私たちの身の回りには、「当たり前」のように存在しているものが、たくさんあります。何も考えずに手に入る野菜、いつも使う道具、誰かが準備してくれた環境。それらを“当たり前”と受け取ってしまうと、そこにある価値は見えなくなります。でも、本当はどうでしょう?農家さんが手をかけ、太陽と風の中で育った野菜。秤の上に並べただけで、その背景にある物語が浮かび上がってくる気がします。--- 
 
 
 
 
最近読んだ本の中に、こんな言葉がありました。「特別な資格も才能もいらない。自分の当たり前の中にこそ価値がある。」その言葉に触れた瞬間、胸の奥がふっと温かくなる感覚がありました。自分にとって当たり前のことほど、価値だとは気づきにくい。でも、それこそが武器になる可能性がある――そう思うと、今まで見えていなかった景色が少しずつ色を帯び始めます。 
 
 
 
 
 
これは、ある日の夕食です。とてもシンプルで、何の変哲もない一食。でも、よく考えてみると・米を炊く習慣・出汁をとるという文化・納豆を迷わず選べる健康感覚・魚を焼くという手間を惜しまない姿勢これらは、誰にでもできるように見えて、実は“積み重ねてきた経験そのもの”なんですよね。こういう日常は、当たり前であるほど価値に気づきにくいもの。ですが、そこに気づけた人から、日常の見え方が変わり始めます。 
 
 
 
 
 
人と関わる場所へ行くとわかります。自分にとっての当たり前が、他の誰かにとっては新鮮だったり、驚きだったりする。価値とは、自分の中だけでは生まれない。誰かとの接点があって、初めて「価値」になる。当たり前は、人に見せて初めて輝き始めるのかもしれません。 
 
 
 
 
季節の移ろいも同じです。毎年見ている光景でも、ふと立ち止まって眺めると、そこに確かなメッセージが隠れていることに気づきます。葉が色づき、散っていく当たり前の流れは、「変化は自然であり、恐れるものではない」と静かに教えてくれます。 
 
 
 干し柿を吊るす作業。一見地味に見えますが、そこには知恵と手間と季節感が詰まっています。誰かにとってはただの柿。でも、その作業を続けてきた人にとっては、語れる“物語”になる。当たり前は、積み重ねることで価値に変わる。その瞬間を、自分で見逃しているだけなのかもしれません。 
 
 
 ■ 最後に問いだけ残しておきます 
 あなたが当たり前だと思っているものは、本当に、当たり前のままでよいのでしょうか。気づいた人から、人生は静かに動き始めます。あなたの日常の中にも、きっとヒントが眠っています。