三島由紀夫が『葉隠入門』で取り上げた武士道は、戦いや死を前提とした厳格な思想でありながら、同時に「日々の暮らしにどう心を尽くすか」という問いを含んでいるように思われる。

畑で土に向き合う時間、田んぼで稲の成長を見守る時間、そして食卓でいただく一膳のごはんや梅干し。華美ではないけれど、そこには日本人が大切にしてきた“本物”と向き合う姿勢が宿っているのではないでしょうか。

私自身も自然に触れながら、梅を干し、味噌汁をつくり、調味料ひとつを選ぶときにさえ、「葉隠」に通じる感覚を見いだすことがあります。そんな日常の断片を、今日は少し綴ってみたいと思います。

 

1. 畑と田んぼ ― 日々の営みが修行になる

草刈りをして汗を流す。緑の勢いに押されるように鎌を振るいながら、ふと「自然と向き合うこと」そのものが修行のようだと感じます。
田んぼに立つと、稲の青々とした葉が風に揺れ、一つひとつの命の営みを確かめるように伸びています。その姿は、忍耐と継続の大切さを静かに教えてくれる。

葉隠が説く「日々の小事に心を尽くす」精神は、農の営みと深く重なっているのかもしれません。

 

 

2. 梅干しと台所仕事 ― 手間をかけることの価値

庭で天日に干した梅干し。ひとつひとつ手に取ると、太陽の力と自分の手間が重なって、ようやく形になっていることに気づきます。
保存食づくりは決して派手ではありませんが、時間をかけて素材を活かす姿勢は、心を養う作法のようにも思えます。

“すぐ便利”よりも、“じっくり育む”を選ぶこと。ここにもまた、葉隠の精神が生きているのではないでしょうか。

 

 

 

3. 質素にして豊かな食卓 ― 本物の素材が育む心身

焼き魚、冷奴、納豆、味噌汁、そして白いごはん。どこにでもありそうな食卓ですが、本物の素材と手づくりの調味料が揃えば、その一膳は心と体を確かに支えてくれます。

醤油や味噌、酒といった調味料も、昔ながらの製法や素材を選ぶと味わいが違う。安心できるものを選び、毎日の食事に取り入れることは、小さなようで大きな積み重ねです。

質素であっても、そこに“豊かさ”を感じられること。これもまた、葉隠に通じる生き方だと感じます。

 

 

 

4. 葉隠の教えと暮らしの重なり

「武士道とは死ぬことと見つけたり」――この有名な一節は、ただ死を賛美する言葉ではなく、いまをどう生きるか、日々の行いをどう尽くすか、という問いに他なりません。

畑を耕し、梅を干し、ごはんを炊く。これらは一見“些事”かもしれません。けれど、その些事に心を込めることで、暮らしは凛とした輝きを帯びるのだと思います。

 

 

5. 空を仰ぐ ― 自然がくれる心の余白

作業を終えた夕暮れ、ふと見上げた空に、不思議な光と影のコントラストが浮かんでいました。自然は、何気ない瞬間に心を揺さぶる景色を見せてくれます。

畑も田んぼも、食卓も、そして空も――すべてがつながり、私たちはその中で生かされている。
葉隠の言葉を借りれば、「生きることそのものが学びである」ということなのかもしれません。

 

 

結び

質素で本物に根ざした暮らしは、どこかで忘れられつつある日本の心を思い出させてくれます。
畑や台所に立ちながら、梅干しを干しながら、そして空を見上げながら、私はその心を少しずつ感じ取っています。