続きです


中2になると 絵が得意という別クラスの子と交流する機会がありました

自分の絵柄を見せたところ「ショタコン?」と言われ 何やそれ…と思ったのですが 見事に当たっていました 確かに背の低い腹黒少年好きになりがち笑 コナンとかナランチャとか

彼女は「今すぐ漫画を描いて 不特定多数の人に読んでもらえる方法を知ってる?」と言いました

いや知らん…何それ怖…と返すと

同人活動

の仕組みを教えてくれました ただ本を出すには30,000円ほどの初期費用が必要

初めて母親にお願いしました 本を作りたいからお金が欲しい…と

よくわからないけど ここまで懇願された事ないし…といった風ではありましたが 聞き入れてくれました😊

そこから私は勉強を疎かにし 本やグッズを自作し通販したり即売会に行く日々を過ごしました 朝から描いて気づいたら夕方とかザラでした 授業の内容がどんどんわからなくなっているのにも気づかず 授業中も描き続けました


それがバレない訳がない


英語の教師に授業中に絵を描く事をバチギレされ その場の注意だけにとどまらず 上の方まで報告されてしまいました 当然保護者にも連絡がいきます

そして校長とタイマンでお話 何故この学校に入ったのか? 将来のことを考えたら絵を描くより勉強を優先しなさい(その上で絵を描くなら別に関与しない)と言われました ()の部分まで言ってくれれば やろうとしたかもしれないけど 当時の自分には周りの大人に

絵を描くな

と宣言されたように感じました

そうだった…東大に入る為に入った学校だった…ここには漫画家になりたいと言っても応援してくれる大人はいません 何より1番の理解者になってくれるはずの母親が望んでません

「弁護士になりたいのよね⁉️」

「漫画家になりたい…」

「弁護士になるって自分でも言ったでしょ⁉️」

↑はいと言わないと一生解放されないやつ 言わせてる自覚ないのか?


思春期に入ったこともあり 母親への違和感がどんどん膨らんでいきました

1番苦痛だったのは 部屋をノックせずに入ってきて様子を伺ってくることです そこで漫画を描いてたらしこたま怒られるという監査行為にストレスMAX超になり げっそり痩せました 健康診断でひっかかっても 元々背の低い子だしで流されました

母親と父親②との関係もその頃には冷え切っており(金銭関係のトラブル) 母親は弟の部屋で眠るようになりました 家庭内での父親②外しが離婚するまで続きました

学校に行っても地獄 帰る家も地獄

高校卒業までそんな日々が続きます



私に同人活動を教えてくれた恩人は 大学受験で「東京藝大」を受けていました 浪人し入学にまで漕ぎ着けており 周りに理解者がいるといないとの差でこうも違うのか…と思っています

今 彼女はジュエリー制作のお仕事をしています



↓断食道場の学びを得て 生活に取り入れたもの