今日の記事には「医者、お薬信仰」と副題を付けたいです。
そして、ある意味JW問題にもつながるかなぁという気持ちもあります。
では、よろしかったらおばさんのつぶやきを聞いてくださいませ。
昔、大学病院で義父の上顎がんに抗がん剤治療をするために付き添いをしたことがあるんですね。そのとき大きな疑問を感じたんです。
なぜ?高度な医療を受けて治ったはずなのに、また皆さん病院に戻って来るのだろうか?って。
義父の入院中、同じ病院にいた同郷の知り合いは、もぐらたたきのように何度も戻って手術をして万策尽きて自宅療養になり、その後数年で亡くなられましたし....。
義父の退院後に、たまたまご近所さんから教えてもらって今わたしの扱う乳酸菌FK-23に出会ったわけですが、このおかげで義父は再発したリンパに出来たガンは消え、大学病院には戻らずに済みました。
乳酸菌が体の免疫に作用して、体自身ががんを攻撃したのです。
このことがあってから月イチで2年間、代理店の催す健康講座を受けて、自分が乳がんになったときは自分の意志で乳酸菌FK-23
を選び、手術のみですみました。
今でも自分の判断は間違っていなかったと思っています。
これは健康について知りたくて学び、学んだことから自分を信じて行動出来たからにほかならないと思っています。
さて、話は今に飛びます。
主人の伯母さんは40年糖尿病を患い、長年お医者さんの言いつけを守って80歳を超えています。
また、その娘さんは50代でしょうか、同じように糖尿病で婦人科の病気で手術もしているようです。
伯母さんはひとり暮らしなので、たまにお邪魔して健康の話などをしていましたが、半年ほど前、腰の痛みのため整形から出された痛み止めを飲んでいたら、それが原因で透析になりそうだと言うのです。
なんとか、今の状態にとどまれるようにと乳酸菌の話を医療を知るカウンセラーから聞くよう勧めても、体の仕組みから何故良いのか話してもなんだか伝わりません。
ある時、娘さんに呼び出されました。
こんなに伝わらないのに何の話だろう?と疑問をそのまま伝えました。「何を聞きたいのですか」と。
そうしたら、この間際になって「何をどうしたらよいか」というのです。わたしは医者でもなんでもないですし、家族に透析をしている者もなくて経験談を話せる訳もないのにです。
わたしが感じ取ったことは、お医者さんの言うことを聞いてこうなったから、その代わりにこうしろと言ってもらって命を預ける人でも欲しかったのかな?
この親子は本当に頭の良い方たちだと思います。
体の声を訊かないほどに脳が勝ってしまっているのかもしれないと思いました。
昔学んだ健康講座のビデオの冒頭に、自分の健康は自分の責任において自分が守るもの!というような場面があって深く心に残っています。
だから、人の命など預かることはできやしません。
精一杯自分の命を生きるだけです。
伯母は少し乳酸菌を試して、おしっこがたくさん出て、体がこわくないし、温まった気がすると言いながら、検査でカリウムが多いと言われただけで辞めてしまいました。
自分の体のサインを信じず、医者を信じて今透析をしています。
先日会いに行ったら、透析の人が多くて希望の時間が選べないことや、針が入りづらくてとても痛い思いをすることや、長い時間じっとしていることの辛さやいろいろ話します。
そして、こうなったことへの自分の正当化の同意をわたしに求めるので、「それは伯母さんの感じ方だから、わたしにはわかりません」と素直に言いました。
わたしはずっと希望を話してきたのです。苦しみを体に強いることを良しとする気持ちはわたしにはわかりません。
この娘さん、自分の知り合いで脊髄腫瘍の方の行く末を聞いてきました。治療はないのかと。わたしは乳酸菌のことしか言えませんし、言葉に詰まっていたら「ふーん、ダメなんだ」と勝手に決めてしまいました。
親の命は人に預けようとして、他人の命は決めてしまうんですか!
伯母さんの苦しい状況、知り合いの方の苦しい状況、娘さんの介護の大変な状況を想像すると悲しくなってしまいますが、それぞれが自分の荷を負うことであり、どうしようもないことですね。
皆さんはいったい何を信じますか?
簡単に自分の命を何かに預けないで下さいね。
神は、与えられた命を慈しみながら十分に使って歓びと希望に満ちた毎日を生きる者たちを祝福し支えて下さると思うのです。