( ゚▽゚)/コンニチハ

どうも、ぬんさんです。書いていき…………………………たいところですが、困ったことに、この数日間何も無かったんです。冗談抜きで。
書かないわけにゃ行かないので、一応書くと、
木・金は木曜は日は雨で、私はちょっと校区外から通ってて、橋通るので雨で流されたり洪水したりしたら帰れないので休みました。金曜はそのまま休みました。どちらもすごく暇でした。

土日はマジでなんもなし、暇でした。


ちょっと流石にまずいので

さすがに暇暇いつ待てるだけの記事じゃまずいなと思ったのでなんか書きます。

ちょっと暗黒の小6後期について書きましょうか。えっと、多分転校したこととか何も書いてないんですね。その辺かこうと思います。ちとケジメもつけたいので。

忘れもしない、あの8月30日………を書く前にちょっとその前の転校の原因を。(グダグダやな。カップラーメンできそう。)

転校する約3ヶ月前の4月下旬、父が仕事に行ったっきり帰ってこなくなりました。その頃の父はコロナの後遺症で頭おかしくなってたらしいです。それで、離婚することとなって出てけ出てけいってて、引っ越すことになりました。それで同じ市内だったので校区外通学という制度を使って今まで通りの学校に通おうと思って、Bにもその話をしておいたんです。ですが、悲しいことに結局認められず、転校することになってしまいました。そうして8月30日、2学期始まってだいたい4日目の放課後、友達や先生に見送られてその教室と児童会を後にしました。その時さりげなく押しに押されて夏休みの自由工作として持ってった1代目さやを当時小5の友達にあげた。また作れるからね。

そうして不安でいっぱいの中、転校生活が始まりました。

1番最初の自己紹介、多分すごく声は小さかったと思います。今でも多分同じですが。そうしてみんなも自己紹介してくれて、初日から騎馬戦の練習だったりダンスの練習をし、数日後ですが友達もできて楽しく過ごせました。修学旅行も友達と同じ班になれて本当に楽しかったです。

ですが3学期になった時、少しですが私の心情に変化が訪れました。学校生活楽しみながら、しれっと前の学校の接続校へ行けることになってたんですね、そのせいかその学校の子たちに対して後ろめたくなり、ちょっと視線が怖くなりました。

そこからその心情のまんま小学校を卒業して中学へ行きました。最初の頃は
「どっちに行ったら良かったんだろう?」
と思ってましたが、今では
「うんきっとどっちに行っても孤立してた、うん。それなら福祉充実友達いる学校の方が何倍もマシだ。」
と考えるようになりました。未だに思ってるのは、
(きっとあっちのみんなは、私のことはきっと嫌いだったんだろうな、いっぱい迷惑かけちゃったし)
とはずっと思っています。

最後に・テーマのやつ

パパにも産休、所詮中学生の戯言なんですが、別にありだと思いますね、私は。でも産休取っといて家事せずにグータラ遊んで腹減ったら
「飯」
だけ言うやつは社畜っとけと思います。前の英語の先生、(男の先生)2学期から育休取って今居ないんですよね。ちゃんと育児してて欲しいよ………。

ほんとに何も無かった、なかったがまあ上に貼っといた記事にもある通り、木・日に投稿するって言っちゃったので、とりあえず投稿しました。
こんなにも暇暇言ってる記事を読んでくれて、ありがとうございました!