表の思いと、奥の思い。

みんな、持ってます。


表の思いは、私達が口に出すもの。

はっきり意識しているもの。

奥の思いは、私達それぞれの意識の奥底にあるもの。無意識の場所といってもよい。

だから、分かりにくい。


表の思いと奥の思いがおんなじだと、もう行くしかない。思っている方向に。

だから、なんて事なくスムースにいきます。


じゃあ、表の思いと奥の思いが同じじゃなかったら?



奥の思いに引っ張られる。



表と奥は、フィフティフィフティではないってことです。

面積だか、体積が存在するとすれば、奥の方がとんでもなく広大ってことです。

氷山で考えたら分かりやすいのでしょうか。

海から出ている所と海面より下の氷山。


奥の思いは深ーい場所にあります。

自分でも気付いてない、分からないことが多いんです。自分の事なのに。

じゃあじゃあ、どうやって気付いたらよい?


これはもう、気付くようにアンテナを張るしかない。

心に叫ぶんです。「知りたい!」って。


例えば好きな人の気持ちを知りたい時。

こんなとき、私達、その人の表情や仕草、言動をめちゃめちゃよく見ますよね。勘ぐりすぎてってこともありますが。


それと同じ要領で。

自分の言動、思い、行動にアンテナを張るんです。

そうしたら、いつか、自分の矛盾に気がつくかも。

あれ、なんかおかしくない?って。

その時がチャンスなんだと思います。



ここまでは結構簡単かも。

言いきれないけど。

しかし、ここから、さらに厄介が待っていることもあります。


それは、気づきたいようで、自分の奥の気持ちに気付きたくない自分がいたりするんです。


気付きたくない自分って?

奥の気持ちに従うと、今持っているものを手放さなければならない事もあります。

手放さなければならないもの。それは、安定とか?お金かも?ステータスかもしれない。親からの愛ってこともある。


本音ではそれを手放したくない。

そうなると、私達は瞬時にその奥の思いを隠す行動に出たりします。隠したり、蓋をしたり。


それが、自分に嘘をつく、ということなんじゃないかな。


だから、自分の奥の思いを分かろう、と思ったときは、ある意味覚悟が必要なんだと思います。

今手にあるものを手放す覚悟。


よし、手放す!と決めて手放す。それが勇気ある行動なのかな。

そして、自分の真の思い通りに生きる事が出来るんだろうな。


真の思いの為に今ある物を手放すとき

それは、痛い、痛い。

何が痛いって心が痛い。

こんなものを私は手放したくなかったんかいって。

そっかそっかって。自分を抱きしめて。

そこを通過することが出来たら

未来は輝かしいのだろうか。


人間の、心は本当に複雑怪奇だ。



恋人が欲しいのに、出来ない。

痩せたいし、方法わかってるのに痩せられない。

夫婦仲良くいきたいのに、どうもすれ違う。




思いに向かってなかなか進めない時、もしかしたらそんな矛盾があるのかもしれません。