ストレスの状態とはどんなときでしょう?
「今この瞬間」に注意が払われていないとき、つまり「心がここにない」状態。これがストレス。
このことを知らないでいたとき、ストレス状態にいるに任せていたために、わたしは病気になってしまいました。
もう二度とがんを再発させたくないと思ったときに、呼吸法を実践してみて、動じない心を持てたと思います。
そして次に、聖書の教えを深く考えたとき、なんかつながっている気がすると思いました。
イエスの教えは、ストレスからの解放、つまり心の解放ではないか、と思ったのです。
その根拠として、「今ここにいる」というイメージを思い描いてみました。
今、ここにいる自分は動かないとして、動く可能性のある場所はどこでしょうか?
まず、前後。前は、これから先、未来のことであり、後ろは過去のことと言えます。
次に左右。これは周囲のこと。人と人、人間関係とも考えられます。
最後に、上下。これは自分自身の心のありよう、せん越か、謙遜か、卑下しているか、にあたると考えます。
これら、全方向から自分を引き戻すことが、心を解放することにつながるとわたしは思うのです。
では、この全方向に、イエスの言葉を当てはめてみたいと思います。
⚪前(先のこと)から引き戻す。
次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です。(マタイ6:34)
⚪後ろ(過去のこと)から引き戻す。
あなた方が人の罪過を許すなら、あなた方の天の父も、あなた方を許してくださるのです。(マタイ6:12)
⚪左右(周囲のこと)から引き戻す。
(人ではなく、神を恐れる)
弟子は師より上でなく、奴隷も主より上ではありません。弟子が自分の師のように、また奴隷が自分の主のようになればそれで十分です。人々が家あるじをベエルゼブブと呼んだのであれば、ましてその家の者たちをそのように呼ばないでしょうか。
そして、体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ、魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ10:24,25,26,28)
⚪上の位置(せん越な心)から引き戻す。
そこでイエスは、ひとりの幼子を自分のもとに呼び、彼らの真ん中に立たせて、こう言われた。「あなた方に真実に言いますが、身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。それゆえ、だれでもこの幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大なものなのです。(マタイ18:2,3,4)
自分が裁かれないために、人を裁くのををやめなさい。あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして、あなた方が量り出しているその量りで、人はあなた方に量り出すでしょう。(マタイ7:1,2)
⚪下の位置(卑下する心)から引き戻す。
あなた方は地の塩です。しかし、塩がその効き目を失うなら、どうしてその塩けを取り戻せるでしょうか。外に投げ出されて人に踏みつけられる以外に、もはや何にも使えません。
あなた方は世の光です。都市が山の上にあればそれは隠されることがありません。人はともしびをともすと、それを量りかごの下ではなく、燭台の上に据え、それは家の中にいるすべての人の上に輝くのです。同じように、あなた方の光を人々の前に輝かせ、人々があなた方のりっぱな業を見て、天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい。(マタイ5:13,14,15)
わたしは、神は創造主であることを信じます。そして、命の与え主であると。
イエス・キリストは、神から生きる方法を教えるよう遣わされた。言葉と行いによって。
きっと、人それぞれに、その人なりの傾向があるでしょう。
そのことを、深いところにある自分自身と対話しながら、イエスの言葉を噛みしめ理解するなら、きっと人生は良い方向に進むと思うのです。