、写真から遠ざかる。1998年からはコンスタントに作品を発表しつづけ、2001年にはニエプス賞を受賞。2005年以降は、特に拠点を定めることなく世界中で活動している。
2005年に発表された「マニフェスト(MANIFESTE)」において、彼はさまざまな思想家、作家、アーティストの言葉を引用している。たしかに、彼の作品にはドゥルーズやアルトー、サドの影響が強く感じられる。また、ベーコンとの類似が暗示しているように、彼が生み出すイメージをドゥルーズの言う「器官なき身体」の隣りに置くことも可能だろう。さらに言うならば、ダガタの写真を見るたびに、僕はなぜかペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋 』を思い出してしまう。しかしだからと言って、ダガタが大きな潮流の単なる一部にすぎないということではないと思う。ダガタにはダガタにしか創造することができないような世界がある。彼の作品のなかに僕は、この肉体であることに飽きてしまった人間の焦燥感を感じる。そして生きるということは、そのような焦燥感を抱き続けることなのかもしれないという気さえしてくるのである。
Antoine d'Agata : Magnam内のサイト